352 黒雷神爪
頭の中に掛かっていた靄のような物がすっきりと晴れ、自分の置かれた状況をハッキリと自覚することができた。
暴走中のアースラースから狂鬼化を奪ったせいで、俺自身が即座に暴走してしまったのだ。暴れていた時のことは薄らと覚えている。
カンナカムイを無詠唱で連発し、形態変形を使いこなし、潜在能力解放を使用した。なるほど、狂鬼化っていうのは凄まじいものだ。あれだけ猛り狂っていても、戦闘だけはきっちりこなすのだから。しかも限界以上の力を引き出して。
ただ、その後の事がいまいちはっきりしない。ゼロスリードをぶった切って、それからどうした? 確か、自分の内側から、凄まじい力を持った何かが溢れ出すような感覚に襲われ――。
そうだ、その何かに引きずられるようにして、俺の体がまるで狼のような姿に変形した。だが、暴走する俺とその何かが主導権を奪い合い、上手く動くことができなかったのだ。
そして、気づいたら刀身の折れた半壊状態で地面に横たわっていた。多分、潜在能力解放を長時間使い続けたことで耐久値が減り、そのおかげで狂鬼化が解けたんだと思うが……。耐久値も残り100以下。魔力も僅かにしか残っておらず、折れた刀身の再生も始まらない。
ただ、その前に何があった? いや、今はそんなことどうでもいいか。未だに俺の前ではゼロスリードとキアラが戦闘を続けていた。
しかもキアラがピンチだ。閃華迅雷を使い続けているようで、これ以上の連続使用は命の危険がある。そう思って念話で話しかけようとしたんだが……。
『ぐがっ!』
凄まじい痛みが俺を襲った。肉体的な物ではない。今日何度目かは分からない、限界を超えた時に感じるあの謎の痛みだ。だが、ここで躊躇する訳にはいかない。俺は精神を直接削るかのような激痛を堪えて、キアラに念話を飛ばした。
戦闘中だが、キアラはきっちり応えてくれる。しかし、キアラはすでに覚悟を決めてしまっていた。
(老人がせっかく格好つけてるんだ。最後まで恰好をつけさせてはくれないか?)
そう言われてしまっては、俺にはそれ以上スキルを解除しろとは言えない。覚悟を決めた相手に対して、それは失礼だろう。
『……そうか。分かった。じゃあ、その命を少しばかり貸しちゃもらえないか? ゼロスリードを倒す』
(ふはは、いいぞ。何をすればいい? 私の残りの命、好きに使え!)
『まずは、俺を拾ってくれ。ただ、装備はするな。俺はフラン以外が装備しようとすると、災いが降りかかる』
実はさっきから激痛を堪えて念動を使おうとしているんだが、ほとんど念動を使うことができないでいた。無理すれば使うことも出来るだろうが、それではゼロスリードを攻撃するまではもたない。
ならば、ここはキアラと協力するべきだ。キアラにゼロスリードの下に運んでもらい、止めの瞬間に残った力の全てを注ぎ込む。
『あとは隙を見て俺を奴に向かって投げてくれればいい』
(それだけか?)
『ああ』
(分かった)
すでに半死半生のキアラと、能力のほとんどが使えなくなっている俺が、ゼロスリードを倒すことができる可能性がある、唯一の方法だった。
(よし!)
ナイスだ! キアラが戦闘をしながら、上手く俺を拾い上げた。それを見たゼロスリードは、わずかに警戒の表情を浮かべる。
俺に食らう攻撃に、破邪の効果が乗っていることに気付いているのだろう。
「その剣に目を付けたか。だが、もう魔力もほとんど感じないその壊れかけの魔剣が、役に立つか?」
壊れかけとか言われてるな。それくらい魔力も低下しているということなんだろう。
「はぁぁ!」
「はは! まだそんな動きができたか!」
ゼロスリードの奴は余裕だな。高位の邪人は痛みもほとんど感じないようだし、体力も底なしだ。そもそもまともな生物じゃないのかもしれないが。度重なる激闘で今は邪気が減っていても、人間の体力や魔力のように間を置けば回復するのかもしれない。
だとすると、奴にとったらこの戦いは本当にお遊びなんだろう。死ぬ恐れのない、強者との遊戯だ。だが、その油断を命取りにしてやる!
「しっ! 黒雷転動!」
『むぅ!』
上手い! 思わず唸ってしまった。
キアラは最初、少し大振りで真正面から斬り掛かった。息も絶え絶えの状態では、これが限界の攻撃に思える。だが、その斬撃はゼロスリードに対する誘いだったのだ。ゼロスリードは真正面から受け止めるつもりで、大剣を持つ手にほんのわずかに力を込めた。
だが、剣が打ち合わされる瞬間、キアラは黒雷転動で高速移動し、奴の背後に回り込んだのだ。来るべき斬撃に備えて力を入れていたゼロスリードは、回り込んだキアラに対する反応が一瞬遅れてしまう。
その時にはすでにキアラが俺を投げつけた後だった。
『ああああああああああ!』
俺は残っていた全ての力を使うつもりで、形態変形を発動させる。イメージは千本の針。だが実際は、中途半端な太さの10本の紐にしか変形できなかった。
しかも勢いも鋭さも足りず、ゼロスリードを貫くことができない。それでも俺は諦めずに、ゼロスリードの体に自らを巻きつけた。
くそ! もっと力を捻りだせ! もっと細く、もっと鋭く、ゼロスリードを喰らい尽くせ! 俺の意思に反応して、右足に巻きついた部分が針状に変化し、ゼロスリードに食らいつく。
『逃がさねぇぇ!』
「ぐが! この剣、まだ動きやがる! しかも何だ? この声は?」
『ぐぎぎ……! ぐがぁぁぁ!』
念話で叫んでいたらしい。だが、今はそんなことどうでもいい。痛みで意識が飛びそうなのだ。しかしここを逃せばもうチャンスは巡ってこない。絶対に倒す! 俺はがむしゃらに形状変化を発動し続けた。
(師匠! 大丈夫か!)
『ぐが……へいき、だ!』
(とてもそうは思えん!)
『へいきだ!』
もう念話で話すのさえ難しくなってきたな。
「このぉおお! ふざけた剣が!」
『がっ!』
ゼロスリードが力ずくで俺を剥そうと手を伸ばした。キアラが斬り掛かるが、それも無視している。やはり痛覚無効をもっているか。それに、多少の傷はどうせすぐに再生すると考えているんだろう。破邪顕正をもつ俺の方が脅威度が高いと判断したらしい。
『ぐがあああ!』
「このやろう! 離せぇぇぇ!」
離すもんか! 絶叫を上げるゼロスリードと、全く動くことの出来ない俺とキアラ。ただ、この部屋に新たな影が駆け込んでくるのが分かった。
「師匠! キアラ!」
『フラン……! なんで……』
「師匠の悲鳴が聞こえた……。それにキアラも。絶対に戻らなきゃいけない気がして……!」
フランがそう叫ぶ中、キアラが決意の表情で叫んだ。
「師匠! そのまま注意を引いていろ!」
『なに?』
(奥の手を使う。今の私だとちょいとばかり命を削る必要があるもんで使えずにいたんだが、ちょうどいい的があるんでな)
おい、そんなことしたら、キアラの命は!
(自分のことは自分が一番分かっている。今更やめたところで、ここで死ぬのが、一週間先に延びるだけさ。だったら、ここで戦士として死にたい)
キアラがその場で足を踏ん張った。目の焦点がおかしい。すでに視界がぼやけてしまっているようだった。だが、それでも顔には覚悟の表情が浮かんでいる。
(さっきも言っただろう? 最後まで格好をつけさせろって? 人と獣の差が分かるか? 見栄えを気にするかどうかさ。人間、格好つけてなんぼだろ?)
『……ゼロスリードはもう少し右だ』
(お前はいい男だな。ふふ、フランをよろしくな)
そして、ゼロスリードの背後でキアラが剣を振り上げた。みるみるその刀身に黒い雷が収束し、巻付いていく。それだけではない。キアラの瞳がまるでネコ科の動物のように変化し、老いて白くなった髪が、黒く染まっていくのが見えた。
一気に増す存在感と反比例するように、急速に生命力が失われていくのも分かる。それでも、今の俺にはゼロスリードの動きを止めておくことしかできなかった。
「はぁぁぁぁ! 黒雷神爪ぉぉぉぉっ!」
キアラの手には、黒雷の剣が生み出される。だが、メアが使っていた金殲火のように、単に力を収束させただけではない。その黒い剣からは、神々しささえ感じられたのだ。魔力の質が決定的に違っている。
悍ましさと恐怖を撒き散らす邪気の正反対とでも言おうか。黒雷の剣は、見ているだけで神聖さと畏敬の念を抱かせた。
「ババア! 何を……」
「せやぁぁぁ!」
わずかに逸れた! もう、キアラには踏み込む力さえ残っていなかったのだ。俺は咄嗟に念動を全開にして、キアラの振るった黒雷神爪の軌道を修正しようと試みた。
怪我の功名だろうか。一度逸れるかと思った剣が急に角度を変えたことで、ゼロスリードの左腕を斬り飛ばすことに成功していた。
「ぎゃぁああああぁぁぁぁぁ!」
ゼロスリードが絶叫を上げる。破邪顕正を込めた攻撃でさえ、これほど取り乱す姿は見せなかったはずだ。だが、それも仕方ない。ゼロスリードの邪気がゴッソリと減っていた。
「な、なぜ再生しねぇぇ!」
ゼロスリードが左腕を押さえて傷口の再生を試みているようだが。全く反応していない。そもそも、傷口周辺には邪気が集まらないようだ。
どうやら俺が感じた神聖な雰囲気は、気のせいではなかったらしい。黒雷神爪には破邪顕正以上の破邪の力を秘めているようだった。
「ふは……」
満足げな表情で倒れ込むキアラ。ただ、俺にはもうヒールを使う力さえ残っていない。
「師匠! キアラ!」
『俺よりも、キアラを……』
「くおおおおお!」
空気を読まない奴だな! ゼロスリードは未だに切り落とされたままの左腕の傷を押さえながら、忌々しげな表情でこちらを睨みつけている。だが、そこに先程までのような迫力は無かった。
「まさか……神属性を使うとは……。獣人が神獣の末裔だっていう話は本当かもな……。ここは退いてやる。だが、次会った時は覚悟しておけ! そこのババアにも、次は勝つと言っておけよ! あばよ!」
逃げられた。いや、逃げてくれたか。いくらフランが戻ってきたとは言え、奴が死に物狂いで反撃し始めたら、ただでは済まなかっただろう。むしろ、助かった。
『キアラ』
(師匠……やったな……)
『だが、お前は……』
(満足、だよ。黒天虎の力を、全て発揮できた。最後にいい戦いも、できた。満足だ……)
『……格好、よかったぞ……』
(くはは……最高の、褒め言葉……)
仰向けに横たわるキアラに、フランが駆け寄る。
「キアラ! キアラ!」
「よぉ、フラン……」
「今治す!」
「無駄さ……」
フランがキアラの言葉を無視して、グレーター・ヒールを連発した。だが、キアラが回復する様子はない。それも仕方ないだろう。なにせもう生命力が尽きている。キアラは死んでいるのだ。死者は生き返らせることはできない。
むしろ、なぜ喋れるのかが分からなかった。
「……短い間……楽しかったよ……」
「うぐ……キアラァ……」
「血は、繋がってなくても、孫のように……」
「うん」
「復讐……なんて、馬鹿なことは考え……」
「うん」
「強くなれ……、優しく、格好よく……自由に生きて………」
そこで、キアラの言葉が止まってしまった。全身から力が抜け落ち、必死に見開いていた目は、ようやく楽になれたとでも言うようにそっと閉じられている。
「キアラ?」
「……」
「キアラ!」
フランの呼びかけに、もうキアラが応えることはない。笑みすら浮かべた安らかな顔で、旅立っていた。
「ぐうう……うあ……っ」
フランの目から流れ落ちた大粒の涙が、キアラの胸に染みを作る。そして、そのままフランは年相応の顔で、キアラの胸に突っ伏して大声で泣き始めた。
「うああああああああああ――!」
たくさんの温かいお言葉、ありがとうございます。
確かに病み上がりで無理をするのも怖いので、次回も4日後の更新とさせてください。




