585 異変を探る
「なん……ですって……?」
俺たちの口から出たレーンの名を聞き、ウィーナレーンの顔が劇的に変化した。
その顔にあるのは、疑心と驚愕だろう。限界まで見開かれた目で、フランを凝視する。
「嘘でしょ……?」
嘘であってほしい。そう願っているかのようなウィーナレーンの表情だ。しかし、フランは首を横に振る。
「本当」
「本当に本当……なの?」
「ん」
そして、座ってた椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がると、信じられないといった様子で、叫んだ。
「馬鹿な! そんなことあり得ないわっ!」
「なんで?」
「レーンは……! あの子は……!」
弱々しい仕草で机に手を置くと、喘ぐように言葉を紡ぐ。
「私がここにいる限り! ウィーナレーンが存在する限り、レーンは現れない……!」
『どういうことだ?』
「ウィーナレーン?」
「そうよ、私は未だにウィーナレーン……。どういうことなの? 湖の異変は、そのせい?」
ダメだ。俺たちの言葉が完全に耳に入っていない。混乱と狼狽を浮かべた顔で、自らの髪の毛をガリガリとかいている。
勿論、レーンがウィーナレーンの話に出てきた精霊で、魔獣に取り込まれているとすれば、現れるのがおかしいというのも分かる。
ただ、ウィーナレーンの言いようは、そういった意味ではないようにも思えた。
「……フラン」
「なに?」
「湖の調査、早急に進めてくれるかしら?」
しかし、今のウィーナレーンに、これ以上の質問をする勇気は俺たちにはなかった。フランでさえ気圧されているのが分かるほどに、ウィーナレーンの真顔は迫力があったのだ。
「……わかった」
その顔で発せられる言葉には、有無を言わさぬ力がある。正直、逆らえん。
「地元のギルドには、この件で動いている人間が色々といるだろうから、そっちから話を聞いてみて」
「ん」
「私の名前も使って構わないわ。少しの無茶も赦します。大抵のことは握りつぶしてあげる」
『おいおい。穏やかじゃないな』
「それくらいの事態が起きているということよ」
ハイエルフが狼狽するほどの事態? それって本気でヤバそうなんじゃ……。これは、何としても異変の正体を突き止めないとマズそうだ。
「お願い」
「ん」
そして、天幕を後にしようとした俺たちだったが、ウィーナレーンの言葉に引き留められる。
「ねえ。レーンは、私のことは何か言っていた?」
「ん? 別に何も?」
「そう……」
俺の見間違いだろうか? ウィーナレーンの顔には、寂しさが浮かんでいるように見えた。
1時間後。俺たちがやってきたのはセフテントの冒険者ギルドだ。
ここに到着してから、レーンの屋台について伝え忘れたことに気づいた。ウィーナレーンの迫力を前にして、少しばかり動揺していたらしい。まあ、次に会った時には伝えよう。
「奥へどうぞ」
「ん」
受付嬢もフランを覚えていたらしく、完全に顔パスである。ジル婆さんに会いたいと伝えたら、すぐに通してくれた。
「おんやぁ? 黒雷姫じゃないか。なにか用かい?」
「ん。湖の調査をしている」
「……そりゃまたどうして?」
「ウィーナレーン」
フランが訥々と、ウィーナレーンから調査するように頼まれたことを語った。それにより、事態が自分たちの想像以上に深刻であると悟ったのだろう。
ジル婆さんは居住まいを正す。
「なるほど。あの方も、事態を憂慮しているということかい」
「ん。何か情報ない?」
「こちらでも勿論調べているが、調査は進んでないね」
そもそも、モドキが出現するヴィヴィアン湖の中央部は、相変わらずヴィヴィアン・ガーディアンに守られている。そのせいで、大元を調べることができないのだ。
「異常を調べている冒険者はいないの?」
「何人かいるよ。あんたが知ってる冒険者だと、ロブレンにシエラだろうね」
ロブレンは覚えている。商業船団に所属する、ランクB冒険者だ。あそこで昇級試験の試験官役をしたときに、少し会話をした。メチャクチャ大らかな、優男だったはずだ。
ただ、シエラっていう名前は初めて聞いた。
「シエラ? 誰?」
「おや、会ったことがなかったかね?」
「たぶん?」
「ああ、名乗りあっちゃいなかったか。あんたと模擬戦をして、ランクアップをした小僧だよ。茶髪で、あんたに妙につっかかってたはずだけど、覚えてないかい?」
それはもしかして、あの殺気の少年だろうか?
何故か初対面のはずのフランに、殺気を向けてきたランクF冒険者だ。いや、今はランクEか。
特徴を聞くと、やはり間違いないらしい。話を聞かせてくれるかね? まあ、探してはみよう。
「うちで依頼を出しているのはロブレンだけだね。ただ、シエラは独自に調べているようだよ。まあ、それはシエラだけじゃないが」
冒険者ギルドでは異変に関する情報を広く求めているし、上級冒険者のロブレンに指名依頼を出す熱の入れようだ。
この異変の謎を解いて名を上げようとか、上級冒険者に勝ってギルドに自分の存在をアピールしようと考える冒険者は多いらしい。
「とりあえず、分かっていることを教えておくかね」
「お願い」
「まず、モドキどもは船を狙ってくることが多い。まだ理由は分かっちゃいないけどね。それと、正常体と違って人を食う」
「食う? ムシャムシャ?」
「ああ、ムシャムシャとやるね。まあ、どうやら魔力を吸収するためにやっているようだが。他の魔獣を襲っている姿も確認されている」
ヴィヴィアン・ガーディアンが生物を襲うのは、攻撃された時だけだ。しかも、その際も食べることはせずに、あくまでも襲うだけである。
そう考えると、モドキの異常性がよく分かった。
「船が襲われる理由は?」
「それも分かっていない。積み荷から絞ろうと考えたが、単一の品物しか載せていない船なんざほぼないしね」
これって、ほぼ何もわかっていないに等しいんじゃないか? そう思ったら、一応マシな情報もあった。
「ただね、狙われる確率はやはり商業船団が断トツで多いのは確かだ。船の数が多いから襲い甲斐があるのかもしれないが、他に理由がある可能性も考えられる」
なるほど。だったら、そっちも調べてみるか。ただ、最初はロブレンに話を聞きにいくけどね。




