602 虚ろなるゼライセ
ウルシに足止めされているゼライセに対して、気配を消したフランが奇襲を仕掛ける。
「――!」
天から湖面に向かって無言で駆けるフラン。本来なら出てしまうはずであろう、音や空気の動き、体温といった様々な気配は、スキルで完璧に消されている。湖面に映る自らの影さえも、魔術で消しているのだ。
空から降ってくるフランにゼライセが気付いた時には、彼我の距離は数メートルまで近づいていた。
「うわぁぉ!」
「しっ!」
間抜け面を晒すゼライセに向かって、フランが俺を振り下ろす。
ゼライセからは武の匂いはしない。心得はあっても、達人ではないのだ。むしろそのゼライセが、フランの奇襲に斬られる前に気付いたことが異常だった。
やはり、普通の相手ではない。その想いを強くしつつ、俺は属性剣を多重発動させる。
『くらえ!』
そして、俺の刀身がゼライセの体をすり抜けた。抵抗さえ感じないほど、あっさりと切り裂いたわけではない。一切の感触がなかった。それこそ幻を切ったかのように、透過してしまったのだ。
フランの放った斬撃はゼライセの体をすり抜け、その足元の水面を十数メートルに渡って深く切り裂いただけであった。
直前までは確実にゼライセの気配があったはずだ。その場に絶対に存在していた。それは間違いない。
しかし、今は違う。姿は見えていても、気配や魔力が一切感じられない。
俺たちがディメンジョン・シフトを使った状態にそっくりだが、時空魔術を使った気配は一切なかった。
何をされたのか分からない。
ただ、俺もフランもそこまでは驚いていなかった。案の定というかなんというか、こいつなら躱すかもしれないと、心のどこかで思っていたからだ。
だからこそ、動揺することなく、次の行動に移ることができる。
「はぁぁ!」
『おらぁ!』
間髪容れず、フランが連続で斬撃を繰り出した。同時に俺は雷鳴、火炎、暴風魔術を撃ち続ける。
ゼライセの使っている透過能力の正体は分からないが、ディメンジョン・シフトのような能力なのであれば、そこまで長時間続くものではないはずだ。
ならば、能力が切れるまで攻撃を続ける。それが俺たちの判断だった。
「おやぁ! フランさんじゃないか! 久しぶりだね!」
「今頃っ!」
『余裕ぶりやがって!』
「そんな怖い顔しないでよ~」
ゼライセが敵意のない、呑気な笑顔を見せる。それを見たフランの剣速がさらに上がるが、ゼライセの透過能力が途切れる様子は一向になかった。
そのニヤケ顔に念動を叩き込んでも、フランの剣が幾たび閃こうとも、相手はヘラヘラと笑ったまま、その場に突っ立っている。
『ならこれだ!』
「あっはっは! 無詠唱の時空魔術なんて、さすがだね!」
俺が放ったのは、時空魔術ディメンジョン・ソード。相手の防御などを無視してダメージを与える術だが、ディメンジョン・シフトなどに対しても有効な術であった。
しかし、ゼライセのムカつく笑顔は崩れない。
『ちっ!』
ディメンジョン・ソードが弾かれた! どうやら、対策は万全であるらしい。しかし、対策をしているということは、時空属性での攻撃が有効だということだ。
『ウルシ!』
「ガルォ!」
「うわっ! こっちの狼まで!」
ウルシのスキル、次元牙である。時空属性を帯びた攻撃であるのはディメンジョン・ソードと同じだが、威力は圧倒的に高い。
多分、時空魔術ではなく、その上位にあたる次元魔術相当のスキルなのだろう。
迫る牙を見たゼライセが、眼前に障壁を作り出した。とっさに張った程度の障壁でウルシの攻撃を防げるはずもないが、一瞬でも時間を稼げればよかったらしい。
ゼライセの姿がかき消え、数メートル離れた場所に現れた。異様なのは、魔力の動きなどを、全く感知できなかったことである。
俺は転移先を察知するために意識を周囲に張り巡らせていた。それなのに、転移の挙動を一切捉えることができなかった。
やはり、相対しているゼライセは幻影なのか? いや、幻影ならば、その幻影を作り出すための魔力が感じられるはずである。だが、このゼライセからは、何も感じることができなかった。
それこそ、自然現象によって生み出された、蜃気楼のような虚像。そうとしか思えないんだが……。
それならば、会話ができるはずもない。
それに、俺の時空魔術を防いだり、ウルシの攻撃を躱したのだ。やはり、何らかの方法で自分の実体を消しているのだろう。
『……フラン、時空魔術を全力で放つ。サポートを頼む』
「ん」
威力の弱い時空魔術でも、過剰に魔力を込めることでそれなりの威力に引き上げられるのだ。
『ウルシはトドメに集中しろ。俺の攻撃を躱した奴に、間髪容れず仕掛けるんだ』
「ガル!」
逃げ足の速いゼライセのことだ、このままだと逃げられる。魔力を全て使い切ろうとも、ここで仕留める!
「フランさん、こんなところにまで来てるなんて……。もしかして僕を追ってきたのかい?」
「違う。そんなことより、ここで何してる?」
「えー? 知りたいかい?」
「お前がレイドス王国の偉い奴の部下になったことは知ってる。この国で、なに企んでる?」
「ふっふーん、そこまで知りたいなら、教えてあげてもいいよ?」
フランの質問に、ゼライセがあっさりと口を割り、ペラペラと自らの悪事を語り出す。そうだ、こいつはこういう奴だった。
まあ、その分力を練れるし、事情も分かるから有り難いけど。
「僕らの狙いは、緋水薬じゃなかったのさ!」
「ん?」
緋水薬じゃない? あれだけ溜めこんでいて?
「不思議そうな顔だね?」
「じゃあ、なんで緋水薬を集めてた?」
「あれをあえて集めてたわけじゃなくて、ただ不要な分を倉庫に放り込んでただけなんだけどね」
意味がわからない。必要だから緋水薬を作り、倉庫に保管していたんじゃないのか?
「僕らが欲していたのは、緋水薬の製造過程で出る、あるものだよ」
「あるもの?」
「廃液さ。ま、僕からしたらそれが本命で、緋水薬が廃液みたいなものだけどね」




