686 横槍
「ギャギャギャ!」
フランが後ろに下がった瞬間、レッサーオーガがケイトリーに飛び掛かってくる。
初心者の相手として生み出された雑魚なだけあり、その動きはドタドタとして、軽快とは言い難かった。
武器スキルもなく、振り上げられた木の棒に迫力はない。
しかし、食らえば痛いと感じる程度の威力はあるし、当たり所が悪ければ骨折くらいはするだろう。頭などに受ければ、脳震盪を起こすこともあるはずだ。
小学校高学年の男子が、角材を振り回しているようなイメージかね?
鎧を着込んだ大人ならどうにでもできるし、フランなら指先一つで倒せる相手である。
しかし、ケイトリーには恐ろしい魔獣に見えているようだ。顔の迫力だけではなく、明確な敵意が向けられているこの状況に恐怖を覚えているのだろう。
レッサーオーガに怯えたケイトリーは、剣術など使う余裕もなく、手に持っていた剣を思い切り振り回した。
「いや!」
「ギィ!」
リーチが長い分、ケイトリーの剣が先に相手に届く。ほんの僅かに皮膚を掠っただけだが、レッサーオーガは悲鳴を上げて後退していた。
その皮膚には、薄く赤い線が入っている。まともな防具もないのだ。少しでも剣が当たればそうなるのは当然だろう。
「ギギギャッ!」
自らの傷を手で擦り、指についた血をベロリと舐めとる。それで、改めて自分が怪我をしたと理解できたのだろう。苛立たし気に、手に持った棒で地面をバンバンと叩いている。
「うぅ……」
「ギギィ……」
魔獣の放つ気配に怯えるケイトリーと、剣を警戒するレッサーオーガ。
両者の間に妙な緊張が流れ、数秒の膠着が生まれる。
フランは見守るだけだ。手出しをせず、ケイトリーに乗り越えさせようというのだろう。
だがそこに、俺たちも予想もしなかった横槍が入っていた。
通路の奥から飛んできた赤い光が、レッサーオーガの頭部を消し飛ばし、倒してしまったのだ。
明らかに流れ弾ではなく、レッサーオーガを狙っていた。勿論、俺にもフランにも、通路の奥に他の冒険者がいることは分かっていた。
だが、まさかこっちに介入してくるとは思わなかったのだ。もしや、オーレルが心配していた誘拐目的の盗賊冒険者か?
「ケイトリー、後ろに」
「は、はい」
俺もフランも、軽く身構えながらこちらに向かってくる気配に注視する。
(師匠、この気配……)
『ああ、間違いないと思う。あの時の赤毛の女だ』
俺たちの予想通り、通路の向こうから姿を現したのは、バルボラの料理コンテストでフランと牽制し合い、ちょっとした騒ぎを起こしたあの女性だった。
「よお。大丈夫だったかい?」
「えっと……」
「おや? そっちのガキは……屋台の」
「姉御、黒雷姫っすよ」
「そうそう。ランクB冒険者だってね?」
フランの気配に気づいていなかったはずはないと思うんだが、本気で驚いているように見える。ある程度強い人間がいることは分かっていても、それがフランとは気付かなかったってことか?
この女性レベルの強さがありながら、索敵能力が低い冒険者などいるだろうか?
一緒にいる男の方も、やはりフランだとは分かっていなかったらしい。顔を見て驚いた様子だ。
鑑定してみると、名前はシビュラとビスコットとなっている。だが、どこまで本当かは分からない。
確実に鑑定偽装しているのだ。2人とも能力の所々に文字化けがあるし、明らかにステータスやスキルレベルが低すぎた。2人も偽装能力持ちが揃うとは思えないから、なんらかのマジックアイテムの効果だろう。
それを揃えることができるだけの伝手があるってことだ。
「……なんで邪魔をした?」
「邪魔ぁ?」
フランが女に向かって、多少堅い声で問いかける。相手の意図が読めないからだろう。
「ガキがヤバそうだったから助けただけだよ? そもそも、なんであんたが助けに入んないんだい?」
「今は訓練中」
「訓練って……。その程度の実力じゃ、まだ基礎訓練でもしてる段階だろ? 実戦に出るには早すぎる」
「それはそっちが決めることじゃない」
「はぁ? だいたい、なんでそんな睨まれなきゃならん? 助けてやったんだぞ?」
「大きなお世話」
完全なるマナー違反だが、シビュラは何が悪いのか分かっていないらしい。本気で首を捻っている。
「ああ! シ、シビュラの姉御!」
「どうしたんだいビスコット?」
「そういえば、ダンジョンの中で他の冒険者を助けるには、必ず確認してからにしろって話だったんじゃ……」
「そうだったか?」
「そうっすよ。クリッカが言ってました」
こいつら、本当に冒険者じゃないっぽい。傭兵か、お忍びの騎士とかか? 柄は悪いが、一応ケイトリーを助けようとしたっぽいしな。
「だとしても、やっぱその娘がここに入るのは早いんじゃないか? 弱すぎだ。無理やり連れてきて、完全に怯えてるじゃないかい」
「……む、無理やり連れてこられてません……」
弱いと言われて、ちょっとムッとしたのだろう。ケイトリーがフランの背に隠れつつも、シビュラに向かって言い返した。
「はぁ? 本当かい?」
「ん」
「本当です……」
途中、フランに抱えられて運ばれはしたが、ダンジョンに入ること自体は事前に了解をしている。いくらフランだって、本人が嫌だというのであれば、ダンジョンに連れ込んだりはしないのだ。
まあ、ダンジョンを嫌がる冒険者志望なんぞいないと思うので、ある意味拒否するわけのない確認ではあったが。
ケイトリーはダンジョンに入るという覚悟を決めて、フランに従っているのだ。
「悪いことは言わない。今日は帰んな。そんで、剣術の腕を磨いて、もう少しましな鎧でも着てからくるんだね。まだ若いんだ。時間はあるさ」
優しい声色で諭すように語りかけてくるシビュラ。
その行為はダンジョンの外で、一般人相手であれば褒められる行為だろう。しかし、冒険者や冒険者志望の人間しかいないダンジョン内においては、大きなお世話なのであった。
そもそも、ケイトリーの事情を分かってもいないのに非常に上から目線で、相手の覚悟を無視しているとも言えるだろう。ケイトリーもそれが分かり、悔し気だ。
弱いと言われて当然の実力しかない自分と、自分の覚悟を蔑ろにしたシビュラ。両方に怒りを覚えているのだと思われた。
「……ケイトリー」
「は、はい。なんでしょうお姉様」
「どうする?」
「え?」
「帰る?」
拳を握りしめて俯くケイトリーに対し、フランは慰めの言葉を掛けなかった。それどころか、帰るかどうかを問いかける。まるで、諦めたらどうだと言いたげにすら思える声で。
心が折れかけているケイトリーにとっては、甘く、それでいて厳しい言葉だろう。完全に心が折れて、フランの言葉に頷いてもおかしくはない。
しかし、ケイトリーは首を振り、顔を上げた。さっきよりも、良い顔をしている。
「……帰りません。私は、自分の意思でここに来ました。帰る時も、自分の意思で帰ります。冒険者になる覚悟が決まっているのか、諦めているのかは分からないですけど……。それを決めるのは、私です!」
「ん」
そんなケイトリーを見て、フランはどこか満足げに頷くのであった。




