546 ゼロスリードの変貌
「さてと……。フラン、あなたはアレと何らかの因縁がある。それで間違いない?」
水球から頭だけを出した状態のフランに、ウィーナレーンが質問をする。
「ん……」
「はぁ……。事前に分かってたら今回のことは防げたかもしれないけど、アレの対応に忙しかったせいで、貴女の資料に目を通せてないのよねぇ」
「資料?」
「ええ。職員の面接をする場合、事前に調査室からその人物の資料が出されることになっているの。まあ、貴女の場合はそこそこ有名人らしいし、最初から噂なんかは集めていたっぽいけど」
面接前に情報を集めるって言ってたもんな。その専門部署みたいなところがあるんだろう。で、その時々で必要そうな情報をウィーナレーンに渡すってことか。
「一昨日からずっとアレを探してたの。今朝やっと捕まえて、その後はずっと封印処置よ? それがようやく終わって、隔離室に連れて行こうとした所だったんだけどね……」
そこで最悪のタイミングでフランが出くわしてしまったと。
「尋問したら、獣人国からジルバード大陸に渡ってきたって話していたけど、向こうでの恨み?」
「ん」
フランは頷いて、暗い感情の込められた瞳をゼロスリードに向ける。
キアラに復讐するなと言われたが、さすがに目の前に現れたゼロスリードを無視できるほど割り切れてはいなかった。
殺気をぶつけられたゼロスリードは、逃げるでもなくウィーナレーンの後ろに立っている。ウィーナレーンは捕まえたと呟いていたが、どういった扱いになっているんだ?
「さっきも言ったけど、まだアレを殺されては困るのよ。それに、あんなのでも、今はうちの臨時職員扱いだから。守らないわけにはいかないの。そうなっているわ。まあ、貴女には納得できないのも理解できるから、今すぐ理解しろとは言わない」
「……」
「ただ、アレに復讐をするにしても、場所を選んで欲しかったわ……」
「?」
「周りを見てみなさいな」
周り? 言われた通り、周囲を見るフランと俺。
そして、遠くからこちらを見ていた学生たちが、腰を抜かして座り込んでいる姿が目に入る。
「途中からは私が結界を張ったから被害は最小限だけど……。その前。貴女がアレに襲いかかった時の殺気や威圧感を、学生たちがモロに受けてしまったわけ」
結界というのは、ウィーナレーンが何やらブツブツと呟いた後、周辺を包んだ魔力のことだろう。どうやら内部から外部への被害を遮断する効果があったらしい。
ということは、生徒たちが怯えているのは間違いなく俺たちのせいだろう。
ウィーナレーンが現れた時に、まるで竜を前にしているかのようだと思ったが、学生たちにとってはフランが正にそういった存在だったのだ。
突然現れた、超魔力を纏い、凶悪な殺気をまき散らす謎の存在を前にして、逃げることさえできずに腰を抜かしたのだろう。恐怖と怯えの混じった顔で、フランを見つめていた。
「あ……」
「今回は数も少ないし、多少なりとも荒事経験のあるうちの学生だったからこの程度で済んでるけど、町中だったら大パニックよ?」
「……ごめんなさい」
自分がどれだけ周りが見えていなかったのか、ようやく気付いたのだろう。フランが悄然とした様子で頭を下げる。
「あら? ここで謝れるの?」
「? 悪いことしたから……」
「素直な子ねぇ……。まあ、とりあえずアレをどうにかしちゃおうかしら」
ウィーナレーンは、頭を下げているフランから視線を外すと、背後に控えるゼロスリードに近づいていく。
防がれてしまったとは言え、俺の刃はゼロスリードの首を僅かに切り裂いていた。
そしてその時は、剣神化によって神属性を纏っていたのだ。ゼロスリードは首の傷を回復することができず、止めどなく溢れ出る血を手で押さえることしかできないでいた。
「少しジッとしていなさい……。神水創造。アクアヒール」
ウィーナレーンが新たに水の球を生み出すと、軽く手を振る。すると水がゼロスリードの首の傷に纏わりつき、薄く光り出した。
数秒後、斬り裂かれた肉の断面が盛り上がると、そのまま高速で再生を始める。
邪神に対して、神属性は相当有効なはずなんだが……。いや、神水を使った回復魔術だからか? 神属性の傷を、神属性の回復魔術で癒す。あり得なくはないだろう。
あっという間にゼロスリードの傷が癒える。そして、ウィーナレーンが命令を下した。
「立ちなさい」
「ああ」
回復はさせたものの、ウィーナレーンがゼロスリードに向ける眼差しは非常に冷たい。そんな扱いにも文句を言わず、ゼロスリードは静かに頷く。その視線がほんの一瞬、フランを向いた。怯えも怒りもなく、ただ静かにフランを見つめている。だが、それがそもそもあり得ない。
本当にこれがゼロスリードなのか? そう疑ってしまう程に、その雰囲気が変わっている。
目が合ったことで、フランが再びゼロスリードを睨み始めた。まずいな、このままだと再びフランの怒りが燃え上りそうだ。
それを見たウィーナレーンが声を上げる。
「コレがいるとまともに話もできないわね。コルト、三番塔に連れて行きなさい。向こうにはもう話が通っているわ」
そう言えばコルトを忘れていた。ウィーナレーンが現れてからずっと空気状態だったからな。
「私で大丈夫ですか?」
「すでに楔も打ち込んで、封印もしてあるわ。ベルトゥディーたちが監視してるし、大丈夫よ。それに、あの子がまだ治療中の状態で、馬鹿な真似はしないわ。そうでしょ?」
「ああ」
「私はこのままフランと話をするわ」
「わかりました」
詳しくは分からないが、魔法的な何かでゼロスリードを縛っているようだ。
「あと、他の職員を呼んで生徒の救護を行いなさい。大事に至っている生徒はいないけど、今日の授業は休ませていいわ」
ウィーナレーンとコルトのやり取りを聞きながら、フランが項垂れる。ゼロスリード憎しで、関係ない生徒たちに被害を与えてしまったことを今さらながら悔いているのだろう。
「はやくお行きなさい」
「はい。こちらに来なさい」
「わかった」
あのゼロスリードが大人しくコルトの言葉に従い、ゆっくりと歩きだす。やはり変わったな。変貌と言ってもいいかもしれない。ウィーナレーンの魔術のせいか? それとも――。
「フラン、とりあえず今は私とお話しよ?」
複雑な表情でゼロスリードの背中を睨みつけていたフランの視線を、ウィーナレーンの体が遮った。
「今からあなた達の拘束を解くわ。できれば逃げたりしないでほしいわね。それに、色々知りたいでしょう?」
「へいき。逃げない」
「ありがとう。じゃあ、解放するわね?」
そう言ってウィーナレーンがパチンと指を鳴らすと、フランたちを捕らえていた水球が消え去る。
「私の後についてきなさい」
2人が着地したのを見届けると、ウィーナレーンが背を向けて歩き出す。フランは地面に刺さっていた俺を拾い上げると、小走りにその後を追うのであった。




