678 少女と女
「はいどうぞ! こちら元祖カレースープです!」
「お肉たっぷりカレースープ! 1杯200ゴルドです!」
「おいしいですよー」
料理コンテスト最終日。黒しっぽ亭の屋台の前には凄まじい行列が出来上がっていた。
300人以上が並んでいるだろう。
『この値段でも売れるもんだな』
(おいしいから!)
コップ1杯のスープで200ゴルドはかなり強気な値段だ。安宿一泊分の値段である。イオさんのスープが例年10ゴルドだということを考えれば20倍の値段だった。
だが、これでも儲けは薄いのだ。何せ料理ギルドを通じて欲しいスパイスや食材を好きなだけ集めてもらってしまったからね。試作品の製作だけでもかなり散財した。
知識にだけあった魔力野菜やブランド食材。希少なスパイス。そういったものを使いまくった結果が、1杯200ゴルドという値段だった。
肉はこっちで用意した物を使っているから実質タダだ。魔獣肉まで購入していたら300ゴルドを超えることになっていただろう。
それでもそこそこ売れるんじゃないかと踏んでいたんだが、実際は想像以上の大盛況だった。
カレーの元祖という看板。去年活躍したことによる口コミ。冒険者たちの情報網。料理ギルドの大々的な宣伝。商人のネットワーク。イオさんの知名度。
それら全てが合わさり、予想を遥かに超えるお客さんが詰めかけていた。行列が凄まじ過ぎて、すぐに売り子さんを増員して、レジを増やしたほどだ。
それでもこの行列なのである。
「うう、行列が終わりません……」
「前回よりも大変ですー」
「うう。黒雷姫に騙された」
人聞きの悪いことを言うなリディア! むしろ賄い食わせてやるって言ったら、飛びついてきたのはお前らだろ!
前回も売り子を手伝ってもらった緋の乙女の3人も、速攻で招集している。というか、最初の方でお客さんとして買いにきたので、そのまま売り子として雇ったのだ。
嘘をついて無理やり売り子をさせたりは断じてしていない。ただ、賄いは仕事が終わった後だとは言わなかっただけである。いや、当然だろ? なんでまだ働いてもいない相手に賄いを出さなきゃならん?
因みに今回うちの屋台で提供しているのは、ホクホク野菜とゴロゴロお肉のスープカレーだ。厚紙のコップに入れ、蓋代わりにパンを被せて販売している。
イメージ的には、ロールパンよりも少し大きめに焼いた丸パンを上下に切って、それをコップの上から強めに押し付けて蓋みたいにしていると思ってくれればいい。
これならカレーも零れないし、パンも一緒に売れるのだ。
辛さは普通、激辛、竜辛の3種を用意している。どれもフランとウルシのお墨付きももらった、絶品スープカレーだ。
だが、竜辛はほとんど冒険者専用だな。去年と同様、これくらい食べられなきゃ冒険者として恥ずかしいという噂が流れているらしい。
今年もコルベルトの仕業かと思ったが、今回はそんな噂流していなかった。どうも、去年竜辛を食べた冒険者たちが勝手に言い出したことであるようだ。
これ、このまま伝統みたいなノリでバルボラに根付いたりしないよな?
辛い物が苦手な冒険者たちよ。済まぬ。
ここ数日でほぼ全ての屋台を制覇したフラン曰く、ライバルになりそうなカレー料理は数品。互角なのはフェルムスの出しているカレー竜膳スープだけであるそうだ。
あのフランが互角と言うんだから、本当にそうなんだろう。やるな、フェルムス。既に、スパイスの調合はものにしたらしい。
ていうか、実質俺の負けじゃね? こっちは制限なしのうえに元祖なのだ。対するフェルムスは屋台としての利益を追求しつつ、僅か1年で俺と互角のスープを作り出している。
くっ! やるなフェルムス! フランのためにも、まだまだ精進せねば!
そんなことを考えていると、不意にフランの気配が揺らいだ。動揺とまで行かないが、少しの驚きと、戦意だろうか?
ほんの数ミリの重心の変化。体が思わず臨戦態勢に移行しようとしたらしい。
だが、それも無理はないだろう。
「へぇ。これがカレーって奴ですかい? 確かにいい匂いだ。ねぇ、姉御?」
「ああ。美味そうだねぇ」
今、カレーを受け取っている2人組。特に赤髪の女性の方の発する物騒な気配に反応してしまったのだ。
道端ですれ違ったら、喧嘩を売られているとでも思ったかもしれない。それくらい、攻撃的な気配を身に纏っていた。
売り子をしていた冒険者3人組が、完全に委縮してしまったぞ。
女性は値踏みをするように、緋の乙女の3人を見つめている。リディア、マイア、ジュディスと視線を移し、すぐに興味を失ったのだろう。
次にフランを見つめてきた。
「……」
「……」
うわー、なんだよこの女。一瞬、獣王と初めて出会った時のことを思い出したぞ。それほどに女の瞳の放つ威圧感は、猛々しい。獰猛とさえ言えるかもしれない。
そして、その身に秘めた強さも、相当なものだろう。それも含めて、獣王と重なったのだ。もし気配が似ているだけであったら、メア辺りが思い返されたと思う。
そうではなく、無意識に獣王を思い出したということは、つまり俺がそれほどの危険性をこの女に感じたということである。
フランも女を見つめ返す。
お互いに、威圧感を叩きつけ合っているわけではない。ただ、値踏みし合う両者が醸し出す微妙な牽制の雰囲気が、一般人には十分威圧になっているというのが問題だった。
2人が目を合わせたのは一瞬だろう。しかし、不自然な騒めきが上がる。訳も分からず店員を急かす者や、急に寒気を感じて声を上げた者など、理由は様々だ。しかし、口を開いて何か音を発さずにはいられないのだろう。
何が起きたか分かっている人間はほとんどいないと思うが、その場が危険であると本能が理解したらしい。
数少ない場の理解者である冒険者たちは、その逆だ。フランと女の実力を前に、黙り込むことしかできない。
しかし、異変が起きたのはその数秒間だけであった。
「……」
女はカレーを受け取ると、そのまま屋台から離れていったのだ。フランも女も、すれ違ったヤンキーがガンをつけ合うように自然に牽制し合ってしまっただけだったからな。
そもそも、2人が本気で威圧感をぶつけ合っていたら、パニックが起きていただろう。
『……なんだったんだあの女。冒険者か?』
(強い)
『ああ、だな』
後で、誰かにあの女の情報を聞いてみるか。間違いなく、有名な冒険者だろうからな。
 




