544 やる気のない強者
「誰かしら? 私の愛する学園で粗相をする悪い子はぁ?」
フランの全身が総毛立つほどのプレッシャー。それを放つのは、金髪の美しいエルフの女性であった。
しかし、今はその柳眉は逆立てられ、明らかに怒っている。顔だけ見ればエルフの少女がしかめっ面をしているだけなのだが、放たれる威圧感はまるで竜でも前にしているかのようだった。
「……う」
その実力の片鱗も見せつけられた。たかが水を切りつけただけで、剣神化の恩恵を受けている俺の耐久値がゴッソリと削られたのだ。
しかもあの水の防御膜の厄介なところは、大量の水を瞬間的に放出することでカウンターを行う点である。攻撃の瞬間というのはどうしても無防備になりがちだし、その瞬間に激流によるカウンターを食らえば、大抵の場合は攻撃が中途半端な状態でキャンセルされるだろう。初見で見破るのは相当難しい。
鑑定せずとも、このエルフが何者かは分かる。凄まじい魔力に、「私の愛する学園」というセリフ。そして強力過ぎる大海魔術。フランが思わずその名を呟いた。
「ウィーナレーン……?」
「その通り。私がウィーナレーンよ。ふむ……。可愛らしいお嬢さんだけど、もしかしてあなたがフランかしら?」
「ん」
「できれば違う出会い方をしたかったわ……。色々と聞かなきゃいけないこともあるけど――まずはお仕置きね」
ウィーナレーンがそう言ってフランを見つめた瞬間、暴力的な威圧感がフランを包み込んだ。今まで彼女が放っていたものは、僅かに漏れ出た残滓でしかなかったのだ。彼女にとっては威圧している気さえなかったのかもしれない。
「ごめんなさいね。敵対行為を働いた人間に対するお仕置きは、私の一存で止められないの。大丈夫、殺しはしないわ」
ウィーナレーンが本気で威圧した時、そこには物理的な圧力さえ伴っていると勘違いするほどの圧迫感が伴っていた。まるで、俺たちの周囲の重力が何倍にもなったかのような錯覚さえ覚えてしまう。
「我、守護者ウィーナレーンの名において、部外者による――いえ、それじゃダメね。やり過ぎになる。特別職員内定者による――それでもまだダメなの? じゃあ、特別職員内定者及び短期編入予定者による、特別保護対象生徒の保護者及び臨時職員への敵対行為に関する対処を開始する。まだこれでも普通のお仕置きよりは強めだけど……。まあ、アレを殺しかけてたしねぇ」
ウィーナレーンが何やらブツブツと呟いた直後、明らかに周囲の空気が変わった。魔力がこの一帯を包み込んだのが分かる。さらに、周辺からウィーナレーンに魔力が流れ込んでいく。何らかの強化が施されたのだろう。
だが、当のウィーナレーンは非常にやる気がなさそうに見えた。発する威圧感や言葉とは裏腹に、その顔にはモチベーションがあまり感じられない。むしろ戦闘をしたくなさそうですらあった。
「とりあえず拘束させてもらうわね。いくらでも抵抗してもいいけど、戦うのは私だけにしておきなさい。それが貴女のためでもあるから。でも、学院内なら私は最強よ? 神水創造――アクエリアス」
ウィーナレーンの言葉と共に、強い魔力の込められた水の球が生み出される。しかもこの水球は、僅かに神属性を帯びていた。神水創造というスキルは、その名の通り神属性を持った水を生み出すスキルなのだろう。それを大海魔術アクエリアスで操作しているのだ。
アクエリアスは周囲の水を操作するだけの大海魔術であるが、上級者が使うと千変万化に変化すると冒険者ギルドの資料に書いてあった。つまり、ウィーナレーンが使えば凄まじい効果を発揮するという事だろう。
早速その効果が発揮された。なんと、水球から神属性と魔力が感じられなくなってしまったのだ。しかし、危機察知は相変わらず最大限の警鐘を鳴らしている。
属性を失ったのではなく、アクエリアスの効果で気配を隠蔽したのだろう。一見するとただの水魔術。しかし、その実態は強力な魔力と神属性を内包した超絶魔術。初見殺しにも程がある。
これで、俺の耐久値が一気に削られた理由も分かった。あの水の膜も、神水だったのだ。俺たちもしっかりと初見殺しに引っかかったというわけだ。
「じゃあ、行くわね」
次の瞬間、水の球が弾丸のように撃ち出された。フランは飛び退いて回避したが、先回りするように新たな水の球が生み出されている。
「ちっ!」
フランが水球を切り払おうとして――。
「!」
『厄介な!』
弾かれた。咄嗟の攻撃だったとはいえ、そこらの中級魔獣程度は両断できるだけの斬撃だったのだが……。空中跳躍を使って体を捻り、なんとか水球を躱したフラン。そこに、再度水球が迫るが、フランも再び迎撃態勢を取っていた。空気抜刀術の構えである。
「はあぁっ!」
「あら?」
今度はウィーナレーンが驚く番だった。空気抜刀術で真っ二つにされた水球を見て、目を見開いている。
「まさかこれ程とは……。凄まじい子ね。素晴らしいわ。ああ、どうして戦わないといけないのかしら……」
やはりウィーナレーンは戦いたくないらしい。しかし、何らかの強制力が働いているのか、戦闘を続けざるを得ないようだった。
『フラン。鑑定では名前しか見えん! 何をしてくるかわからないぞ!』
「なら、速攻で倒す。今度はこっちの番!」
「今度は光魔術? 多才ね!」
フランが光魔術、ソーラ・レイを放つ。凶悪な光の奔流がウィーナレーンを飲み込むかと思われた直後、邪魔をしたのはやはり例の水の膜だった。
光線が水の膜に防がれ、霧散していく。だが、これはある意味想定済みだ。むしろ、閃光による目くらましと、防御に意識を回させることが目的だった。
「……黒雷転動――天断」
フランは光魔術を維持しつつ、黒雷転動で真後ろに回り込んだ。
そして、渾身の攻撃を繰り出す。フランの狙いは最初から接近しての天断であった。
普通の相手であれば反応すらできず、斬られた後に気付くほどの神速だ。だが、ウィーナレーンは当然の如く対応してくる。
「速いわね!」
ゼロスリードに剣神化状態で攻撃を仕掛けた時と同じように、水の膜がフランの前に立ち塞がった。さっきは大量の水流より全身が押し流され、斬撃を繰り出しきることができずに終わっている。
しかし、一度見た技だ。フランはその対処法も当然考えていた。
(師匠!)
『ああ』
正直言うと、ここでウィーナレーンに抵抗することが正解なのか、俺には分からない。ゼロスリードと違い、恨みがあるわけでも、殺したいわけでもない。むしろ客観的に見れば、非戦闘員が多数いる場所でいきなり剣を抜いて、戦闘を始めた俺たちの方が悪いだろう。
ウィーナレーンからは殺気が感じられないし、大人しく捕まった方が後々のためには良い気もする。
ただ、フランがやる気になっており、ウィーナレーンからは抵抗してもいいという言質も取れていた。この状態で無抵抗で捕まっても、フランは納得できないだろう。ならば、しっかりとやり合って、スッキリした方がいい。
それに、俺だってここまで一方的にやられて、思うところがないわけではないのだ。
俺はフランの掛け声に合わせて、ディメンジョン・シフトを発動した。水流によるカウンターは、衝撃に合わせて自動で発動する設定なのだろう。
ディメンジョン・シフトを使用中の俺たちは、あっさりと水の膜をすり抜けた。そして、ウィーナレーンに当たる瞬間、術を解除する。
実体を取り戻したことで水の膜に触れてしまい、カウンターが発動する。爆発するように生み出された凄まじい水流に吹き飛ばされながらも、フランは獰猛に笑っていた。
今回は確実に手応えがあったのだ。
「く……っ! 時空魔術まで……!」
ウィーナレーンの右脇腹から、赤い液体が溢れ出している。フランの天断がウィーナレーンの脇腹を斬り裂いていた。
「想像以上に強いっ……。苦戦らしい苦戦をしたのなんて、何百年ぶり?」
ウィーナレーンが呻いている。だが、すぐに申し訳なさそうな顔で、謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい。私が反撃していいなんて言ったばかりに……。あなたを侮っていた。こうなったら、ある程度のダメージを与えないと治まらない……。ちょっと痛いわよ?」
「!」
ウィーナレーンの呟きが耳に入った直後、目の前にその姿があった。傷を癒すために距離を取るどころか、そのまま踏み込んで来やがった!
身体強化系のスキルを使っているのだろう。血流までもが強化されたせいで、脇腹からは大量の血が噴き出している。いや、それすらウィーナレーンの狙いか! 溢れ出た大量の血液が無数の蔦となり、一斉にフランに襲いかかってきたのだ。
液体だからなのか、自らの血液だからこそ操れるのか。ともかく、ウィーナレーンは自分の血液も操れるようだ。しかも強い魔力を帯びたウィーナレーンの血は、普通の水と比べてもかなりの強度を持っているらしい。
生きているかのように蠢く血の蔦が、二重三重にフランの右腕に巻き付いた。剣を握る右を重点的に狙っているのだろう。障壁ではそれを引きはがすことができない。
魔力放出を使って血液を吹き飛ばそうとしたフランだったが、一瞬遅かった。それよりも早く、ウィーナレーンが至近距離で放った水球がフランの鳩尾に突き刺さる。
「がうぅ!」
腕を血液の蔦で押さえ込まれているせいで、吹き飛んで威力を逃すこともできない。フランの体が大きく浮き上がり、固定されている右の肩が外れたのが分かった。
まあ、フランもやられているだけではないが。攻撃されながらも左足を振り上げ、ウィーナレーンの右脇腹に蹴りを叩き込んでいたのだ。
「ぐぅぅ!」
ウィーナレーンの肌を覆う水の鎧が蹴りを受け止めているが、衝撃が貫通してウィーナレーンに届いているらしい。口から血を吐き出しながら、体をくの字に折って顔をしかめている。しかも、フランの攻撃はこれだけではなかった。
「くら、え!」
フランの纏う黒雷が、蹴りを通じてウィーナレーンに流れ込んでいる。ゴドダルファでさえダメージを食らっていた黒雷だ。
しかし、黒雷に全身が包まれているにもかかわらず、ウィーナレーンの表情は変わらなかった。よく見ると彼女が纏う水の鎧に受け流され、地面に流れてしまっているようだ。
まるで黒雷を見たことがあるかのような、完璧な対応である。もしかしてあの鎧は攻撃を防ぐためではなく、黒雷を無効化するためのものだったのか?
「これで、終わりね」
「?」
ウィーナレーンがそんな言葉を口にしつつ、何故かフランの腕を離す。慌てて距離を取ろうとしたフランだったが、その足が動くことはなかった。
「みず……?」
フランの体にいつの間にか大量の水が張り付き、動きを阻害していたのだ。先程の水球は、単に攻撃するためだけに放たれた訳ではなかったのだ。水はあっという間にフランの足と胴体を覆い尽くしてしまう。しかも、この水は単にフランを捕まえる為だけのものではなかった。
「が? ぐが……!」
フランの体が突如発光し、電気の弾けるようなバチバチィという音を伴ってスパークし始める。まるで漏電しているかのようだった。
いや、どうやら本当に似た現象が起きているようだ。フランが身に纏う黒雷が一気にその密度を失い、生命力が急速に下がり始めた。
「ちか……ら、が……」
「黒天虎を見るのは久しぶりだけど、対策は万全なのよ?」
この現象、ウィーナレーンは狙ってやっているのか! 長く生きているウィーナレーンは黒天虎と戦った経験があるらしい。黒雷も初見ではなかったのだ。
なんとか水の戒めから逃れようと転移を使用したのだが、何故か発動しなかった。
『今の感じ……。何かに妨害された?』
「転移を使った? 今はこの一帯で転移が禁止されているわよ? 私でさえ使えないわ」
『フラン! 今すぐ閃華迅雷を解け! このままだとヤバいぞ!』
「……あぁっ!」
フランはスキルを解除すると同時に、障壁を張り巡らせながら魔力放出を全力で使い、体にまとわりつく水を弾き飛ばした。
「素早い判断ね。しかも、私の拘束を弾くなんて……。完璧に捕まえたと思った後に逃げられたのは、100年ぶりくらいかしら? できれば普通の出会いをしたかったわ……」
自らの傷を癒しながら、ウィーナレーンが再びため息をつく。その表情に疲労の色が見えてはいるが、まだまだ戦えるだろう。
対してこちらは満身創痍だ。単純なダメージ勝負なら、天断を叩き込んだ俺たちの勝ちだ。だが、消耗度で見れば圧倒的に負けている。
「そちらはもう体力は残り僅かだけど、どうする? これ以上は、お互いに本気になり過ぎるでしょう? それともまだやる?」




