437 エイワースのやり方
エイワースを連れてベイルリーズ伯爵の屋敷に向かうつもりだったのだが、フェイスが息せき切って地下室に飛び込んできた。
「フェイス、どうしたんだい?」
「それが、騎士団がすでにオルメス邸への立ち入りを開始したようです」
なんだと! 予定には1時間以上あるはずだ!
「どういうこと?」
「王が直接騎士団に命じたようでして」
当然のことながら王城でも今回の事件は重大なものとして受け止められていたらしい。そして、登城したベイルリーズ伯爵の説明を受けた王が、その場でアシュトナー侯爵への即時召喚を決定。使者が派遣された。
応じなければ反逆罪に問うという内容だったが、侯爵は対応にさえ現れなかったそうだ。言い訳を垂れ流す家宰は捕らえられ、そのまま騎士団が出陣する運びとなったらしい。
ここまでで1時間という速さであることからも、王の抱く危機感の強さが見て取れる。あと、ベイルリーズ伯爵への信頼と、アシュトナー侯爵家への強い不信感も、この決断の速さに繋がっていそうだ。
いや、そもそも準備が出来ていなければ、出陣だってできない。もしかしたらベイルリーズ伯爵はここまで読んでいた? アシュトナー侯爵家の諜報力は侮れないし、伯爵が3時間後に出撃と言ったことも知られている可能性はある。だとしたら、あえて3時間後と発言し、その前に襲撃して機先を制す。あり得ない話ではないだろう。
俺は出撃前にフランと伯爵が交わした会話を思い出す。
「あまり遅いと、騎士団だけで出撃してしまうかもしれんぞ?」
「ん」
「もし、そんな事態になっていれば、好きに動け。その方がお前の良さは生きるだろう。ただし、騎士との連携は忘れるなよ?」
そんな会話だ。あれってもしかして、このことを想定していたのかね?
「ベイルリーズ伯爵は責任者として、王城前の広場で指揮を執っているそうです」
これだけの情報を短時間で把握している盗賊ギルドも凄いな。戦闘面ではやはり冒険者ギルドには及ばないが、情報網では圧倒的に勝っているということだろう。
「貴族街では、すでに激しい戦闘が始まっている模様です」
アシュトナー侯爵邸、オルメス伯爵邸とその別邸から、疑似狂信剣に支配された剣士たちが出現し、騎士団と激しく戦っているそうだ。
「戦況はどうなっているんだい? 例の剣の刺さった変な奴らは?」
「出ました。騎士団が劣勢であるようです」
やっぱそうなるよな。疑似狂信剣で潜在能力解放状態になっている冒険者や傭兵だ。騎士よりも遥かに強いうえ、再生力も高い。魔術もスキルも打ち消されたら、決め手に欠けるだろう。
「冒険者ギルドからは20名ほどの冒険者が慌てて応援に出ました。中堅以上の冒険者ばかりですが、どれほどの戦力になるかは……」
「負けそうなのかい?」
「いえ。ギルドマスターはまだ他の冒険者を集めていますし、王都内から騎士が集まってきていますので今以上に劣勢になることはないでしょう」
だとすると、どこの救援に向かうのがいいんだろうな? もしくは、この機に乗じてガルスやベルメリアの救出に向かうべきか?
それに、気になることがある。
「ねえ、地下空間のあるなんとか子爵のお屋敷からは、敵が出てこなかったの?」
「アルサンド子爵邸ですか? はい、騎士を向かわせたそうですが、もぬけの殻だったそうです」
『ふむ。逆に怪しいな』
(ん)
それに、敵がいないというのであれば、件の地下施設を探るチャンスではなかろうか? 盗賊ギルドもそう思ったらしい。
「……お嬢ちゃん。戦闘は騎士団と冒険者に任せて、アルサンド子爵邸に行ってくれないかい? あたしらとしても、ガルス師の行方は気になる。上手くいけば方々に恩を売れるしねぇ」
「わかった」
俺たちとしても望むところだ。伯爵への連絡はギルドに任せ、俺たちはそのままアルサンド子爵の屋敷に向かうことにした。
エイワースは老人とは言え元ランクA、フェイスに合わせて走るフランに難なく付いて来る。疑似狂信剣の話などをフランから聞きつつ、息を切らせる様子もなかった。
身軽に駆ける腰の曲がった小柄な老人は、はた目に見ると異様だな。ターボババアという都市伝説を思い出した。時おりすれ違う人々も目を丸くしている。
旧アルサンド子爵邸は、貴族街でも南区の端にあった。アシュトナー侯爵邸や、オルメス伯爵邸のある場所とも外れているため、この近辺ではまだ戦闘は発生していないようだ。
遠くから魔術の物と思われる爆音や、騎士たちの上げる鬨の声が聞こえてくる。
「ここが旧アルサンド子爵邸です」
もう1ヶ月以上放置された屋敷の庭は、草が次第に伸び、少しずつ荒れ始めていた。フェイスに案内された中庭では、花壇などの花が枯れて萎れている。
アルサンド子爵は表向きは病気療養で領地に還ったことになっているらしい。だが、嘘を見抜くスキルを失い、王族に無礼を働いたという話が広まっており、多くの貴族や裏社会の人間は真実を知っているそうだ。
「まあ、噂を広めたのは盗賊ギルドですが」
オルメス伯爵親子に嵌められ、彼らやその同派閥の人間の罪を擦り付けられた盗賊は数多く、いつか報復をしてやろうと機会を狙っていたという。
「その結果、今ではアルサンド子爵は領地の片隅に押し込まれているそうです」
「ふーん」
フラン、全く興味無さそうね。奴がそんな状態になったのは確実に俺たちのせいなんだが、まあいいや。自業自得だ。それよりも今は地下とやらを探すのが先決である。
「この真下に空間があるそうです」
「だが、入り方が分からんということか。手掛かりすらないのかね?」
「はい。ネズミを使役している男も、どういった経路で入り込めたのか、見当がつかないと。どこかに穴や亀裂が微かにあり、ネズミが偶然その場所にたどり着いただけであると」
「そのネズミ使い。儂はあったことはないが、どのような能力を持つ?」
「ええと、確か――」
そのネズミ使いは、ネズミのいる場所を感知する能力と、ネズミの記憶を軽く覗く能力、さらにネズミの表層思考を読み取ることができるそうだ。ただ、ネズミの知能自体があまり高くはないため、詳細な話は聞きだせないらしい。
「なんとも役に立たん話だ。魔術でここら一帯を潰せば、地下道もろとも破壊できると思うが?」
「いえ、それはさすがにおやめください。それではガルス師まで殺してしまうかもしれません」
「それもそうか。面倒だな」
これは、エイワースが馬鹿な真似を仕出かす前に、俺たちが何とかしなくちゃヤバそうだ。
『ふむ……確かに広い空間があるな。生命力も複数ある……。それにこの不快感。確実に疑似狂信剣があるぞ』
(ん)
ただ、正確な数などは分からない。騎士団との戦闘に兵力を割いたためか、さすがに100人はいないと思うが、10や20は軽く居るだろう。もっと近付ければ……。大地魔術で穴を掘りながら、こっそり近づくとか?
転移を使えば内部に入ることは可能だが、あの疑似狂信剣に操られた兵たちを無数に相手にしなければならないのは、危険すぎる。
『いや、転移して、相手が動く前に即座に攻撃して敵の戦力を大幅に減らせば……』
そうやって考え込んでいたら、エイワースがいきなり術を詠唱し始めた。そして、土魔術で巨大な穴を掘ったではないか。
「ちょ、エイワースさん! なにを!」
「ここでコソコソしておっても始まらんだろう? であれば、とっととその地下空間とやらを見つければいいではないか」
穴を覗き込むと、凄まじく深い。しかもその奥から淡い光が漏れ出ているのが分かった。多分、謎の地下空間に到達しているだろう。
たしかに大地魔術で穴を掘ることは考えたよ? でも、こんな派手にやったら、確実にばれるだろうが!
「届いたか。ふん、対土魔術用の結界を張ってあったようだが、儂の魔術を防げるレベルではなかったな」
ムカつく程に落ち着いた様子のエイワースが、穴の中に何かを投げ入れた。しかも複数。瓶みたいだったが、いったいなんだ?
土魔術で今度は穴を塞ぎ始めたエイワースに、フランが問いかける。
「今のは?」
「特製の薬だ。気化して、一気に広がるように作ってある」
薬? 毒か? おいおい、ガルスがいるかもしれないんだぞ! フランは俺に手をかけながら、エイワースを睨みつけた。
「いるのは敵だけじゃない!」
「くくく。そう睨むな。大丈夫だ、どの薬も殺傷能力はない。皮膚に激痛が走る痺れ薬、空気と触れ合うと効果を発揮する金属だけを腐食させる薬、生物の魔力中枢を刺激して魔力を急激に失わせる薬だ」
「でも……」
「痺れ薬は痛みはあっても実際に生命が減るわけではないし、手足の痺れを与える程度の物だ。魔力枯渇で死ぬことはない。金属腐食薬は人体には一切影響がない。薬に強い耐性を持つドワーフなら、まず死にはせん。だが、道中にお主に聞いた、剣に支配された兵どもには有効な可能性がある」
前者2つは生産過程に魔術を使っていても、完成品自体は魔法薬ではないらしい。それゆえ、疑似狂信剣の魔力打ち消し効果では打ち消せない可能性が高かった。魔力枯渇薬は魔法の薬だが、それもわざとであるようだ。
「この3種の薬を全て防ごうと思えば、お主の言っておった魔力打ち消しと潜在能力解放状態が必要だろう。戦闘前から消耗させられるのだから、無駄にはならん」
「……」
『まあ、やっちまったもんは仕方ない。今はエイワースを責めるより、結果を待とう』
(ん……)
『それよりも、気を抜くなよ。最悪、数十の疑似狂信剣を相手にする可能性があるからな!』
「ん!」




