237 模擬戦開始
デュフォーと呼ばれた幻剣士の青年が、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。その顔には不満げな表情が浮かんでいた。
ガムドに呼ばれた冒険者の中で最も強い自分が、こんな小娘の相手なんかしてられるか、そんな想いが見え見えだ。
ガムドが審判の様に2人の間に立つ。
「お前らには、最低でも2回はフランと戦ってもらうからな」
「へえ? それまで保てばいいですけどね」
「それはお前たち次第だ」
ガムドの言葉をどう受け取ったのか、軽く肩をすくめるデュフォー。
「それに、回復役もバッチリ呼んでいるからな。おい、入って来い」
「はいはい。こういう時にだけ呼ぶんだから」
ガムドに呼ばれて入って来たのは、ぶっちゃけ普通のおばちゃんだった。どこにでもある地味な服を着た、町人Aって感じの恰幅の良いおばちゃんだ。
だが、鑑定して見ると分かる。かなり強い。少なくとも、ここにいる冒険者たちよりも強いだろう。
特に目を引くのが、治癒魔術Lv3だ。つまり、グレーター・ヒールを使えるレベルの高位術者という事だった。
「元ランクB冒険者のベスだ。今は結婚して主婦をしている」
「引退したって言ってるのに、たまに依頼で駆り出されるのよ」
「その分報酬に色をつけているだろうが」
「その代わり盛大にこき使うじゃない! まあ、我が家の家計は大助かりなんだけどね。うちの旦那稼ぎが悪いから! あっはっはっは」
どっからどう見てもタダのおばちゃんにしか見えんが、実力を偽ると言う意味では最高の使い手かもしれないな。
ただ、これで多少の怪我をさせても平気になってしまったわけだ。フランの眼が微かに笑ったのは見間違いではないと思う。
「互いに礼」
「デュフォーだ」
「フラン」
「では、模擬戦始め!」
ガムドのかけ声を合図に、互いに剣を構えて向かい合う。
そのまま動かず、2人は見つめ合った。互いに先手を譲り合っているのだ。行動は同じだが、フランとデュフォーが動かない理由には大きな違いがあった。
フランは最初は単に相手を値踏みしていた。その結果大して強くないと判断し、自分を侮ったままのデュフォーでは一発で勝負がついてしまうと理解する。そして、先にデュフォーに先手を譲ってやった方が良いだろうと考えて動かないのだ。
対するデュフォーは完全に仲間の鑑定を信じている様で、はなからフランを侮っている。こいつのレベルだったら、向かい合えばある程度フランが強いことは分かるはずなんだが……。まさか目の前の黒猫族の少女が自分よりも強いなどとは全く考えていないせいで、そういった感覚も働かないようだ。思い込みって言うのは怖いものだね。そして、デュフォーも弱いと信じ込んでいるフランに先手を譲るため、攻撃を仕掛けないのであった。
「どうした? 来ないのか?」
「いいの?」
それはガムドに向けたものだが、デュフォーは自分にかけられたものだと思ったのだろう。
「こういう時は、格下から仕掛けるのが礼儀だぞ?」
ほほう。言うね。ちょっと笑いそうになってしまった。
「ん?」
『いや、何でもない』
「そう」
「おい、何をブツブツ呟いている。さっさと掛かって来い。こっちも暇じゃないんでな。とっとと終わらせて仕事に戻りたいんだよ」
「でも、格下から仕掛けるのが礼儀でしょ?」
「あ?」
「だったら、そっちから仕掛けるのが礼儀。そっちが格下だから」
おお、挑発した。まあ、フランは挑発する気もなく、事実を口にしただけだけどね。だが、フランのその言葉はデュフォーのプライドをいたく刺激した様だ。
「おい、ガキ。粋がってるんじゃないぞ?」
「粋がるって何?」
「調子に乗るなってことだよ! 自分が格上だとか、どう考えたらそう思える!」
「見れば分かる。事実」
「てめぇ……!」
こいつ何か沸点低くない? 仲間の鑑定結果をあっさり信じる事と言い、凄まじくガキっぽい。いや、考えてみれば、実力はあっても、年齢はまだ22歳。フランよりは年上でも、世間的に見ればまだ若造と呼ばれる年齢だ。
ガムドやフォールンドによる指導で戦闘力は伸びても、社会の波に揉まれたり、危機に陥ったりと言った、人間的な経験が不足してるのかもな。
ガムドがフランと模擬戦をやらせようと考えたのも、そういった経験を積ませるためだろう。
「おい、もう良いからお前から仕掛けちゃえよ」
「そうそう。子供相手に口喧嘩してたってみっともないだけよ?」
「とっとお灸をすえて茶番を終わらせろよ」
仲間の冒険者たちがデュフォーを囃し立てる。こいつらも自分達の中で最も実力が高いデュフォーが負けるとは微塵も考えていない顔だ。
「うるせー! 格下相手に先手なんか取れるか!」
だが、仲間に茶化されて意固地になってしまったらしい。絶対に攻撃しないと言い出してしまった。
『仕方ない。とりあえずこっちから攻撃しよう』
(ん。わかった)
そして、フランが俺を構えて、デュフォーに宣言した。
「今から攻撃する。防いで」
「はん? 口だけは一人前か?」
「いく」
「あ――?」
油断していたデュフォーは全く反応することが出来なかった。気づいたらフランが目の前にいて、自分が何故か崩れ落ち、次いで右足の激痛に気づいた。そんな状態である。
「がぁぁぁ!」
『初手から派手にやったな?』
何発かは軽めの、わざと防げる程度の攻撃を加えて、デュフォーが本気を出すのを待つかと思ったんだが。
(これで、他の奴らが本気を出してくれたらいい)
『なるほど』
デュフォーは見せしめって訳だ。本気でやらなきゃこんな無様に負けるぞって言う。
(それに、あと1回は残ってるから)
『まあ、次は本気で掛かってきてくれるだろうな』
「次、ラシッド」
「え? ええ?」
「早く出んかっ!」
「は、はい!」
ガムドの怒声に押される様に、次の犠牲者が訓練場の中央に進み出た。先程までデュフォーを茶化していた槍使いだ。
「私はフラン」
「ラ、ラシッドだ。え? ちょっと待ってくれ!」
未だに理解しきれていないラシッドだったが、ガムドは無視して開始の合図を下す。
「始め!」
「ん」
「ぎゃあぁ!」
哀れ、レオパルドン並の速さでご退場である。槍を構えた次の瞬間、フランに槍の穂先ごと右腕を切り飛ばされていた。
ようやくフランがタダの少女ではないと理解できたのだろう。ラシッドの悲鳴が響き渡る訓練場の中で、緊張が一気に高まり始めていた。




