685 ケイトリーがんばる
フランに慎重さの重要性を教えられ、気合を入れ直したらしいケイトリーは、再びダンジョンを進み始めた。
より一層周囲に気を配っている。
しかしダンジョンの脅威は、素人が少し頑張った程度で回避できるほど甘くはなかった。バシバシと罠に引っかかる。
それでも泣き言も口にせず、額の汗を拭いながら黙々と進むケイトリーの前に、新たな脅威が姿を現していた。
「あ、あれは!」
「ん。魔獣。隠れウサギ」
「あれが魔獣……」
隠れウサギは、脅威度Gの雑魚魔獣だ。どれくらい雑魚かと言えば、俺たちが知る限り最弱の魔獣と言えるレベルである。
穴を掘って隠れるのが得意なんだが、こうやって石造りのダンジョンに出現した場合はただの動きが鈍いブサイクウサギでしかなかった。
多分、魔獣じゃないただの野犬にさえ負けると思う。だからこそ初心者ダンジョンの1階に相応しいとも言えた。
こいつに負ける冒険者は絶対にいないからな。魔獣を倒すことに慣れてもらうための存在なのだ。
「そいつを剣で倒す」
「はい!」
罠で嫌がらせをされるだけの苦行の時間が終わり、冒険者らしい展開になったことが嬉しいのだろう。ケイトリーが元気な声と共に鉄剣を抜き放った。
そして、ケイトリーが隠れウサギに斬りかかる。
「たぁぁ!」
「ピギィー!」
「や、やった!」
お嬢様であっても、そこはこちらの世界の住人で冒険者志望。ウサギさんを攻撃できないとか、血が怖いなどの世迷言を口走ることもなく、無事に魔獣を倒していた。
「ん。よくやった」
「はい!」
フランも満足そうにうなずく。この段階で才能のあるなしは分からないが、基本に忠実な斬撃ではあった。才能ゼロではないだろう。
その後、フランの指示でウサギを解体し、肉や魔石を背嚢に仕舞うケイトリー。次元収納などで甘やかすつもりはないらしい。
重みを増した背嚢を背負い直しながら、ケイトリーがいい笑顔で笑っている。自分で仕留めた魔獣を解体し、一仕事を終えた気持ちなんだろう。
しかし、さっきも言った通りここはまだまだチュートリアル。本編はここほど生ぬるくはないのだ。
「1階はこのくらいでいい、次に進む」
「わ、わかりました」
「少し急ぐ。おぶさって」
「え?」
フランが屈んで、ケイトリーに背を向ける。だが、ケイトリーは遠慮と困惑のせいで固まってしまい、動けなかった。
「ケイトリー?」
「え、でも……」
「ふむ」
いつまでも動かないケイトリーに業を煮やしたのか、フランは背負うことを断念したらしい。ではどうするのか?
「きゃっ!」
「舌を噛まないように気をつけて」
フランがケイトリーを小脇に抱え、彼女の返事を待たずに走り出す。
「きゃぁぁ!」
「ここはまだいいけど、下の階に行ったら魔獣を引き付ける。悲鳴は上げないほうがいい」
「ひぅ……」
おお、ちゃんと口を噤んだ。この状況で、きっちりフランの言うことを聞くとは……。冒険者になりたいというのが、生半可な覚悟ではないということは伝わってくるな。
そんなケイトリーに罠の存在を教えたりしながら、フランは駆け続ける。
時には罠を回避するために壁や天井を蹴って立体的に動き、魔獣を蹴りで仕留めながらも、一切足を止めない。
「……あ、え! うわぁっと!」
ケイトリーは目まぐるしく変わる周囲の景色と、全方向からかかる負荷によって平衡感覚を失ってしまったらしい。
グルグルと回る目で周囲を見回しながら、悲鳴を上げている。
「……ふわぁ」
最終的には口を半開きにしたまま、呆けた表情になってしまった。気絶はしていないが、思考停止状態に陥ったのだろう。
そして、30分後。
フランはあっという間に2階、3階も踏破し、4階の入口へとたどり着いていた。
このダンジョンで言えばここからが中盤だ。これ以上先へ進むには、全員がランクF以上か、ランクEが付き添うことが推奨されている。
1~3階の初心者向けのアトラクション的階層と違い、ここからは真の修練場。素人が油断していれば、命を落とす可能性があった。
その原因としてもっとも多いのが、フランたちの目の前にいる魔獣だ。
「あ、あれって……」
「ん。レッサーオーガ」
腰蓑1枚に細い木の棒だけを持った、赤茶色の皮膚の獣。身長は150センチもない。その名の通りオーガの下位種で、オーガを痩せさせて、小さくしたような姿をしていた。
ルミナは本来であれば、弱く調整したゴブリンを配置したかったらしい。だが、混沌の女神に何かされたのか、邪人をダンジョンで生み出す際に大きな力が必要になってしまったという。
雑魚ゴブリンを大量に生み出して、黒猫族を高速育成するという計画はやる前から失敗してしまったようだ。
そんなゴブリンの代わりに、ルミナがダンジョンに配置したのが、最弱設定にしたレッサーオーガというわけだった。その戦闘力はゴブリン並だ。
そいつが通路の真ん中に陣取り、こっちを見つめている。
「グギャ!」
「ひっ!」
レッサーオーガの声を聞いたケイトリーが、短く悲鳴を上げた。
確かに、子供からしたらかなり怖いだろう。体の大きさもそこまで変わらないうえに、凶悪な面構えをしているのだ。しかも武器を持ち、こっちに対する強い敵意を剥き出しにしている。
ニホンザルなんかでさえ、人間に大怪我を負わせられるのだ。もっと大きなレッサーオーガであれば、その危険性はサルなどを遥かに超えるだろう。
フランは最初から殺る気満々の魔獣殺すマンだった。そのせいで俺も勘違いしていたが、いくら殺伐としたこっちの世界と言えど、普通の子供ならケイトリーのような反応が当たり前なのかもしれない。
「あれは弱い」
「そ、そうなんですか?」
「ん。初心者でも勝てるようになってる。だからがんばって」
「え?」
「だいじょぶ。死ななければ治す」
「え? え?」
「グギャギャ!」
そんな話をしている間にもレッサーオーガはフランたちを獲物と定めていた。雑魚過ぎるが故に、フランの強さを感じ取れていないのだ。
向こうからは、柔らかい肉の獲物が2匹に見えているんだろう。
「くる」
「ギャギャオオォ!」
「きゃぁぁっ!」




