649 ゼライセとゼライセ
「え?」
ゼライセの体に、無数の触手が絡みついていた。
レーンが吹き飛ばした触手が、再生して伸びてきていたのだ。
無論、ゼライセやネームレスはずっと回避し続けていた。だが、ウルシに伸ばされた触手の軌道に、俺がゼライセを引きずり降ろしてやったのである。
これで倒せるとは思っていないが、俺たちが逃げる時間くらいは稼げるだろう。
「今のは……? ちぃぃ!」
自らの体に巻き付く触手を振り払おうと、ゼライセが体を捩る。透過して逃げられるかと思ったが、その気配はない。
ゼライセは、引きずり降ろされないように、宙で踏ん張っている。再生にも魔力を回さなくてはならないだろう。さらに、群がる触手を薙ぎ払うためにも魔術を使っている。
あの状態では即座に透過はできないようだった。
ダメ押しを食らわせるチャンスである。
『少しでも……ダメか!』
「むぅ……」
「グル……!」
追撃できる力が残っているのはウルシだけだ。その傷も、俺とフランがありったけのポーションを振りかけたことで、かなりマシになって来ていた。
だがそのウルシも、逃げるための余力を残すため、遠距離から魔術を放つくらいしかできていない。
俺たちも、奥義を放って消耗した今のウルシに、無理に追撃しろとは言えなかった。
「ぐがっ! くそくそくそぉぉ!」
まあ、ウルシの魔術はかなりの嫌がらせにはなっているだろう。しかし、俺たちはこれ以上この場に留まるわけにはいかない。
「くかかかかか! 間抜けな姿であるなぁ! ゼライセよ!」
「いいから早く助けてよっ!」
「くかかか!」
時間切れだ。ネームレスがやってきてしまった。
さすがのウルシも、フランと俺を背に背負って庇いながら、ネームレスに勝つことはできないだろう。
ここは、奴らが油断している隙に逃げるべきだ。ウルシも分かっているのか、ジリジリと後退している。
しかし、その直後であった。
目の前で、信じられない光景が繰り広げられる。
「くかかかかか! そんなに助けてほしいのか?」
「ぐがっ?」
「そんなに不思議そうな顔をして、どうしたのだね? 錬金術師殿?」
「……は、はは。こんな時に、冗談はよしてほしいね」
ゼライセを助けるどころか、ネームレスがゼライセの首をいきなり掴んだ。耳障りな哄笑を上げながら、ギリギリと力を込めている。
ゼライセが苦しそうな顔をしながらも、まだ多少の余裕がある態度で返すのだが……。
「ふん。冗談ではない。ゼライセよ」
「がはぁっ……」
澱みに溜まった黒いヘドロみたいに、汚い色をしたオーラのようなものが、ネームレスの腕から溢れ出した。
直視しているだけで、胸の奥がザワザワとした不快感に満たされる、悍ましいナニか。
どこかで見たことがある気が……。そうだ! 浮遊島だ! リッチから溢れ出した怨念に似ているのだ!
ただし、こちらの方が数段恐ろしさが上である。怨念を煮詰めて濃縮したら、ああなるかもしれないな。
怨念がゼライセの体を這いまわり、次第に覆っていく。
「く、そっ……?」
ゼライセが、魔剣ゼライセを振り上げる。だが、剣は何も反応しなかった。まるで物言わぬただの剣になってしまったかのようだ。
「え……?」
「くかかかか! くかかかかかかかぁっ! 残念だったな! 貴様には力を貸したくないとさぁぁ!」
「馬鹿な……」
「このまま怨念漬けにして、我が下僕に……ふむ? そうかね? なるほど、存在そのものが許せんと?」
「誰と……話して……」
「くかか。誰? 貴様の分身とだよ?」
ネームレスの言葉に、ゼライセが自らの手に握られた剣に視線を落とす。その直後だった。
「まあ、いいか。とりあえず、この剣は回収しておかねば」
「あ……」
ネームレスが、ゼライセから魔剣を取り上げる。しかし、剣は全く無抵抗であった。インテリジェンス・ウェポンなら攻撃だってできるはずなんだが……。
しかし、剣がネームレスを拒否するような様子は見られない。
「剣も、貴様が目障りであるとさぁ! くかかかか! 何故か分からぬという顔をしておるなぁ!」
「……な、ぜだい? 僕らは、分かり合えていたはずだが……」
「貴様も、人の体を失ってみれば分かると思うぞ? 自らのアイデンティティは、自我を保つためにはなかなかに重要であるのだよ。剣のゼライセが唯一となるためには、貴様が目障りということだ」
「……はは、そうかい。剣になったことで、結局違う存在に……そういう……」
「その好奇心への貪欲さ、嫌いではないが……。我が目的の成就のためには、貴様の存在はやはり目障りだ。我らのために、死ぬがいい」
ゴギン!
ネームレスが掴んでいた手に力を込めると、極あっさりとゼライセの首が潰れ、頭部がガクンと横に倒れ込む。
「くかかか、さらばだ。狂った錬金術師よ」
ネームレスがその手を放すと、ゼライセの体が大魔獣目がけて落下する。まだ死に切っていないようだが、さすがに身動きできないのだろう。
そして、そのまま触手に捕らわれた。絡みつかれ、凄まじい力に圧縮されながら、ゼライセが大魔獣の中に飲み込まれていく。
肉と骨が潰れる音は、巨大な生物が食べ物を咀嚼しているかのようであった。
ゼライセの気配はおろか、生命力さえ微塵も感じられない。
死んだ……のか? あのしぶといゼライセが?
だが、俺たちには混乱している余裕さえ残されていなかった。
「オン!」
ウルシが警戒するように、一咆えした。
『くっ! ウィーナレーンのいる場所、魔力が凄い! もう、くるぞ!』
ネームレスがこっちに来る前に、俺たちは全速力でその場を離脱するのであった。
次回は9/4更新です。