426 ベルメリアの涙
魔剣の襲撃を撃退した後、俺たちは貴族街の屋敷へと退避してきていた。ベイルリーズ伯爵と初めて出会った、あの屋敷だ。
本当ならベイルリーズ伯爵に色々と報告して、フレデリックたちと今後の動きを相談したかったんだが……。
『フラン、そろそろ起きよう』
「うにゃ……」
『ほら、伯爵と今後の相談とかもしないといいけないし』
「にゅむ~……」
昨晩はフランの眠気が最高潮すぎて、全く話が出来なかった。ベイルリーズ伯爵がわざわざ出迎えてくれたのに、立ったまま寝てたからね。
伯爵が大らかなタイプで本当に良かった。笑って許してくれたのだ。とはいえ、さすがに今日も待たせる訳にもいかない。
『ほら、起きて起きて』
「む~……」
『はい、顔拭くぞー』
「むゆー」
『寝癖直すからちょっと動くなよ』
「うあ~」
なんてやり取りをすること15分。
「おはよう師匠」
『おう。おはよう』
フランはなんとか目を覚ましたんだが、次はお腹をさすりながら切なそうな顔をしている。
「……お腹減った」
『はいはい。とりあえずこれでもお腹に入れておけ』
昨晩は戦闘の後、ろくに食事もせずに眠ったからな。絶対に朝からハラペコ状態なのは予測していたのだ。おにぎりやサンドイッチなどの軽食を取り出して、フランの前に並べる。
屋敷でも朝食を用意してくれているだろうが、フランの食い意地には対応しきれんだろう。先に小腹を満たしておいた方がよいのだ。
『ウルシも喰っとけ』
「オン!」
「もぐもぐ」
そんなこんなでさらに15分後。
「オフオフ!」
「むぐむぐ」
フランとウルシがベイルリーズ伯爵邸の食堂で、2度目の朝食を貪っている時だった。
「どういうことなのですか!」
「――……」
「私が外されるなど、納得がいきません!」
「――……」
大きな怒声が2階から聞こえていた。ベルメリアの声だ。誰かと口論しているようだが、相手の声は聞こえない。ベルメリアが余程大きな声で怒鳴ったのだろう。
「失礼します!」
ベルメリアの声とともに、扉が乱暴に閉められるバンという音が響く。次いで階段を駆け足で降りてくる音が聞こえた。
やはり食堂に駆け込んできたのは、顔を紅潮させたベルメリアだ。
「ベルメリア?」
「フラン……」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないのです……。すみません」
フランと顔を合わせたベルメリアは、一瞬その動きを止める。だが、すぐに俯くと、小走りでその場を去って行ってしまう。
(ベルメリア、泣いてた)
『ああ』
一体何があったのだろうか? 充血した目の端に涙を浮かべ、歯を食いしばるベルメリアの姿は、今にもその場に崩れ落ちそうな儚さを感じさせた。
あのフランが食事する手を止めて、ベルメリアを追うかどうか悩んでいる。そのくらい、弱々しかったのだ。
だが、フランがベルメリアの後を追うことはできなかった。新たに食堂に入ってくる人物に呼ばれてしまったのだ。
「フラン、シドレ様がお呼びだ」
「ベルメリア、どうしたの?」
「……気にするな」
「気になる」
「……俺が話すことはできん」
口が堅そうなフレデリックが言えないという以上、追及しても教えてはくれないだろう。
『フラン、ここで言い合っていても話が進まない。とりあえず伯爵のところに行こう』
「……わかった」
フレデリックがどこかホッとした様子でフランを案内する。そして、通された執務室の中では、疲れた表情のベイルリーズ伯爵がソファに座り込んでいた。
「来たか、黒雷姫。早速今後の予定を話し合いたい。いいかな?」
「ん」
「まず、様々な情報を感謝する。おかげでオルメス伯爵の別邸への立ち入りは問題なく許可が下りた。侯爵家と言えど、王家の決定には異を挟めんからな」
オルメス伯爵の所持していた別邸は、今ではアシュトナー侯爵家の所有物だが、事件の捜査という名目には逆らえないのだろう。
いや、以前であれば逆らっていたのかもしれない。しかし、失態を繰り返したことで権勢が衰え、逆らえなくなったのだろう。裏から手を回すこともできなくなったに違いない。
「侯爵邸への立ち入りはまだ許可が下りていないが、別邸の捜査で証拠が出れば、それを理由に本邸への捜査も可能になるはずだ」
「ん。私はどうなる?」
「君には今日の夜のオルメス邸への突入時に、力を貸してもらいたい。どうかね?」
今日? メチャクチャ早かったな。フランもそう思ったらしく、驚いている。
「今日の夜? 早い」
「時間をかければ感づかれる恐れもあるからな。何かマズいかね?」
「ううん。それでいい」
「そうか。一応、コルベルトと同じ外部から雇った協力者という扱いになる。現場ではコルベルトの指示で動いてもらうことになるが、構わんかな?」
「ん」
「感謝する」
頷いたフランを見て、何故かベイルリーズ伯爵が安堵した顔をしている。フランが待ちきれずに1人で突っ走らないか心配だったのか?
「君の実力は知っているが、この場合はコルベルトの方がやり方を分かっているからな」
今の言葉で分かった。ベイルリーズ伯爵は、フランがコルベルトに勝利した試合を見ているのだ。それ故、フランが自分よりも弱い相手の指示に従う事が不服だと言い出さないか不安だったのだろう。
コンコン。
「誰だ?」
「コルベルトです」
そこにタイミングよく現れたのが、そのコルベルト本人である。しかし、その顔には困惑が浮かんでいる。
「あー、すいません。そこでベルメリア嬢ちゃんとすれ違ったんですが、何かありましたか?」
おお、いいぞコルベルト。俺たちが聞きづらかったことをサラッと尋ねた!
「……少しな。今夜のオルメス伯邸の捜査から外すと告げたのだが、納得がいかなかったらしい」
「ベルメリア嬢ちゃんを外す? なぜです? あれで、腕は確かだと思いますが? 少なくとも、斥候としての腕は俺以上だ」
「それは買いかぶりだよ。多少腕は立つようになったが、まだまだ未熟。お前たちのような強者には及ばない」
戦闘力だけを比べたら確かにそうだろう。だが、ベルメリアの真骨頂はコルベルトの言う通り斥候技能にある。むしろ屋敷内の捜索に関しては適任だ。それが分からない伯爵ではないと思うが……。
何か他に理由があるのだろうか?
「ベルメリア、泣いてた」
「……分かっている。だが、未熟者を連れていけるほど、甘い現場ではないのだ」
フランの言葉に弱い口調で答える伯爵。だが、嘘だな。それはコルベルトにも分かったらしい。鋭い目で伯爵を見つめている。
「伯爵。ベルメリア嬢ちゃんが可愛いのは分かりますが、あいつはもう一人前です。いつまでも危険から遠ざけておくわけにはいかんでしょう?」
「……むぐ」
色々ともっともな事を言いつつ、単に過保護なだけだった。伯爵の狼狽した表情を見れば、コルベルトの指摘が的を射ているということが分かる。
優秀な武人とは言え、親は親ってことなのかね。
「そう思ったから、フレデリックと組ませて経験を積ませているんじゃないんですかい?」
「と、とにかく! 今回の立ち入りにベルメリアは連れて行かない!」
その言葉にコルベルトが呆れたように首を振り、フレデリックが落胆したように肩を落とすのだった。
「こ、これは決定事項だ!」




