207 黒猫族と女神
女神が去った後、俺たちはルミナの下に戻って来ていた。
「無事、進化できたようだな……」
今は進化隠蔽を装備してないからな。ルミナにはハッキリとフランの進化が感じられるらしい。
「ん。ありがと」
「それにしても、これは――」
ルミナが急に押し黙り、フランを見つめる。その顔には喜びだけではなく、驚きが浮かんでいた。
「まさか――まさか、黒天虎へと至るとはな!」
そうか、フランは黒天虎に進化したんだった。俺にはいまいち実感が無いが、獣人にとっては伝説的な種族だったはずだ。ルミナでさえ、黒虎だからな。
ルミナは神妙な顔で、フランを見つめている。その顔にはフランに対する敬意の様なものが浮かんでいる様だった。俺が思う以上に、黒天虎になるというのは重大なことなようだ。
『黒天虎になるための条件は何なんだ?』
「うーむ? どうやらフランが進化したことで制限が適用されなくなったようだ。喋れる」
女神様もそんなことを言っていたな。
「雷鳴魔術を使える事と、一定以上の敏捷、魔力を持つこと。これが黒天虎に進化するための条件だな」
フランは満たしている。俺を装備していれば、だが。いや、スキル共有はその名の通り、フランと共用するスキルだからな。俺のスキルはフランのスキルっていう扱いなんだろう。
「まさか条件を満たすとは思わなかった。いや、師匠の能力は聞いていたが、それで条件を満たした扱いになるとは思わなかったぞ。王族以外で黒天虎に至ったのは、初ではないかな?」
『そこまでか』
「うむ。フランにとって、お主に出会えたことは正に奇跡だな」
『女神にも似たようなこと言われたよ』
「言われた? もしや、女神様にお会いしたのか!」
ルミナが驚愕の表情でフランに詰め寄った。これも俺的には実感が薄かったが、ルミナたちにとって神々は信仰の対象である。しかも、ルミナはダンジョンマスター。まさに混沌の女神の眷属だ。
「私じゃない。師匠が話した」
「し、師匠よ! どういうことだ?」
俺が混沌の女神に会った事を話すと、ルミナは興奮気味にどんな話をしたのかと聞いてくる。意外なことに、その眼からは悪感情が感じられない。
でも神って、黒猫族に呪いをかけた憎い相手じゃないのか? 罪を犯した王族以外も連帯責任で巻き込んで、500年以上もその地位を貶める切っ掛けを作った相手のはずだ。
そう聞いてみたら、ルミナは複雑な顔で語り出した。
「思うところが無いわけではないが……。人ならぬ神の決めたことだからな」
神の中には自然神の様な、個のことなど一切斟酌しない、人とは根本的に違う神も存在するらしい。そういった神たちの下す罰は得てして人間には理不尽に見えるものなんだとか。
地球だって似た様な神話は幾らでもある。ましてや神が実際に存在する世界だからな。他にも似た様な話を知っているんだろう。そして、神と言うのは人の理解の及ばぬ、恐ろしく理不尽な存在であると理解しているが故の諦観である様だった。
「それに、混沌の女神様は人間寄りの神様だ」
どういう意味だ?
「黒猫族の進化に関する記録を消し去り、他の種族からその記憶を奪ったのは、混沌の女神様だ」
『それって神様の嫌がらせにしか思えないんだが?』
「いや、逆だ」
記憶や記録の剥奪は、全ての黒猫族を滅ぼせと主張する神たちに対して、混沌の女神などの人神が引き出した譲歩の結果らしい。厳しい試練を与えることで、種族の断絶だけは防いでくれたのだ。
「それに勘違いされがちだが、神が記憶を奪ったのは他種族からだけだ。僅かにいた、神罰を免れた黒猫族や、他の獣人族は進化するための条件を当然知っていたぞ? それに黒猫族には文献なども残されていた」
『じゃあ、今の黒猫族にまったくそれが伝わっていないのは?』
「新たに台頭した新獣王家や青猫族によって、残っていた記録や文献は奪われた上で抹消され、多くの黒猫族は奴隷にされた。そして、進化するための条件を語る事さえ禁じられたのだ。結果として新たな世代に進化の条件は伝わらず、いつしか進化できると言う事さえも忘れ去られてしまったのだよ」
『なるほど。獣王家や青猫族は当然赦せんが、元はと言えば神罰がきっかけだろ? 黒猫族は500年間も奴隷にされてきたんだ。神を本当に恨んでないのか?』
「わたしは分からない」
フランにとっては、進化できなかった理由を知ったばかりだしな。だが、ルミナはどうなんだ?
「神が封印した邪神を身勝手に解き放ち、他の種族を危険に晒した黒猫族が、種族断絶させられなかったことが奇跡なのだ。邪神を解き放ったと言う事は、世界を滅ぼしかけたと言っても良い。むしろ、まだ500年だろうよ」
世界を滅ぼしかけたって言われると、罪の重さが途端によくわかるな。まあ、エルフとかも居る世界だし。500年というのは俺が思っている以上に短いようだ。
「それに、黒猫族が奴隷にされてしまったのも、王座を奪われたのも、ある意味それまでの横暴な振る舞いのしっぺ返しだ。善政を敷いて、民に愛されていれば他の種族に助けてもらえただろうからな。我らの罪業を、子らに背負わせたことは申し訳なく思うがな……。我に神を恨むような気持ちはほとんどない」
全くないとは言わないが、俺が思っているよりも神への恨みは小さいみたいだった。そして、種族の断絶を防いでくれた混沌の女神に対しては恩のような物さえ感じている様だ。
「で? 女神様は何と?」
まあ、ルミナに対して隠す様な話はなかったし、喋るなとも言われていない。ルミナにだったら話してもいいかな。
ただ、話の半分程度はルミナも知っている情報だったので、女神に覚醒を取り上げられた時の話が主になるが。あとは、進化についての話だな。
『ただ、以前に俺たちは脅威度A相当の邪人を倒したことがあるんだが……』
リンフォードは確実に脅威度Aを超えていたと思う。なぜ奴を倒しても進化しなかったのか?
「それは主らだけで倒したのか?」
「他の冒険者と一緒」
「では、そのせいだ。脅威度Aの邪人を倒して呪いが解放されるのは、個人で倒した場合のみだからな」
そうか、個人的な呪いを解く条件は個人で――つまりソロで満たさないといけないのか。
そしてその直後、黒猫族の犯した罪の話になった時、ルミナが突然フランに頭を下げた。
「すまぬ」
「ん?」
「我は、王族の相談役のような事をやっていたのだ。だが、結局は王たちを止めることはできず、不興をかって職を解かれた。挙句、冒険者に身を落とし、やってきたこの地でダンジョンマスターとなり、ただ1人生き延びた」
「でも、ルミナの責任じゃない」
「もしかしたら止められたかもしれない立場に居たのだ!」
多分、500年の間ずっと気に病んでいるんだろう。自分が王族を止めることができていれば、黒猫族が苦境に立たされることも無かったかもしれないと。神よりも、自分や当時の王族の方を責めているのかもな。
だからこそ自分の身を削ってでも、フランの進化を手助けしたのだ。フランを気に入ってくれたと言うだけではなく、贖罪の意味もあるに違いない。
「それに……お主らも危険に晒してしまった」
俺の話を聞いて、場合によってはフランや俺も神の怒りに触れていたかもしれないと考えたようだな。ルミナは青ざめた顔で、再び深々と頭を下げた。
「ルミナは何も悪くない」
「いや、考えが足りなかった」
その顔は恐ろしいくらいに真剣だ。
「自分の消滅だけならば、構わない。だが、お主らまで巻き込んでしまっては、死んでも死に切れん!」
「ルミナ。死ぬのはダメ」
フランが切ない顔でルミナを見上げる。ルミナが消えてしまった時の事を考え、悲しい気持ちになってしまったようだ。
「だが、我がお主らにしてやれることなどこのくらいしか……」
「何もしてくれなくたっていい」
「しかしだな……」
「いてくれるだけで、いい」
フランは小さい声で、だがはっきりとそう呟いて、ルミナにギュッと抱き付いた。両手でルミナの胴をがっちりとホールドし、胸の谷間に顔を埋める形だ。
正面からフランに抱き付かれたルミナは、困った顔で見下ろしている。だが、そっとフランの背に手を回して、軽く撫でてくれた。
「キアラにも同じようなことを言われたよ。そのことを思い出した」
「ん」
「50年経っても、何も変わっていないな」
しばらくするとお互いに落ち着いたんだろう。ちょっと照れた様子でハニカミあっていた。フランは甘え慣れてないし、ルミナは甘えられ慣れてない感じだね。
ルミナは少し疲れた様子で、椅子の背もたれに深々と背を預けた。
『そう言えばルミナ、体は平気なのか?』
女神も、ルミナの消耗が激しいと言っていたはずだ。もしかして、無理してるんじゃ?
「私自身の疲れはすぐに取れる。ダンジョンマスターとしてため込んでいた力のほとんどを使い切ってしまったが……どうにかなるさ」
ダンジョンの難易度は下がってしまうそうだが、ディアスの口添えがある限り、利用価値が低くなったからと言って討伐される恐れもないと言う事だった。
「むしろ、お主らの方が心配だ。進化したことは女神様から授かったスキルのおかげで隠せるだろうが……」
『他に何か心配が?』
「師匠は女神様に新たな制限を課せられたが、フランには特になにもされなかった。そうだな?」
『ああ、それは間違いない』
「なれば、フランは黒猫族の進化の条件を他者に教えることが出来るのではないか?」
『ルミナもそう思うか?』
「うむ」
『ただ、許されるのか? フランは正規の方法で進化した訳じゃない』
可能性としては俺も考えた。だが、神が許すのか分からなかったのだ。
「この期に及んで女神様がそのことを見逃すはずもない。特に禁じるようなことも言われなかったのだろう?」
『ああ』
「我に神々の理屈は分からんが、この時点で明確に禁じると言われなかったのであれば、語ることは許されたと見るべきだろう。我と進化についての話が出来ている時点で、間違いはないと思う」
それがシステム的に正当な理由なのか、混沌の女神の好意なのかは分からんけどな。下手したら、世界に混沌をもたらす為とかかもしれないし。
「問題は神々よりも、他の獣人たちだ。進化の条件を広めたと言う事になれば、獣王や青猫族に目を付けられる恐れがある」
それはそうかもしれないな。だとしたら、誰彼構わず教えるのは危険だろう。出来れば黒猫族だけにコッソリと教えたい。もしくは。黒猫族にパイプのある人物だ。
『黒猫族のコミュニティみたいな物はあるのか?』
「獣人国に行けばあるはずだ。貧民窟か奴隷村に近いだろうが……」
獣人国か。神級鍛冶師にも会いたいし、一度行ってみたいんだが……。危険が大きすぎる。
「獣人国の神級鍛冶師に会えと言われたのだろう? 行くつもりか?」
『いや、危険を冒してまで会いにはいかないさ』
「でも、師匠のことがわかるかも」
『それだって、単に可能性があるだけだ。絶対じゃない。そんな不確かな情報のために、フランを危険に晒す真似は出来ない』
「でも!」
『大丈夫だ。別にそれだけしか手掛かりが無いわけじゃないんだし。黒猫族の進化条件を広める方法も他にあるさ』
「ん……」
まあ、全く未練が無いっていう訳じゃないんだが、やっぱり獣人国に行くのは危険が大きすぎるからな。
――なんて思っていたんだが、直ぐに状況は好転した。本戦1回戦後。獣王は黒猫族の敵ではなかったと判明したのだ。
むしろ、親黒猫族と言っても良いだろう。青猫族を粛清して、奴隷解放をしているくらいだからな。
キアラが生きていることをルミナに伝えてやると、しばらくは泣き崩れて動かなかった。それくらい後悔していたんだろう。
肩をポンポンと叩くフランにガバッと抱き付き、その洗濯板的な胸に顔を押し付け、声を殺して泣いていた。
数分後、顔を赤くして立ち上がるルミナ。
「すまなかった、少々感極まってしまってな」
『いや、喜んでくれたみたいで嬉しいよ』
「最高の情報だ。ありがとう」
黒猫族全体に対する500年分の後悔は残ったままだろうが、キアラに対する後悔は消えたようだな。ルミナは良い顔で笑っている。
「だが、これで進化のための条件を広めることも可能になったのではないか?」
「ん」
実は、すでにオーレルには教えてある。ちょっと怖かったが、また神様が現れて怒られるような事にもならなかった。
いや、実は俺は教えるのは反対だったのだ。万が一、それで神の怒りをかっては大変だからな。だが、フランはどうしても我慢できなかったらしい。
俺にとってはフランの身の安全が第一だが、フランにとっては自分の身よりも一族の進化の方が大事だからな。止める間も無かったのだ。
何も無くて本当に良かった。
そして、獣人のネットワークを通じて黒猫族の話を広めると約束してくれた。これで、この大陸の獣人には広まると思って良いだろう。
「それに、これで獣人国に大手を振って行けるではないか」
『そうなんだよな。後は、その神級鍛冶師について獣王たちが知ってるかどうかだ』
普通に考えれば知らない訳はないだろうが、相手は伝説の存在だからな。どこかに隠れて住んでいるという可能性もゼロじゃないだろう。
「是が非でも3回戦を突破してもらわねばならなくなったな」
「任せて。優勝してキアラの話も、黒猫族の話も色々聞く。そして、獣人国に行く許可をもらう」
「行くときは、キアラに土産でも持って行ってもらおうかな?」
「まかせて」
『お安い御用だ』
これで完全に獣人国を目指すことが決定したな。まあ、とりあえずは3回戦に勝ってからだが。
だが、勝つ自信はある。ここ数日、覚醒について様々な検証を行い、その凄まじさを実感したのだ。
特に進化して覚えた固有スキル、閃華迅雷を様々な状況で試し、データを集めてみた。
ルミナに教えて貰った通りリスキーではあるが、その効果は凄まじい。少なくとも、速度だけならランクAと張り合えるだろう。
それに黒雷の威力もすさまじい。使用中は意識して止めない限り、繰り出す攻撃全てに自動的に黒雷が付与されるのだが、その破壊力と貫通力が恐ろしいことになっていた。
雷の特性として金属鎧などを無視するのは当然として、魔獣の堅い皮膚や、甲羅などでも威力がほとんど低減しないのだ。そしてその威力はハイ・オーガを一撃で瀕死に陥らせるレベルである。
魔力と生命力を消費するものの、黒雷付与状態のフランの連続攻撃を防ぎきれるものがそうそういるとも思えない。
それに、ルミナと相談してどのスキルのレベルを上げるべきかも十分に練った。
「最低目標は3回戦突破」
『だが、当然目指すのは――』
「もちろん優勝!」
『おう! どうせなら優勝して、堂々とキアラさんのことを教えて貰おうぜ』
「ん!」