345 再戦
説明を終えたアースラースが、自分で作り出した椅子からおもむろに立ち上がる。
「さて、疑問は解消したか? だったらもう帰れ」
「なっ! 何を言われるのです!」
「ここは俺一人で十分だ。キアラ、こいつらを連れて帰れ」
「わかった」
「キアラ師匠! 何故です! 力を合わせればよいではないですか!」
メアが驚きの声を上げるが、キアラは首を横に振るだけだ。
「アースラース。もうそろそろなのだろう?」
「ああ。多分な。俺に殺されたくなければ、すぐにここを出ろ」
それは、アースラースの狂鬼化が発動間近ということか? だとすると確かに危険だった。今の状態でも十分強いのに、これがさらに数段強くなり、暴走するというのだからな。キアラが素直に頷いたのも当然だ。
「メア、行くぞ」
「……分かりました」
「フランもいいな」
「……ん」
メアもフランも不承不承うなずく。メアは使命感の強さ故に、アースラースだけに全てを任せるということが不満なのだろう。また、自分が役立たずであるということも、彼女を苛立たせている原因であるようだった。さっきも、自分が神剣の主として認められていないことが悔しいようであったしな。
フランは単純にアースラースの強さを見れないのが残念なんだろう。だが仕方ない。なにせアースラースの暴走に巻き込まれたら最悪だ。
『フラン、急ごう』
「ん」
キアラもやや焦りのある声で、クイナたちに指示を出した。
「急ぐぞ。クイナ、扉を開けてくれ」
「はい。ミアノアが殿をお願いします」
「わかりました先輩」
クイナを先頭に、入口へと急ぐ。ミアノアを最後にしたのはメアが馬鹿な真似を仕出かさないように見張るためだろう。まあ、ありえないとは思うが、1人でアースラースの下に戻ったりね。
「……っ」
「どうしたクイナ」
「開きません」
「なに?」
「この部屋に入った時には、確かに開閉が可能だったはずなのですが」
中からは開けられない作りなのかと思ったが、クイナは俺たちと違ってしっかりと開閉できるかを確認していたらしい。
これはまずいんじゃないか? 俺はディメンジョン・ゲートを試してみた。ダンジョンの外に出れずとも、この部屋から逃げることができれば構わない。
『――どういうことだ?』
だが、魔術が発動さえしなかった。時空魔術を発動しようとしても、魔力が上手く練り上げられない。
(師匠?)
『転移が阻害されている』
この感覚には覚えがあった。ミューレリアが張った転移妨害の結界だ。俺がその事に思い至った瞬間だった。
「あははは! その扉は閉じたから、もう出られないわよ? 結界を張ったから転移も無駄無駄!」
「その声は!」
「ミューレリア?」
突如部屋に響いた声に、メアとフランの年少組が身構える。
「せいかーい!」
ミューレリアが転移してきたのは、俺たちからアースラースを挟んだ反対側だ。邪神の力で張った結界であるが故に、その加護を得ているミューレリアだけは転移が可能なのだろう。
相変わらず何が楽しいのかニコニコと笑みを浮かべている。だが、その身から発せられる邪気が、わずかながら弱まっているようにも感じた。破邪顕正の影響か? まあ、それでも十分に強いので、侮ることはできないが。
「まさか神剣使いがやって来るとは思わなかったわ。足止めのために作り出した迷宮がこんな早く突破されるともね」
「お前は、ダンジョンマスターなのか?」
「違うわ。まあ、ダンジョンの関係者ね」
「そうか……」
ミューレリアの発する邪気を感じ取り、一目で敵だと看破したらしい。アースラースが地剣・ガイアを抜き放ち、身構える。だが、その視線はミューレリアだけではなく、こちらにも向けられていた。アースラースが真剣な表情で口を開く。
「……キアラ」
「わかっている」
「いいか、ガキどもを守れ。あと、いざという時は躊躇するなよ?」
「ああ」
どうする? 逃げられない以上は、アースラースの邪魔にならないように逃げ回るしかないのか?
それともアースラースが暴走する前に、ミューレリアを速攻で始末するか? このメンバーであればそれも可能だろう。どうせこの空間でアースラースが暴走を始めたら、一巻の終わりなのだ。だったら、速攻で戦いを終わらせて、アースラースと別れる方が良い気もする。アースラースもそう考えたようだ。
「出来るだけ早く、あの女を叩き潰す。こっちに合わせろ」
「分かった。皆も、アースラースに従え」
「無論です!」
「ん!」
メアはどこか嬉しげだな。クイナとミアノアも無言でうなずく。フランもやる気満々だ。
「特にフランの剣は破邪顕正を備えておる。邪人に対しては有効だ」
「ほう? それは頼もしいな」
俺が破邪顕正スキルを備えていることはすでに明かしてある。なにせミューレリアに対する切り札だからな。
「黒猫の嬢ちゃん、調子に乗って俺の攻撃に巻き込まれるなよ?」
「ん!」
「まあ、大丈夫そうか。その年でどうやったらそこまで強くなれんだ? 黒猫族っていうのは弱いって聞いてたんだが、嬢ちゃんといいキアラといい、凄まじい奴ばかりじゃねーか」
まあ、フランもキアラも特殊なパターンだからな。現時点での黒猫族のナンバー1、2だろうし。そんな話をしている間も、ミューレリアは攻撃してこない。なぜか不敵な笑みを浮かべて、その場に佇んでいた。
「お話は終わったかしら?」
「この面子を相手に随分と余裕だな?」
「それ程でもあるわね。そんなことよりも1つ聞かせてほしいのだけど?」
「ああ? なんだ?」
「もう、ギリギリっぽいけど? そんな状態で戦えるのかしら?」
「ちっ!」
ミューレリアの言葉を聞いて、大きく舌打ちをするアースラース。
「あなたの中で、破壊の衝動が大きくなりつつある。大迷宮はあっと言う間に突破されてしまったけど、まるっきり無駄だったわけではないみたいね? くふふ、戦えば戦うほど、暴走が早まるって感じかしら? お仲間を巻き込まなければいいけど?」
「だったら、俺が狂っちまう前に、お前をぶち殺すまでだ!」
アースラースのその叫びが、開戦の合図となった。アースラースがミューレリアに突っ込む。様子見ではない、本気の一撃だろう。転移で回避されたものの、地面を叩いたその攻撃によって部屋に大きな振動が走ったのだ。
やはり無詠唱での転移は厄介だ。だが、ミューレリアの不利に変わりはない。なにせ、手数が違う。
「はぁぁ! 閃華迅雷!」
「あはは、せっかちね!」
「ふっ!」
転移先を読んでいたフランが先回りしていた。転移自体は妨害されていても、空間の揺らぎを感じ取って相手の転移先を読む程度の事は出来る。
『はぁぁぁ!』
「しっ!」
フランが閃華迅雷を使って高速で斬り掛かった。一撃よりも、手数を優先した動きだ。俺があるからな。破邪顕正のおかげで当たれば邪気を削り取れるのだ、むしろ弱い攻撃を間断なく繰り出す方がミューレリアにプレッシャーをかけられるだろう。
その間、俺も飾り紐を鋼糸化して攻撃を仕掛けている。段々と慣れてきたおかげで、変形もスムーズになって来た。
「あっぶないわねー」
『逃がしたか』
ミューレリアはこちらに反撃もせず、あっさりと転移で距離を取る。なんだ? 破邪顕正をよほど警戒しているのか?
「あー怖い怖い。さすがに一筋縄じゃいかないわね。でも、いつまで隙を見せずにいられるかしら? 精々足掻きなさい」
凄まじく上から目線だな。確かに1人だけ転移を使えるのはアドバンテージだろうが、そこまで余裕を見せられる程か? 他に何か隠し玉があるのではなかろうか?
だがその後もミューレリアは、襲い掛かるキアラやメアから逃げつつ、牽制以上の攻撃をほとんどしかけてこなかった。
「ほらほら! どうしたの? その程度の攻撃じゃ私を倒せないわよ?」
口では強気なことを言っているんだがな。これは確実に時間稼ぎをされている。それはここにいる全員が気付いているだろう。だが、それでも決定打を放てない。
広範囲の高威力攻撃を放つにはこの場所が狭すぎるのだ。確実に他の仲間を巻き込んでしまう。かといって、転移するミューレリアを追い続けるのも難しい。まだその動きは見せないが、いざとなったらミューレリアは部屋の外に逃げればいいんだからな。
やはり転移した場所まで巻き込むような、範囲が広くて持続性のある攻撃を放つしかないだろう。俺が見たところそれがやれそうなのは、アースラースとフランだけだ。
クイナとミアノアは接近戦特化なので広範囲の攻撃は無理である。メアとキアラはミューレリアの転移を察知して追う術がない。
結局、時空魔術で転移先を察知できる俺か、直感で転移を察知できるアースラースがやるしかなかった。だが、アースラースにやらせるのは正直不安だ。
ミューレリアが時間稼ぎをしている理由は、アースラースにあるだろう。アースラースの暴走を待っているとしか思えなかった。だったら、戦闘行為をすればするほど暴走の危険が増すというアースラースに、下手に強力な技を撃たせるのは怖い。
ならば俺たちがやるしかなかった。アースラースの暴走が始まる前に決着を付けなくてはならないからな。アースラースの破壊衝動とやらを俺は感じ取ることができない。だが、少しだけその表情に焦りが見え始めたのは分かった。多分、ミューレリアの言った通り暴走が近いのだろう。もう時間がなかった。どんな方法を使ってでも、ミューレリアを倒さねばならない。
『フラン』
(ん)
『俺が奴の足を止める! その瞬間を逃すな。奴を倒すには、身を切るしかない』
(わかった)
『よし!』
ミューレリアがメアの白火を転移で回避した直後、俺は全力で形態変形を発動する。より細く、より鋭く、そしてより広く。同時演算を全開にして、より完璧に自らの刀身を操るのだ。
それだけではない。破邪顕正の力を、糸の隅々まで、一本一本にまで行きわたらせる。そうではなくては、ミューレリアを捕まえることなどできないだろう。
『ぐぅぅぅぅぅ!』
同時演算を用いて魔術を多重起動した時と同じような――否、それ以上の痛みが俺の精神を襲う。そう、痛覚の無い剣であるはずの俺が、確実に痛みを感じていた。俺の刀身だろうか? それとも精神? 何かが軋む音が聞こえた気がした。だが、ここで手を抜くことなどできない。
飾り紐だけではなく刀身までを使い、まるで巨大な蜘蛛の巣のように、鋼糸と化した俺の刀身が広間の半分を覆い尽くす。
「がっ! こ、こんなことまで!」
『捕ら、えたぞ!』
蜘蛛の巣に掛かった獲物は、転移をした直後のミューレリアである。鋭い糸がその身をからめとり、右腕と左足は半ばから切り落とされた。全身には裂傷が刻まれ、邪気が霧消するのが分かる。俺はさらに糸を操作して、ミューレリアを逃すまいとその包囲を狭めた。
『ぐうううぅ……!』
同時に、フランの為に道を開ける。そこにフランが突貫した。
多少の隙間を空けたとは言え、鋼の糸はフランにもダメージを与えてしまう。だが、フランはお構いなしだった。赤い血を撒き散らしながらも、まるでダガーのように細く小さくなってしまった俺をミューレリアに向かって突き出す。
「はぁぁぁぁ!」
「ぐふ……!」
だが、間一髪間に合わなかった。絡みつく糸を圧縮した邪気で一瞬だけ押しのけ、転移して逃れたのだ。
広間の中央に現れたミューレリアの胴には大きな穴が穿たれているが、まだ消滅する気配はない。ただ、邪気は最初の半分以下にはなっているだろう。確実に追い詰めているはずだ。
(師匠、だいじょうぶ?)
『こっちの、台詞だ……』
(ん。すぐ治る。でも、師匠はかなり無理をした)
『ああ……』
強がりたいんだが、それさえも億劫だ。だが、今は休んでいる場合ではない。
『仕留めるぞ』
(……ん!)




