665 レーンと学院
ウィーナにゴルディシア大陸行きを提案されたフランだったが、少し悩んでいるようだ。
『何か気になることがあるのか?』
「ん……。レイドス王国。ほっといてもいいの?」
『まあ、確かに気にはなるが……。でかい国相手に、俺たちだけでできることなんかないだろ?』
あの国に冒険者の入国は認められていないし、潜入したとしても何をする? 広い国内を隠れて移動しながら、どこにいるかもしれないネームレスやゼライセの関係者を探すのか?
下手したら国全てが敵に回る状況で?
いくらなんでも無謀すぎる。国外でネームレスを捜すとしても、どこに行けばいいかも分からない。
「レイドス王国に関しては、私から各国、各ギルドに連絡してある。そっちの反応を待ってからでも遅くはないわ。今すぐレイドス王国を滅ぼしたいわけでもないのでしょう?」
「ん」
「いずれは、奴らにもかならず落とし前を付けさせる。あなたの力を借りる時が来るわ。それまでは、我慢しなさい」
ウィーナは、自分たちにちょっかいを出してきた相手に容赦はしない。自分で制裁をする力がなくなったとしても、なんらかの方法でレイドスに対抗するつもりであるようだった。
「わかった」
フランにとってレイドス王国は、自分の周りに迷惑をかける嫌な国だ。だが、憎んでいるとか、滅ぼしたい相手というほどではなかった。
せいぜいが、痛い目を見ればいいのにくらいの感情だっただろうか?
まあ、今までは、だが。
ゼライセと手を組み、ネームレスを生み出し、ジャンを狙っているという情報もある。フランにとってレイドス王国の権力者の一部は、倒さねばならない相手になっていた。
とはいえ、フランも自分一人でどうにかしようとは思っていない。ウィーナが動くというのであれば、それを待つことはできる。
「じゃあ、ジャンに伝言だけ届けたい」
「あなたが言っていた、ネームレスというデミリッチについてね?」
「ん」
「それも任せておきなさい。あなたから得た情報は、ギルドに全て伝えておくから」
「お願い」
ウィーナは冒険者ギルドにも影響力があるだろうし、任せておいて問題ないだろう。
そうしてウィーナと今後のことを話していると、部屋に新たな人影が現れた。
だが、扉は一切開閉されていない。
突如、湧き出るように出現したのだ。
「フラン、私からもお礼を言わせて。あなたのおかげで、無事に守護精霊になれたわ」
「レーン」
それは、学院の精霊として契約をし直したレーンであった。
ウィーナレーンと大魔獣に分散していた力を取り戻したとはいえ、その肉体はすでに消滅し、精霊として存在が定着してしまっている。
ハイエルフに戻ることは不可能だという。
ウィーナはなんとか肉体を取り戻す方法を探そうとしていたが、それを拒否したのはレーン本人だった。
レーンが精霊化したのは、大魔獣の中に取り込まれた湖の精霊と契約を結び、一体化したからだ。
つまり、彼女の半身は湖の精霊のものでもある。精霊というのは人とは全く違う思考をするし、意識の在り方も違う。レーンと同化したとしても、湖の精霊がそれを嘆いているわけでもない。
だが、レーンとしてはこのまま精霊として、ウィーナの側にいることを選びたいということだった。それがけじめだからと。
『だが、ウィーナと契約するんじゃなくて、学院の守護精霊になったのはなんでだ?』
「それだと私とウィーナの間に上下関係が生まれてしまうでしょ?」
『学院の院長と守護精霊でも、上下関係はあるんじゃないか?』
「そこは平気よ。定められたルールの下に、私もウィーナも平等だから」
「平等に、学院に縛られているとも言えるわね」
俺が知る限り、この学院はこの世界でもっとも厳格に法が適用される。多分、ウィーナレーンが自らが暴走しないように、自らの意思よりも守護精霊が守るルールが最優先される作りにしたんだろう。
これなら、将来的に彼女以外が学院長になったとしても、横暴を防ぐことができる。権力者の気分次第でいくらでも法が捻じ曲げられるこの世界において、稀有な場所と言えた。
「正直、レーンも戻ってきて、私としてはもう学院長職を退いてもいいのだけれど?」
「だめよ。せっかく夢が叶ったのだから」
ウィーナの言葉をレーンが否定する。学院に縛られることが夢? どういうことだ?
フランも意味が分からないらしく、首を捻っていた。
「夢?」
「そう。いつか学校を作って、子供たちに囲まれて過ごすのが夢だったの」
そういえば、まだ分離する前のウィーナレーンだった時に、そんなことを叫んでいたな。レーンのために学院を開いたと。
「レーンはね、子供の守護者の称号を持っていたこともあるのよ」
子供の守護者! アマンダが所持している、子供好きの子供好きによる子供好きのための称号だ。
それを持っていたということは、本当に子供が好きなんだろう。
『でも、守護精霊と先生じゃ、かなり違うんじゃないか?』
「まあ、ちょっとだけ違う形だけど、子供を見守ることができる立場だもの。満足よ」
本当にそれでいいのかと思ったが、レーンの表情は満足そうだった。先生になるというよりも、子供たちをそばで守り続けるということが重要なのだろう。
エルフで子供の守護者。アマンダにそっくりだな。そのことを告げると、驚きの言葉が返ってきた。
アマンダはウィーナレーンの子孫だという話だったが、正確にはレーンの子孫だという。アマンダがウィーナレーンのことを嫌っているのは、まるでウィーナがレーンを取り込んだように見えるからというのも、大きな理由であるらしい。
まあ、本当は子供好きじゃないのに、学院長なんてやって子供好きのふりをしていたのが一番の理由だろうが。
『ま、レーンが喜んでいるんならそれが一番か』
「うふふ。ここ数千年で、今が一番楽しいわよ」
「ん。それはなにより」
レーンの顔には、以前のようなミステリアスなアルカイックスマイルではなく、人間味のある温かい笑みが浮かんでいた。
聖母というには親しみやすく、若い外見にしては安心感のある、まるで優しい学校の先生のような笑顔だ。
これが、本来のレーンの笑顔なのだろう。
小学校の時にこんな先生がいてくれたら、もっと学校が好きになれたかもな。




