561 反抗期?
『あーあ、結局3瓶も空にしちゃって……。またエルザから手に入れないとな』
実は高級品だったみたいだし、さすがに次はお金を払わないとだめだろう。
(む……)
フランは嫌そうな表情だ。
『フラン?』
(……)
プイッてそっぽむいた! は、反抗期? 反抗期なのか? そうじゃないよねアナウンスさん?
《肉食系獣人には反抗期は存在しません》
『え? そうなの?』
むしろ獣人の反抗期って凄そうだけど。
《反抗期。ストレスが他者への攻撃性や非社会的行動となって発露する、成長期特有の興奮状態。肉体的成長と精神的成長のバランスが崩れることが最大の原因と考察されます》
『まあ、そんな感じだよね』
保護者の言うことを聞かなくなったり、家族を無視するようになったり、盗んだバイクで走り出したりする年頃だ。
《獣人は人間以上に成長が早いとされているうえ、人間やエルフに比べて興奮しやすい種族とされています。獣人族。特に肉食獣の因子を受け継いだ種族に人族の反抗期の定義を当てはめた場合、5歳から40歳程度の期間が当てはまってしまい、生涯の半分以上が反抗期とされてしまいます》
『つまり?』
《その状態が獣人にとって普通であるため、反抗期などという定義づけがありません》
年中無休で反抗期ってことか! 獣王とか、まさにそんな感じだったけどさ。
「む?」
未だに美容液の興奮が冷めやらぬ更衣室で1人冷静に着替え続けていたフランだったが、何やら呻き声を上げた。
「ど、どうされました?」
「これ、どうやる?」
そう言って、テロンとした長い布を掲げてみせる。
おっと! そういえばフランはネクタイを自力では結べなかった! 朝も、俺が巻いてやったのだ。これがなかなか面倒な作業だった。
自分で巻いていたことはあるんだけど、他人に巻いてやるのは勝手が違うんだよね。
よく若い奥さんが旦那さんにネクタイを巻いてあげる甘々なシーンがあるけど、あれって相当練習しなきゃ無理だと思う。
朝は最終的にはフランの後ろに回って、自分に巻く感覚で何とかなったが……。
今回はネクタイを完全に解くんじゃなくて、軽く緩めて首から抜くだけにしておけばよかった。
「貸してくださいまし」
「ん」
「ふふ。入学したての頃、他の子たちにやってあげていたら覚えてしまったのですわ」
キャローナは仁王立ちするフランの前に立って、手際よくネクタイを結んでいく。その際に襟や裾を手早く直してくれる。キャローナはできる女だった。
「さあ、これでよいですわ」
「ありがと」
そうやってキャローナにネクタイを結んでもらった直後。つかつかと近づいてきて、フランたちに声をかけてくる者がいた。
「あなた! 冒険者ですってね!」
「ん?」
「その美容液。私に献上なさい! あなたのような平民が使っても無駄なものでしてよ!」
うわー、魔術学院にきてからこの手のテンプレ貴族を初めて見たかもしれん。
「あなたも使う?」
「そういう意味ではありませんわ! 全て寄越しなさい! 私も手荒な真似はしたくありませんの。さっさと渡して去りなさい」
ちょっとツンデレさんで、自分も使いたいと言い出せずに上から目線になってしまったのかと思ったが、普通にクソ貴族だった。これって完全にカツアゲだが、精霊の制裁の対象にならないのか?
どう対処するべきか悩んでいると、キャローナが厳しい表情で前に出た。
「あなた。この学院では、身分を笠に着た横暴は許されておりませんわ」
「はあ? なに建前を本気にされてらっしゃいますの?」
女生徒が小馬鹿にした態度で言い返す。そんな相手を憐れみさえ籠った目で見つめながら、キャローナがさらに言い募った。
「建前ではありません。入学時に注意されませんでしたか? 学院在学中、どのような者であっても身分は意味を成さないと」
「ふん! 多少規模が大きいようですが、たかが学院の校則程度で我が侯爵家の威光をどうこうできると? むしろ私のような高貴な身分の者が編入したことを喜ぶべきですわ!」
侯爵家の娘か。まさか自分の家の爵位が意味を成さない場所があるとは思っていないのだろう。だが、この学院を守護する精霊にとっては本当に無意味だからな。
「その物言い……この国の出身ではありませんね?」
「栄えあるヴァッサー王国の重臣、レンゲ侯爵家の――」
そこまで言い募ったところで、猛ダッシュで迫ってきた女生徒がレンゲ侯爵の娘に飛びついた。そのまま羽交い絞めにして、口を塞ごうとしている。
「な、何をするんですの!」
「それはこっちの台詞です! 何をなさっておいでですかクルダお嬢様!」
「お離しなさい! 無礼ですわ! サルッタ!」
「お父上にも、こちらの学院では大人しく過ごし、学則を守るように言われたではありませんか! 忘れたのですか!」
「ですから! 学院の職員やこの国の貴族の子息には従っているではありませんか!」
「いいですか? お父上が仰られていたのは、この学院の校則を一切破らず、全てに従えという意味です!」
「侯爵家の長女たるこの私が、平民相手に気を使えとでもいうのですか? ばかばかしい!」
このサルッタという女生徒は、お付き的な存在なのだろう。侍女などを連れては入れないが、一緒に入学して同室にしてもらうことはできるらしい。
「本当のことです! ともかくこれ以上は本当にまずいのです! 御家の進退にすら関わります! 行きますよ!」
「ちょ、離しなさい!」
サルッタはそこそこの使い手だな。少なくとも特戦クラスの生徒よりは強い。お目付け役兼護衛でもあるらしい。そのサルッタに羽交い絞めにされて、貴族のお嬢様が抜け出せるはずはなかった。
サルッタは心底困った顔で、フランとキャローナに頭を下げてくる。彼女はこの学院で騒ぎを起こすことのマズさを理解しているようだ。
「あの、大変申し訳ありませんでした。もう二度と近づかせませんので、どうか見逃してはいただけませんでしょうか?」
「サルッタ! なにを――ムグ!」
「黙っていてください! もう!」
「はぁ。どうしますかフラン?」
「ん?」
「彼女たちを見逃してよろしいですか?」
最初に絡まれたのはフランだ。キャローナがフランの意見を聞いてくる。だが、フランはこんな奴らに全く興味がない。
「好きにすれば?」
「ありがとうございます」
「それよりも、もうスカートはいていい?」
フラン、まだスカートはいてなかった! しかし、以前のフランだったら完全に無視して着替えを終えて、そのまま立ち去ろうとしていただろう。作業を止めて話を聞こうとしただけでも、大きな進歩だ。
「え、ええ。どうぞ。貴女たち、もう行っていいですわよ? まあ、もうお会いすることはないかもしれませんが」
「そうですね……。そうなってしまうかもしれませんね……」
退学処分になるってことかな? まあ、未遂だし、どれくらいの処分になるかは分からんけど。
去っていく2人を見ながら、キャローナが肩を竦める。
「国外の貴族などでも、この学院の卒業生ともなれば箔が付きますから、たまにああいった人がいるのですよ」
「ふぅん」
「まあ、ちょっとの間待っていれば、すぐに精霊に呼ばれた教官たちがやってきますわ。ですから、ああいった時は少し我慢するといいでしょう」
キャローナは、貴族の横暴に従って唯々諾々と従う必要はないと忠告してくれているんだが……。
「わかった。ぶっ飛ばすの、少しだけ我慢する」
フランの言葉を聞いたキャローナが苦笑する。目の前の少女が、国家さえも気を使わねばならない異名持ちの強者であると思い出したのだろう。
「……フランには違う心配が必要でしたわね」




