645 生きていた男
大魔獣と距離を取るべくウルシに指示を出す。その直後、大魔獣の体から凄まじい魔力が放出された。
「「「うががががががああああ!」」」
全ての口が野太い悲鳴を発し、まるで苦しんでいるかのようにその巨大な体を捩る。
「キャインィ!」
『くぅぅ!』
大魔獣が全身から放った凄まじい魔力の波に晒され、ウルシが悲鳴を上げながら魔力障壁を全開にした。
力を使い果たした俺とフランは何もできない。ウルシに頼るしかなかった。
「ウルシ、がんば……」
『頑張れ!』
「ガルルルルオオォォ!」
ウルシが障壁をさらに分厚くし、その場で踏ん張る。
「グルウゥゥ……」
その間にも、大魔獣の全身から幾万もの触手が生み出され、その触手が捻じれ合いながらむちゃくちゃに振り回されている。
時おり障壁が触手によって打ち据えられるが、ウルシは歯をくいしばって耐えていた。
暴走しているというよりは、痛みで我を忘れて足掻いているように思える。
「「「「あがぉおぉぉぉぉぉっ!」」」
「おっきく、なった」
『……レーンが分離したからか?』
暴れる大魔獣の体積が、一気に増えているのが分かった。俺たちの付けた傷は未だに残っているが、大魔獣の体が膨れあがっているせいで相対的に小さく見える。
レーンの姿は見えないが、彼女が分離したのだとすれば、大魔獣の力が一気に増したのもうなずける。
彼女が大魔獣の力を封印し、弱体化させていたのだから。
「「「うごろおおぼおぉぉぉぉぉ!」」」
『な、なんだぁ?』
魔力の波が収まり、今度は大魔獣の体の膨張が加速度的に進み始めた。しかし、その様子がどうもおかしい。
ブチブチミチミチという、肉が千切れるような音が聞こえ、それと共に大魔獣の肉体がいたる所で裂けているのが見えた。その裂傷から溢れ出した大量の赤黒い液体が、周囲にまき散らされている。血液か?
明らかにダメージを受けていた。だが、すぐに裂傷は再生し、また新たな裂傷が生まれていた。その間にも、大魔獣の肉体は肥大化を続けている。
もしかしたら、無理に封印から抜け出そうとしているのではないだろうか? 今までは、弱まった封印を少しずつ押し広げ、無理せずに脱出を狙っていた。
しかし、事態が急変する。自らに痛撃を与える存在の出現と、レーンによる弱体化の消失。結果として、大魔獣は封印からの脱出を優先したのでは? 自傷ダメージを負ってでも、力を取り戻すことを優先したと考えれば、この様子も納得できる。
『どう思う?』
《是。同意します》
『それってやばくない?』
腕一本分でも、あんな規格外だったんだぞ。俺たちとシエラたちが全身全霊をかけても、倒しきることができなかったのだ。
それが、多少弱体化するとは言え、完全復活してしまったら?
これは、早々にウィーナレーンの奥義とやらで止めを刺してもらう必要がありそうだった。いや、すでに準備を始めているはずだ。
『ウィーナレーンなら俺たちごと攻撃してもおかしくない!』
「オン!」
フランはウィーナレーンをどう思っているか分からないが、俺のあの女への評価はかなり下方修正されている。
逆に、多少不信感があったレーンへの好感度は、メチャクチャ上昇しているが。
自分でもチョロイと思うけどね。
だが、逃げ出そうとしたウルシの進路を遮る影があった。明らかに、こちらを妨害しようという意思が見える。
その影が、こんな状況下とは思えない気楽な様子で声をかけてきた。
「やあ、フランさん。その剣、ちょっと僕に貸してくれない?」
「!」
『やっぱ死んでなかったか!』
「……ゼライセ」
そこにいたのは、ニヤケ面のイケメン青年。ゼライセであった。右手に極彩色の魔剣・ゼライセを提げ、こちらを見つめている。
「あの時、僕に話しかけてきた男の人。あれ、その剣の化身体か何かだよねぇ?」
「なんのこと?」
「ふふ。言いたくないならいいよ? その剣を分解してみればわかることだもんね」
フランが殺気を放つが、斬りかかるようなことはしない。今の俺たちはボロボロで、とてもではないが戦闘などできないのだ。
それに、ゼライセは1人ではなかった。
奴の隣には、黒いローブを着た魔術師が、静かに浮かんでいる。
微弱な魔力しか感じられないことが、逆に不気味であった。
その漆黒のローブの内側から、髑髏の虚ろな眼窩がこちらを見つめている。
その髑髏の顔は、仮面ではない。そいつは、正真正銘のアンデッドであった。魔力の質が、明らかに人とは違っている。
しかも、まともなアンデッドではない。
その髑髏に開いた二つの穴は、まるで底なしの闇が詰まっているように見えた。その闇の中から今すぐに何か不吉な物が溢れ出して、こちらを飲み込んでしまいそうな、不思議な恐ろしさがある。
フランが、ブルリと背筋を震わせた。俺と同じで、何かを感じ取ったのだろう。
得体の知れなさと、見ただけで感じた凶悪さ。絶対に強い。
実力がハッキリと感じられないのは、アンデッドでありながら自ら力を隠蔽できるだけの腕と理性を持っていると言うことだった。
「くかかか――」
その不気味なアンデッドが、しゃがれた声を上げる。
「くかかかか! まさかこのような場所で貴様らに見えようとはな!」