603 緋水薬が生まれた理由
「廃液さ。ま、僕からしたらそれが本命で、緋水薬が廃液みたいなものだけどね」
元来この国に存在していた錠剤型の風土病特効薬は、緋水草一本を全て使ったものだった。
まずは、緋水草の茎の外皮が持つ時空魔術を乱す効果で、体内に溜まった時空魔力を散らす。その後、茎の内部に備わった時空魔力を制御する力が作用し、時空魔術酔いを治すのである。
だが、ゼライセたちメッサー商会が開発した緋水薬は、茎の内部にある制御力が備わった部分だけを使用した物だったらしい。
その結果、両者には大きな違いが生まれた。錠剤の方が効き目が出るまで時間がかかるのだ。水薬は、飲んですぐ効くらしいが、錠剤は数時間かけてゆっくり治るらしい。
それだけ聞くと水薬の方が優秀そうだが、これが開発されなかったのには大きな理由がある。
まず、錠剤は作製が非常に簡単だ。水薬は、抽出や分離、瓶詰など、煩雑な作業と高価な器具が必要となる。だが、錠剤は鍋で煮込んで乾燥させるだけだった。まあ、その作業にスキルや薬剤は必要になるが、揃えることは難しくはない。
しかも、錠剤は保存も利くし、持ち運びもし易く、値段も安い。副作用もないし、風土病への耐性も備わる。
薬としての完成度が元々高いのだ。その製法がすでに広まっているのに、わざわざ水薬を開発しようという者は今まではいなかった。
メッサー商会が販売を開始した時も、喜ぶ人間が多い反面、そんな無駄な実験をしてたのかという呆れ混じりの反応もあったらしい。
しかし、メッサー商会は開発した。てっきり、その薬自体が必要なのだと思っていたが……。
まさか、薬自体はどうでも良くて、その製造過程でできる廃液が目的だったとは。いや、ゼライセの言う通り廃液が目的なのだとしたら、緋水薬は単なる副産物だったということだろう。
「そんなもの、何に使う?」
「実はこの湖の中心に少し用があってね。でも、厄介な守護者たちがいて近づくことができないだろう?」
ゼライセであっても、ヴィヴィアン・ガーディアンの守りは突破できなかったようだ。それにしても、湖の中心に用がある? つまり、ゼライセの真の目的は封印された大魔獣?
「だからさ、どうにか奴らを排除できないかと思ってね? 水と時空の魔力で生み出された、魔法生物に近い物だということは分かっていたからさ。それを乱す緋水草の抽出液を湖に大量に垂れ流せば、消えないかなーと思ったんだ」
それが、廃液を求めた理由か!
「消えなくても、弱体化くらいはするんじゃないかと思ってたんだけど……。まさかあんな風に変異するなんて思わなかったよ。しかも、異常化したガーディアンは魔力不全を起こすみたいで、狂暴になるみたいなんだ。あははは! 面白いと思わないかい?」
「思わない」
「まあまあ、他にも興味深いことがあってね。異常化したガーディアンは、緋水薬を求めるようになるんだ。元に戻ろうという本能が働くんじゃないかと思うんだよね。どう思う?」
そうか、それがモドキによる船襲撃の理由だったらしい。
「それにしても、よく僕まで辿りつけたねー。これでも、それなりに気を使って、ばれないように動いてたんだけど」
「バレバレ。すぐに分かる」
「あれー?」
フランがゼライセの問いに勝ち誇った顔で言い返すが、調べてくれたのはカーナだからな? しかも、そんな簡単なことじゃなかったと思う。
「おかしいなぁ……。他にも嗅ぎまわってる奴らはいたけど、誰も僕らには辿りつけなかったのに……。裏切り者がいる……? うーん」
どうやらカーナの情報網は、かなり凄いものだったらしい。小さな商会なのかと思っていたが、実は国を跨ぐような大商会だったりするのだろうか?
「そんなことよりも、お前の本当の目的はなに?」
「さて、何でしょう?」
「……魔獣を復活させて、この国を亡ぼす」
「あははは! 残念! 不正解! そんなこと興味ありませーん! 世界を滅ぼせるっていうならともかくさー。この国を滅ぼした程度じゃ、精々この大陸で何百年か語られるくらいじゃん? あははははは。下らないよ!」
ゼライセがそう言って、天使のような無邪気な顔で嗤った。
「この湖に封印されてる魔獣は、普通じゃないんでしょ? いろいろ混じってるって話だし、僕の作ろうとしてる究極の魔獣のいいサンプルになるかもしれないじゃん? 僕の抑えきれない知的好奇心故ってことかな?」
これだけのことを企んでおいて、好奇心を満たすことが目的? やはりこいつは理解できん。ただ野放しにできないことは再認識できたぞ。
『フラン、準備はできたか?』
(ん)
『ウルシ?』
(ガル!)
よし、フランもウルシもしっかりと準備ができたらしい。当然、俺も魔術とスキル、どちらも完璧だ。
『まずは、俺が先制攻撃で隙を作る。そこに一気に突っ込め』
(わかった)
(オン!)
そうして俺は、ゼライセのムカつくイケメンフェイスにワンパン入れてやるつもりで魔術を放とうとした。
だがその直前で、俺は新たな気配を感じ取る。無視できないほどの存在感を放つ、強大な気配だ。商業船団から、凄まじい速度でこちらに向かってくる。
覚えがある気配だった。
そちらに視線を向けると、茶髪の青年が水上を跳ねるように駆けてくる姿が見える。やはりシエラだ。
俺たちの加勢に来てくれたのかと思っていたんだが……。
「ゼライセェェェ!」
「おや?」
シエラの目は、真っすぐにゼライセを見つめていた。その鬼気迫る表情を見るに、何らかの因縁があるようだ。
ゼライセに向かって殺気を迸らせるシエラの姿は、ゼロスリードに襲いかかったフランによく似ている。
抑えきれないほど強い怒りと憎悪が、彼の体を突き動かしているのだろう。フランなど目に入っていないのか、ただ射殺すような目でゼライセだけを睨んでいた。
一直線に迫ってくるシエラを見て、ゼライセがその顔をニンマリと歪ませる。
「もしかして彼は……。へえ、大きくなったもんだね」
やはり面識があるらしい。いったい、どんな関係なのだろうか?




