630 したがえ
「師匠、いく!」
『おう!』
「はぁぁ!」
ウルシの高速移動の突進力も利用して、フランが俺を投擲した。
『ひゃっはぁぁ!』
念動を全力全開にした俺は、大魔獣目がけて一直線に突き進む。
迎撃するように伸ばされる、紐のような細さの触手。だが、その強度は見た目通り大したことがなかった。
俺は勢いのまま百を超える触手の包囲網をぶち抜き、大魔獣のグロテスクな巨体に突き刺さる。
『うぉおぉぉ!』
「ギュウオオオォォォオォオオオ!」
大魔獣の咆哮が聞こえた。苦痛というよりは、煩わしい感じか? 多少なりとも嫌がらせにはなっているようだが……。
先程のカンナカムイと同じ程度のクレーターができているが、明確にダメージを与えられてはいないらしい。
『破邪顕正を全開にしてもこの程度か!』
大魔獣の中の邪神の割合が少ないうえ、相手が高位過ぎるんだろう。
『ちっ! これは……!』
抉れた肉が一気に再生し始めた。このままでは、大魔獣の体内に呑み込まれてしまうだろう。明らかに、狙っている。
つまり、その程度の戦略を考える知性と理性があるということだ。
『くぅ……脱出!』
しかも、耐久値がかなり削られた。体液に、腐食や酸系の効果があるようだ。
転移で逃れると、すでに俺が開けた穴が閉じようとしていた。
『このデカさからしたら、あんな程度の穴は掠り傷みたいなもんか?』
改めて大魔獣の周囲を飛び回って、その姿を確かめる。
未だに触手が絡み合いながら、肥大化し続けている最中であり、肉塊としか表現できない姿だ。頭はおろか、手も足も、尾も翼もない。
紫、赤黒、灰色の触手で形作られた、グロテスクな高層ビルとでも言おうか……。
「グォ……グゴオォ……!」
『うん?』
大魔獣から、何やら異音がする。
唸り声?
口がどこにあるのかも分からないが、確かに声のように聞こえる。
「グガゴォオォ……グギャゴオオオォォォォォ!」
『うわ! キモ!』
異変が現れたのは、肉塊の頂上だった。空から見ていた俺の眼下で、一際激しく触手が蠢いたかと思うと、その下から何かがせり上がってきたのだ。
『口?』
「グギョゴゴォオォォオォ!」
触手をかき分けるようにして現れたそれは、見紛う事なき口であった。大魔獣の口なんだろうか?
『人っぽいな』
獣のような牙もなく、巨大ではあっても異形なわけではない。赤黒い歯茎と、その歯茎に並ぶ四角く白い歯。むしろ、その口の形は人間に酷似していた。
異形の大魔獣の中にあって、異形ではないからこそ、異様なのだが。
「グゴゴオおぉおおぉおおお……しぃぃたあぁぁがぁぁぁ!」
『あん?』
「しぃたぁがぁぁえっ!」
喋りやがった。
まるで調子の悪い拡声器越しに喋っているかのように、巨大で耳障りな声だが、確実に言葉を喋っていた。
「しぃたあぁがぁえぇぇぇぇぇぇ!」
言霊とでも言えばいいのだろうか。声に邪気が乗っている。なるほど、これを聞いた者は、支配されてしまうってことか。
だが、俺には通用しない。
多分、普通だったら支配を跳ね返したり、支配を拒絶するために多大な労力を使うのだろう。支配に打ち勝つ感覚や、跳ね除けたことが本人にも分かるはずだ。
だが、正直俺にはなんの達成感もなかった。何せ、支配されそうになった実感がないのだ。ただのうるさい声にしか思わない。
「したがぇ!」
『やなこったぁ!』
「したがえぇ!」
『一生そこで無駄に叫んでろ!』
「したがえ!」
それしか言えんのか!
『うるさいんだよ! だいたい、目に見えるようなでっかい弱点こさえてくれて、有り難い限りだぜ!』
「したがえっ!」
本当に、したがえとしか喋れないらしい。あれが鳴き声の代わりってことか?
「したが――」
『これでも食らってろ!』
俺は壊れたスピーカーのように同じ言葉を繰り返す大魔獣の口に向かって、カンナカムイをぶっ放した。
開かれた口の中に、白い雷が呑み込まれる。
「じだがぁぁああああぁぁぁぁっ!」
『外よりは効いてる……?』
初撃のカンナカムイよりも、大魔獣の魔力は減った気がするが……。
とりあえず、大魔獣に動きがあったんだ。一度フランの下に戻ろう。
『フラン、声は平気だな?』
「ん。うるさいだけ」
「オン!」
よし、フランもウルシも、邪神の支配は全く問題ない。2人とも耳をペタンと寝かせて、顔をしかめているだけだった。




