227 ウルムットとの別れ
旅立ちの日の朝。
俺たちはルミナに最後の挨拶に来ていた。
「いよいよ発つか。色々と楽しかったぞ」
「またね」
「ああ、楽しみにしている」
「ん……」
「今日は地上は晴れなのだろう? せっかくの旅立ち日和に何て顔をしているのだ」
永遠の別れと言う訳ではないが、やはりしんみりしてしまうのはしょうがないな。
「先日も言ったが、お前のおかげでキアラの行方も知れた。感謝している」
「私も、進化させてもらった」
『その通りだ。むしろ、そのせいで力も弱まっちまったんだろ? 礼を言わなきゃいけないのはこっちだ』
「ならば、お互いさまと言う事にしておこうか。ふふ」
ルミナはそう言って笑う。だが、フランはやはり曇った顔のままだ。
「今生の別れではないのだし、笑って旅立ってくれれば我も安心なんだがな?」
「ん……」
「まったく、お主は仕方ないな」
ルミナが立ち上がってフランの正面に立つと、両腕でフワッとフランを抱きしめた。優しく、フランを包みこむ様な抱きしめ方だ。フランはそのままルミナの胸に顔を埋めて、ギュッとしがみ付いている。
どれだけそうしていただろうか。ルミナがフランの背中をポンポンと叩くと、フランがゆっくりとルミナから離れた。
珍しいことに、その顔は少し赤みがかって、恥ずかしがっているのが分かった。
「ごめん」
「ふはは。可愛らしいことだな。寂しくなったらいつでも来い。我で良ければ抱きしめてやる」
「ん」
フランの顔にはもう不安はない。本当は俺の役目なのかもしれないが、こういう母性的な包容力はどうしても俺には出せないからな。悔しいような、憧れる様な、不思議な気持ちだぜ。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
笑顔のルミナに見送られて、俺たちはダンジョンを後にする。転移の直前、フランが小さい声で呟く。
「ばいばい」
誰に言ったのでもないのだろう。ただ、思わず出てしまったようだ。
『また来ような』
「ん」
『その時にはもっと成長した姿を見てもらおう』
「ん!」
一時間後。俺たちはウルムットの門前で、大勢の人に囲まれていた。
「フランちゃん! またいつでも来てね? 歓迎するから!」
最初に声をかけて来たのはエルザだ。ガバッと抱き付き、オイオイと泣いている。おい、鼻水に気を付けろフラン! 厚い胸板に押し付けられたフランはムギュッとなっているが、嫌がってはいないな。むしろ、小さな手をエルザの背に回して、宥める様にポンポンと叩いてやっている。
「グズ……ありがとうフランちゃん」
「ん」
「これは、餞別よ。持って行って?」
エルザがそう言ってバスケットを差し出した。中には液体の入った瓶が10本ほど入っている。
「ポーション?」
「私が特別に調合した美白美容液よ。寝る前にお肌に塗って? お肌ツルツルのプリプリになるわ。フランちゃんはとーっても強いし、恰好良いけど、女の子なんだから可愛いもさぼっちゃダメなのよ?」
「?」
エルザ、良いこと言うじゃないか。フランは素材が抜群なんだ。だが、俺みたいな粗忽な保護者のせいで、お洒落とか化粧とは無縁である。
これは本当にありがたいぞ。10本もあるし、しばらくもつだろう。早速今夜から使わせてもらうぞ。
「これを塗るの?」
「ええ、少しだけ手の平に出して、お肌をマッサージするみたいに塗り込むの」
「なんで?」
「いいの、今は分からなくても。でも、もっと大きくなって、素敵な恋をしたときにきっと分かるわ」
「? わかった?」
フランが全く分かっていない顔で頷いている。
それにしても、フランが恋、だと? まて、まてまて、待つんだエルザ。フランはまだ12歳だぞ? そんな、恋なんてまだ早いだろ? 早いよな? 早いってばよ!
でも、ただでさえ超絶可愛いフランが、この美容液でさらに可愛くなってしまったら? キューティーなフランにビューティーさが足されちゃうんだぞ? きっと色々な男どもが声をかけてくるだろう。
そんな中に、すっごいイケメンがいて、フランが一目惚れしたりしちゃったら? そいつが顔だけのクズ野郎だったら、コッソリ切り捨てりゃいい。だが、内面も爽やかな好青年だったら? そうなったら、俺はどうする? そいつがフランを託すに足りる野郎だったら?
いやいや。ダメだ。顔と性格だけじゃ、フランを守れないからな。せめて俺を装備したフランよりも強くないといけないな。あと、一生フランを養える経済力と、他の女に目移りしない誠実さと、フランの我儘を全部叶える行動力が無いとダメだ!
「ね、ねえフランちゃん。背中の剣がカタカタ震えてるけど、大丈夫? それって、すっごい呪いのついてる魔剣でしょ?」
(師匠?)
やべえ、ちょっとばかり我を忘れていた。無意識に念動を発動させちまっていたようだ。
『い、いや、何でもない。エルザに礼を言っておいてくれ』
ま、まあ、どうせ遥か先の話だし? 今は深くは考えんとこう。とりあえず美容液は貰っておくが。フランがより可愛くなるのは良い事だからな。
「ん、平気。これ、ありがと」
「無くなっちゃったら、また来てね。新しいの用意してあげるから」
「わかった」
エルザの次に話しかけてきたのは、ディアスとオーレルの爺コンビだった。
「やあやあ、旅立ちには良い日だね」
「嬢ちゃん、達者でな」
二人は共にキアラによろしく頼むと頭を下げてきた。手紙でも渡されるかと思ったら、別にそういった物もないようだ。
「なに、我らにとっては昨日の事の様に思い出せるが、向こうもそうだとは限らんしな」
「大昔に出会った頼りない冒険者の事なんて、忘れてしまっている可能性の方が高いでしょ?」
少し寂し気に、だが、それが当然といった表情で語る。だから、手紙はいらないってことらしい。まあ、それもそうかね?
「だから、僕らの事は軽く話すくらいでいいよ? むかし、彼女と一緒に冒険したことのある老人たちが、懐かしがっているとでも伝えてくれればいい」
「ん。わかった」
次にフランに抱き付いてきたのはアマンダだった。後ろにはフォールンド、フェルムス、コルベルトらもいる。
「フランぢゃーん。またお別れだなんで~。お姉さん寂じい~」
こいつも泣いているな。エルザと似た反応だが、美容とかのスキルを持っている分、エルザの方が女子力が――。いや、言わんとこう。エルザは特殊枠ってことで。
「さらば」
フォールンドの言葉は短いな。バルボラで会った時も思ったけど、こういう所がちょっとだけフランに似てるんだよね。それにしても、見送りに来てくれるとは思わなかった。
「フォールンドの旦那、短すぎやしないか?」
コルベルトが呆れたように言っている。
「フラン嬢ちゃん、フォールンドの旦那は普段からこんな感じなんだ。気を悪くしないでやってくれ」
「大丈夫」
「はは、まあ似た者同士だもんな。それに、旦那は強い冒険者が好きなんだ。嬢ちゃんの事は一目置いてるみたいだぜ」
「ああ」
「ん」
「いずれ」
「わかった」
「……おいおい、このコンビ、やばいな」
コルベルトが戦慄した様な顔で呟く。確かにこの2人だけの会話とか、想像するだけで恐ろしい。でも、何故か通じ合ってしまいそうな気もするけどね。
「フランさん、これからバルボラへ?」
「ん」
「では、これをどうぞ。うちの店の優待券です。ぜひお立ち寄りください」
ほほう。それは嬉しい。フランも竜膳屋の食事は美味しいって食べてたしね。
「ありがと」
「嬢ちゃん、俺はもう一度鍛え直しておくからな。次は負けんぞ」
「のぞむところ」
その間もずっと抱き付きっぱなしだったアマンダが、ようやくフランを解放した。
「私も獣人国に行くわ」
アマンダ、アレッサで別れた時も同じようなこと言ってたよな? でも、さすがに他の大陸に行くのは無理だろ。
「無理だ」
「無理です」
「無理っすよ」
男三人組も口々にアマンダを諭す。せめてバルボラまで一緒に行くと言い始めたが、もうアレッサに戻らなくてはいけないらしい。フォールンドたちに引きずられていった。
「フランちゃーん! またねー!」
最後に声をかけてきたのは、獣王たちだ。
「嬢ちゃん、もし俺の娘に出会ったら、仲良くしてやってくれや。少々お転婆だが、悪い娘じゃねーからよ」
それは構わんが……。この獣王からお転婆って言われる娘って、どんだけなんだ? ちょっと心配になってきた。
その後、ロイス、ゴドダルファ、ロッシュと順に挨拶してくる。そして、最後にゼフメートが握手を求めてきた。
「色々と迷惑をかけた」
「ん」
「俺は側仕えとして、獣王様に鍛え直して貰えることになっているんだ。次は進化くらいは使わせてみせる」
ゼフメートはまだ伸びしろがあるだろうし、獣王に鍛えられたら本当に強くなるかもな。
「俺も、青猫族も、ここから出直しだ。獣王様の下で必ず変わってみせる」
「期待してる」
「ああ、期待していてくれ」
ゼフメートは青猫族の有力者だ。彼が青猫族をまとめ上げるようになれば、奴隷商人たちも減るだろう。
フランはゼフメートの手をギュッと握り、何度も上下に振った。それだけ本気で期待しているのだ。
「じゃあ、行く」
「ああ、また会おう」
「ん」
ゼフメートの手を離すと、フランがウルシに飛び乗った。
「ウルシ」
「オウン!」
そして、見送りに来てくれた人々にバイバイと手を振る。
「また、ね?」
「まったねーん!」
「またねーフランちゃん!」
エルザとアマンダのどデカイ声に見送られながら、ウルシが駆け出す。他のメンバーの歓声を背に受けながら、俺たちはウルムットを旅立ったのだった。




