350 Side ネメア
Side ネメア
それは唐突だった。
フランがアースラース殿の狂鬼化スキルを封じることができると言い出した。それで止まるかは分からないが、キアラ師匠はとりあえずやってみろと告げる。
そして、フランが剣を構えてなにやら集中すると、アースラース殿の動きが止まったのだ。本当に暴走を鎮静化することに成功したらしい。
ゼロスリードとかいう不気味な邪人は残っているものの、最悪の事態は脱した。そう思い、フランに駆け寄ろうとしたんだが――。
「やったな」
「……」
「フランどうし――」
「師匠?」
『があああああああ!』
突然、誰かの絶叫が鳴り響いた。まるで脳内に直接聞こえているかのようだ。いや、実際そうなのだろう。念話だ。
「これは……師匠か?」
私がそう呟いた瞬間、フランの手に握られていた魔剣が、突如その手を離れて飛び出す。宙に浮いたまま激しく振動するその剣から、獣の咆哮のような、それでいて苦痛に喘ぐ悲鳴のような、絶叫が発せられているのが分かった。
『があああああああああ!』
剣から雷光が発せられ、ゼロスリードを襲う。あっさりとかわされたものの、剣は勝手に動いてゼロスリードに突進していった。
フランを見ると、その場で呆然と立ち尽くしている。そして、直後に真っ青な顔でその後を追って走り出した。
「師匠!」
「フランの意思じゃない? 師匠が暴走しているのか?」
「おいメア! 何か知っているのか?」
いきなり剣が独りでに動き出すという事態を見て、キアラ師匠も焦った顔をしているな。フランの様子を見て、意図通りではないと理解したのだろう。
「えーっと、師匠が……」
「私がどうした?」
「ち、違います! キアラ師匠ではなく、フランの師匠が!」
「どういうことだ!」
まずい、インテリジェンス・ウェポンだという情報を私が口にしていいものか? これはフランが私を信用して話してくれた情報だぞ? それを裏切るのは……!
すると、横からクイナが口を挟んだ。
「お嬢様落ち着いてください。すいません、お嬢様も錯乱しているようです」
「そうか。クイナは何か知っているか?」
「詳しいことは分かりませんが、師匠というのはフランさんの剣のことです。師匠という銘が付いているらしいですね。そのフランさんの剣は何らかの事情で暴走しているようです。先程のアースラース殿のスキルを封じた影響ではないでしょうか? 多分、あの剣はかなり高位の魔剣であるようですし、スキル封じはあの剣の能力なのでは?」
「なるほど。そして、狂鬼化の影響を受けて暴走したと?」
「そうとしか思えないですね」
よかった、クイナが上手く説明してくれた。だが、そんな話をしている内にも師匠の暴走は続く。
『がああ!』
再びすさまじい雷光がゼロスリードに向かって降りそそいだ。それも三発も。それぞれがダンジョンに大きなクレーターを穿つのを見て、背中に嫌な汗が流れる。
あれはどう見ても極大級の魔術だ。それを3発も同時に放つ? インテリジェンス・ウェポンというのはそれほどの能力を秘めているというのか?
「今度は剣か! しっかし、その赤いオーラ、さっきの神剣使いに似ているが、何がどうなってやがる?」
雷で身を焼かれながらも再生を繰り返すゼロスリードだが、その顔には戸惑いが見て取れた。剣だけが勝手に襲い掛かってくるという事態に、付いていけてないのだろう。
「師匠! 師匠!」
フランが爆風に目を細めながらも必死に呼びかけているが、師匠には全く届いていないようだった。
師匠はフランを無視して凄まじい速度で飛び出す。停止からの急加速は、ゼロスリードを驚かせるには十分だったらしい。回避させる間もなく、その半身をぶち抜いた。
「ぐううぁ! なんだ! これはぁ!」
しかも明確にダメージを与えた。そうだ、あの剣には破邪顕正の能力もあるのだった。苦悶の表情を浮かべるゼロスリードに対して、師匠の追撃が続く。
『潜在能力解放ぉぉぉぉ!』
師匠の叫びの直後、凄まじい魔力が師匠から溢れ出した。放たれる魔力によって空気が振動し、私の肌を叩く。
あの剣は、どれほどの力を秘めているというのだ? 正直言って今の師匠から発せられる威圧感は、神剣と比べても決して劣るものではない気がした。悔しい事に、私がリンドを振るってもあそこまでの力は発揮させてやれないだろう。
『おおおおおおお!』
再び雷が放たれる。なんと頭上から降り注ぐだけではなく、横から横へと極雷が打ち出されたではないか。先程の極大魔術よりも明らかに太い雷光が、頭上から三本、左右から二本。ゼロスリードを囲むように襲い掛かる。
「何度もやられるか!」
私だったら何度黒焦げにされるか分からない雷光を、ゼロスリードは真っ向から受け止めた。その手に持った漆黒の大剣で雷を切り裂き、弾き、散らす。
なんなのだこの戦いは? 明らかに先程のアースラース殿の戦いよりも激しい。ゼロスリードによって打ち消された雷光の放電する音が、やけに遠くに聞こえる気がした。だが、私の胸に燻る様々な想いなど余所に、師匠の暴走は続く。
今度は師匠の刀身がいきなりバラバラになった。可視化する程の凄まじい魔力に耐えかねて自壊したのかと思ったら、そうではない。どうやら自らの形状を変形させたらしい。
今は何千本もの糸となって、ゼロスリードを包囲していた。それはまるで鋼の糸で作り上げられた繭玉のようだ。
『ああああああああ!』
「ちくしょうがぁ!」
その繭玉が一気に狭まり、閉じる。このまま行けば周囲から襲い掛かる糸がゼロスリードを絡めとるだろう。
「くおぉ! 色々とやってくれるなぁぁぁ!」
だが、ゼロスリードは完全に飲み込まれる前に転移して逃れていた。右腕は失っているが、ダメージはそれ程でもないようだ。逃げられたと瞬時に理解した師匠が、ゼロスリードを追撃する。
再びその形状が変形し、元に戻った。本体だけはだが。飾り紐だけは未だに100本ほどの糸になったまま、ゼロスリードを追い続ける。そうやって相手の動きを誘導しつつ、師匠が自らの体を一振りした。
『天断』
「ふせろ!」
師匠が剣の延長線上にいるもの全てを切り裂いた。ゼロスリードも、邪気も、魔力も、空気も、ダンジョンも、全てだ。いつの間にか私のすぐ頭上の壁が、深々と切り裂かれている。いや、私の頭の上だけではない。師匠の振り抜かれた延長線上にあった壁全てが斬られている。
ゾッとした。キアラ師匠に引きずり倒されていなければ、私の首は今の攻撃で斬り飛ばされていただろう。それも、自分では何も気づかぬままに。
「がああああ!」
ゼロスリードの腰から下が無い。しかも再生も遅い。それだけのダメージを負ったのだろう。あの化け物のようなミューレリアを超えた力を感じさせた邪人が、いとも簡単に追い詰められている。
私は震えが止まらなかった。心底恐怖していた。あれは単なる魔剣などではない。もっと恐ろしい、ナニかだ。
『がああおうあぁぁぁ!』
「今度は何だぁ?」
師匠が再びその姿を変える。あれは何だ? 刀身の柄の意匠が盛り上がったかと思うと、そこを先頭に刀身が鈍い金属音を響かせながら盛り上がっていく。
「次から次へと……させるかよ!」
今度はゼロスリードから仕掛けた。邪気を刀身に集中させて、斬り掛かったのだ。だが、それも師匠の周囲に張り巡らされた障壁によって相殺されてしまった。今の一撃だけで、私の全魔力の数十倍の力が込められていたはずなのに。
『ううぅ――アオオオオオォォォォォ!』
それは狂気と破壊の衝動を込めた遠吠え。師匠の体が何の姿をとろうとしていたのか、ようやく分かった。狼だ。全身が漆黒の、鋼で形作られた、体高5メートル程の狼である。そして、その体から噴き出すのは漆黒の魔力。その黒い魔力が赤いオーラと混ざり合い、禍々しい色彩を放つ。私はそれを見た瞬間、呟いてしまった。
「フェンリル……?」
それはまるで、お伽噺に登場する魔狼フェンリルのようであった。かつて世界を食らい尽くそうとしたという、大魔獣。しかし、今の姿はその名に決して負けていないように思えた。
「開いた!」
私がただ恐怖に震えることしかできていなかった間、クイナとキアラ師匠はしっかりと仕事を果たしていたらしい。キアラ師匠の快哉の声に続いて、入り口が開く音が聞こえた。
「おい、逃げるぞ!」
「は、はい!」
「ミアはグエンダルファを。クイナはアースラースを担げ! フランは私が連れてくる!」
私には指示はない。当然だ。震えていることしかできなかったのだから。クイナに腕を引かれるがままに、私は部屋から出ようとした。だが、目の端で捉えてしまう。キアラ師匠がゼロスリードによって攻撃される姿を。
「おいおい、もう少し遊ぼうぜ!」
「ちっ!」
まずい。いかなキアラ師匠とて、あの男をかいくぐって、フランを連れ戻すことなどできない。フランは師匠が暴走を始めてからの間、呆然と立ち尽くしたままだ。
「くそっ!」
「あ、お嬢様!」
クイナの制止の声が背中に当たる。だが、私の足は止まらなかった。自分でも何をやっているのか分からない。
「フラン! 何をしている!」
「メア、師匠が……」
「今は逃げるんだ!」
「だめ! 師匠を置いていけない!」
「だがな……!」
フランの気持ちは痛いほどに分かってしまう。私とて、リンドが同じように暴走すれば、ただ逃げることなどできないだろう。それでも、今はこの場から遠ざけなければならなかった。
「だが、今の師匠は狂鬼化状態だ! お前のことなど分からぬまま、攻撃してくるんだぞ!」
「で、でも……!」
「さっきの攻撃でお前が巻き込まれなかったのは偶然だ!」
「……っ!」
「こい!」
フランの抵抗する力が弱まった。これ幸いにと、私はフランの腕を引っ張ろうとした。するとなぜだろうか。鋼の狼の目が、ゼロスリードではなく私を見た気がした。それだけで、私は立ちすくんでしまう。凄まじい殺気だった。
『オオアアァァフラァァァン!』
今、確かにフランと叫んだか? もしかして、フランの事は判別している? 先程からフランを巻き込んでいないのは、偶然ではなかったのか?
『グルオオオオォォォ!』
鋼の狼がその口を開く。その巨大な顎から放たれるのは、膨大な魔力を込められた何かだ。咄嗟にリンドをかざすが、これで防ぎきれるかどうかも分からない。いや、むしろその可能性は低いだろう。
だが、なす術なく私を飲み込もうとした閃光は、私の前に立ちふさがった何者かによって防がれていた。
「キアラ、師匠?」
「おう。無事か?」
「は、はい……ですが師匠は……!」
「そんなことはどうでもいい! 今は逃げるんだよ!」
「は、はい! フラン! いくぞ」
キアラ師匠の言葉に弾かれるように、私はフランの手を今度は離さぬように強く握ると、入口へと駆け出すのだった。




