640 もう一組のフランと師匠
「ガルルルオオオオオオオ!」
「はああああああああああ!」
ウルシの前足によってフランが撃ち出されるのと、ほぼ同時だ。俺は必要最低限の魔力を残して、全ての魔力を剣身に伝導させた。
さらに形状を刀化させつつ、念動や魔術でフランの加速を後押しする。覚えたばかりの生命魔術などでのサポートも忘れていない。
潜在能力解放状態であるおかげで、それらの行動は非常にスムーズであった。
その代償は大きいが……。
『ぐぅぅぅ……!』
耐久値はすでに半減だ。
(師匠?)
『大丈夫だっ! いけ!』
(ん!)
思考加速で極限まで引き延ばされた時間の中でも、フランの突進速度は凄まじい。周囲の景色が高速道路のように流れていく。
フランが俺を大上段に構えた。
このまま剣神化を――。
《時空間の揺らぎを確認》
『は――?』
(!)
アナウンスさんの声が聞こえた瞬間だった。
時が止まった?
いや、違う。俺たちの知覚だけがさらに加速したのだ。そのせいで、周囲がまるで止まって見えるほどの時間差が生まれたのである。
だが、なぜ?
元々、時空魔術を使って限界ギリギリまで加速していたんだぞ? 潜在能力解放状態だからって、いきなりなんの前触れもなく、さらに加速するなんてありえない。
それも、ちょっと速くなったレベルじゃない。それこそ数百倍以上の知覚加速だろう。
(体、うごかない)
『俺もだ』
事態を把握しようと、周囲の気配を探る。だが、洪水のように押し寄せる膨大な情報を処理しきれず、俺は眩暈のような症状に襲われていた。
『く……』
(なんかいるよ?)
『フ、フラン、大丈夫なのか?』
(?)
俺でこれだ。フランはさらに酷い状態に陥っていると思ったのだが……。フランの念話からは、キョトンとした様子が伝わってくる。
平気なのか? 魔術の多重起動どころではない、凄まじい負荷が脳にかかっていてもおかしくはないはずだ。
「私が、手を貸したからよ」
『レーン! お前が何かしたのか!』
「ええ、そうよ。剣さんも――」
レーンがそう告げると、俺の視界が一気に白く染まった。その代りに、情報の濁流がピタリと治まる。なるほど。フランが平然としているのは、この状態であるからだろう。
(師匠、あれ)
『ああ、見えてるが……あれは、フランなのか?』
(師匠もいる)
俺たちの目の前に、俺たちがいた。まるで立体映像のように、僅か先の場所にその姿が映し出されている。
ただし、フランの格好が少し違っている。黒天虎装備に似てはいるが、スカートではなくズボンだし、細部もかなり違う。
一番目立つのは、左耳のイヤリングだろう。こっちのフランのような耳輪ではなく、青い宝石のあしらわれた耳飾りを付けていた。
しかも、その俺とフランには気配があった。虚像ではない。
その気配は、似ているけど微妙に違う、不思議な気配だ。
その気配を感じれば、俺は間違いなくフランだと判断するだろう。しかし、俺を構えているフランと、目の前に現れたフランを比べると、僅かに違いがあった。
直に比べられるからこそ分かる、本当に僅かな違いではあるが……。フランなんだが、俺の知っているフランではない。そんな、不思議な感覚だ。
それに、なんだあの凄まじい邪気は? 俺が発しているのか? だが、フランはその邪気に平然と身を晒している。それどころか、その邪気を操っているようにさえ見えた。
だが、今はそんなことどうでもいい。
『フラン! 大丈夫か! おい!』
耳飾りのフランは、全身が酷い状態だったのだ。体を過剰に強化し過ぎているのだろう。立っているだけなのに、反動でダメージを負い続けているようだった。
骨が軋む音が聞こえてくる。内部を流れる魔力の圧力で、全身に激痛が走っているのだろう。血涙を流しながら、歯を食いしばっている。その姿は、悲壮の一言だ。
耳飾りのフランはそんな状態で、もう1本の俺を構えていた。
なぜ、あっちの俺はフランを回復しないんだ! フランは、なんであんな状態なんだ? しかも、その状態から何か技を繰り出すつもりであるらしい。
俺を正眼に構えている。
俺の目には、真っ白な空間の中に、耳飾りのフランたちの映像が浮かび上がって見えている状況だ。その周辺がどうなっているのか、窺い知ることはできない。
向こうのフランたちから、俺たちは見えていないのだろう。反応は返ってこない。
『フラン! くそ! 回復魔術が発動しない! なんでだ!』
俺が歯噛みしていると、耳飾りのフランに動きがあった。悲し気な、そしてどこか自暴自棄な顔で、小さく呟く。
「師匠、いくよ」
『了解』
まるで、親しい人間が死んでしまったのかと思うほどに、沈んだ声と表情のフラン。その裏には確かに、言葉に表すことができない少女のSOSが込められていた。
誰か助けて
そんな声が聞こえた気がする。
だが、話すことができるはずの剣から発せられた言葉は、寒気がするほどに感情を感じさせない。
「師匠を開放したほうがいい?」
『俺は剣だ。判断する権利はない。フランが決めろ』
「師匠がどう思うのか、知りたい」
『使用した場合、奴を確実に撃破できるだろう。ただし、消耗によって、今後の戦闘に影響が出る。場合によっては命の危険もあるはずだ。使わなかった場合、撃破できるかどうかは分からない。ただし継戦能力は維持できる』
「そうじゃない。そういうことじゃない。師匠が、どっちがいいと思うか、聞かせて」
『その質問に回答する権限はない』
怒りで頭が沸騰しそうだった。
なんだアレは?
俺なのか? いや、あんなモノが俺だとは、絶対に認められない。
何をしているんだ! フランが泣きそうな顔で、頼ってくれているんだぞ?
助けろよ! 回答する権限がないじゃねーよ!
そこは「そんなもの必要ない! 俺が、なんとかしてやる!」でも「使って、一瞬で倒せばいい! 一緒にいこう!」でも、なんでもいい!
言葉をかけて、フランの不安を取り除いてやらなきゃいけない場面だろうが! 「心配するな」の一言だっていい!
俺は、あっちの俺に対して、思わず怒鳴り声を上げてしまっていた。
『おい! そこの馬鹿野郎! テメー! フランを泣かせてるんじゃねー! 俺でも許さんぞ!』
今年は父が亡くなった関係もあり、お盆付近で少しお休みをいただくと思います。




