252 フラン先生
フランが期間限定で弟子をとることになった翌日。
フランたちは朝から甲板で修行を開始していた。
「まずはストレッチ」
「ストレッチって何ですか?」
「きっと凄い修行に違いない!」
「いや、何かの魔術じゃないか?」
名前だけではピンと来ないか。こっちの世界にはストレッチの概念はないようだしな。一応、運動前に軽く体をほぐす程度はするらしいが、ガッツリ柔軟をすることはしない。
フランも最初は全然やっていなかったので、体を動かす前にストレッチをするように俺が教えたのだ。フランはそれを3人組にも教えてやるつもりらしい。
「運動の前に体を温める」
「はあ、それって何か意味があるんですかい?」
「ん」
「ふむ。興味深い。して、その意味とは何なのですか?」
「体が温まっていると、色々と良い」
「色々とですか? 例えば?」
「ん? だから色々」
出会ったばかりの頃に一応教えたんだけどな。仕方ないか。フランは体で覚える派だからね。ストレッチをして動くと、調子が良いことは分かっているんだろう。だが、それがどういった理屈なのかはすっかり忘れているらしい。
フランのアバウトな発言に3人組はしばし呆然としていたが、すぐに頭を振って立ち直る。そして、そのままフランに言われるがままにストレッチを始めるのだった。
「な、なあ、これってやる必要あるか?」
「おバカ! 当たり前じゃない。異名持ちの先生がやってる事なんだから!」
「た、確かに」
「きっと、俺たちの様な低ランカーには想像もできない深い意味があるに違いない」
「だ、だよな。あの黒雷姫先生がやらせるくらいだからな!」
「そうよ。きっと凄まじい効果があるに違いないわ」
「そうか! 先生があの若さであれだけの強さを誇っているのは、もしかしたらこのストレッチと言うのが関係しているに違いない!」
「なるほど! 修行の効率が上がる様な秘密が隠されているのかもな!」
「きっとそうよ!」
「おお、やる気出て来た!」
いや、そんな凄い効果はないですよ? せいぜい怪我をしにくくなるくらい? そのおかげで修行の効率が良くはなるかもしれんが。
「このストレッチは、師匠に教わった」
「先生の師匠様ですか?」
「ん」
「先生の師匠ってどんな方ですか?」
「師匠は凄い。世界一の師匠。私の力は師匠に貰った」
「へぇ! 凄い人なんですね!」
「師匠は最高」
「そんな凄い人が教えたって言う事は――」
「やっぱりこのストレッチって言うのには凄い効果があるんだ!」
「やる気出て来たわ!」
彼らは凄い勢いでストレッチをこなしていく。ああ、そんな激しくやっても意味ないから! だが、フランはきちんと諭し、ゆっくり丁寧に行う様に指導してやっている。
その様子は意外に様になっていた。遥か格上のフランが手取り足取り、丁寧に指導してくれることに3人組は感動しているらしい。たかがストレッチを教えただけなのに、確実にフランへの尊敬が増したことが伝わってくる。
「次は模擬戦」
「え?」
「まじっすか?」
「あ、相手は誰なんでしょう?」
やる気満々だった3人組の顔は、見る見る意気消沈していく。先日の模擬戦で、フランに半殺しの目に合わされた記憶が蘇っているのだろう。
もしかしたらフランが相手じゃないかもしれない。3人組同士での模擬戦かも知れない。そんな希望を僅かに抱いた様だったが、フランはその希望をあっさりと打ち砕く。
「ん。1人ずつかかってくる」
「……わかりました」
「おい、先行っていいぞ」
「あんたこそ先に行きなさいよ!」
「ここはレディファーストで」
「リディック裏切ったわね!」
醜い押し付け合いをしている3人を見かねたのか、フランがピッと指をさしてミゲールを指名した。
「最初はお前。大剣使い」
「ま、まじっすか」
「早くする」
「お、おっす!」
「頑張ってねー」
「死ぬなよ」
「お、お前らだってこの後すぐ地獄を見ることになるんだからな!」
ミゲールが絶望に染まった顔で前に出る。
「かかって来る」
「い、行きます! おらぁぁ!」
ミゲールが大剣でフランに斬りかかった。彼我の実力差を思い知っているからこそ、ミゲールに躊躇いはない。本気の本気だ。
ただ、周囲で修行の様子を眺めていた船員たちは驚いたらしい。はたから見たら、大剣を握った巨躯の冒険者が、小さい少女に斬りかかった図だからな。船員たちには力の差なんか分からんだろうし、どう見てもミゲールの方が強そうだろう。昨日の海賊船との戦闘を全員が見ていた訳じゃないし。
大人の冒険者たちが何故か少女に指導されている光景を、娯楽感覚で見ていた船員たちは、突然の事態に悲鳴を上げた。だが、彼らの想像する悲劇は訪れない。
「大振り過ぎる」
「どりゃぁ!」
「一撃の威力は大事。でも、当たらなければ意味がない」
「くそっ!」
「もっとコンパクトに」
「はぁぁ!」
「踏み込みが甘い」
「ぐぅ!」
フランはほとんど反撃せず、ミゲールの攻撃を避け続けた。時おりアドバイスを口にし、隙を教えるために軽く体を叩く。
船員たちは唖然とした表情で見ているが、ミゲールにとっては最初から想定内だったのだろう。むしろ、フランが反撃せずにキチンと指導してくれることに喜んでいる様だった。
そのまま10分ほど全力で攻撃し続けたミゲールは、疲労困憊でへたり込んだ。
「ん。最後の方は悪くない動きだった」
「あ、ありがとう、ございました!」
「じゃあ、次。槍使い」
「はい!」
再び激しい模擬戦が始まる。リディックは丁寧に攻撃を当てようとしてくるが、フランには完全に見切られている。
「攻撃が丁寧過ぎる」
「く!」
「予想しやすい。もっと遊ぶ」
「はぁっ!」
「今のは良い。でも遅い」
リディックに対してもフランは基本的には避けに徹し、時おり隙をついて手の平で体に触れる。武器を持っていれば死んでいるぞ、というアピールだ。リディックも最後には体力を使い果たし、その場にへたり込むのであった。
最後はナリアだな。彼女は弓ではなく、短刀での模擬戦だ。弓は大して教えられないし、船の上じゃ流れ弾が危ない。ナリアには一貫して短刀の指導をするつもりらしい。
攻撃を躱すことは前の2人と同じだが、攻撃の頻度が多い。
「攻撃を当てるよりも、受けることを意識する」
「はい!」
「受けきれなければ躱す」
「いたっ!」
「短刀は牽制のつもりで」
ナリアがバテるのはミゲール達よりも早かった。慣れない武器を使っている上、フランの攻撃を受けるために神経を使っているからな、仕方ないだろう。
だがフランは満足げだ。先生っぽい感じで指導が出来たからだろう。
「弓使いはこのまま短刀の練習を続ける」
「はい!」
「大剣使いと槍使いは、もっと踏み込みを意識すること」
フランの言葉に3人組は大きく頷いている。今の模擬戦で色々と手ごたえを感じたのだろう。だが、俺はあることに気づいていた。
「弓使いは弓の修練も続ければいい」
大剣使いに、槍使いに、弓使いね。これは確実に名前を忘れてるな。まあ、興味がない事はとことん覚えないし。今までもそうだった。さて、彼らは航海が終わるまでに、フランに名前を覚えて貰えるかね?




