203 黒き雷
「覚醒」
フランが呟いた直後。
その全身から凶悪な程の魔力と、漆黒の雷が立ち上った。
フランの周囲では黒い雷光が弾け、荒れ狂う魔力の奔流が豪風を伴って暴れ回る。ゴドダルファは台風もかくやと言う暴風の中で、呆然と立ち尽くしていた。
「覚、醒……?」
「ん」
「黒猫族が……?」
そう、これが俺たちの奥の手だった。ルミナの手を借りて辿りついた、フランが目指した獣人としての到達点。
フランの外見にほとんど変化はない。毛も生えないし、皮膚の色も変わらない。何故か大人になったりもしない。僅かにある変化は、金色に染まった瞳と、天を指すようにピンと伸びた尻尾だけだ。よく見ると尻尾に黒と灰黒色の縞々が見えるだろうが、変化と言えるのはそのくらいだろう。メチャクチャ地味である。
だが、その内側では凄まじい変化が起きていた。ステータスは敏捷と魔力が300ずつ上昇し、傷も癒え、魔力も全快だ。しかもそれだけではない。その程度ではないのだ。最も凄まじいのは、進化によってもたらされるスキルであった。
「閃華迅雷」
このスキルは、ルミナが使っていた迅雷の上位スキルだ。進化した時に一緒に覚えた。
腕力上昇、敏捷上昇、超反応、雷鳴属性付与、雷鳴強化、雷鳴攻撃無効、雷鳴魔術Lv上昇の効果がある。しかも覚醒状態で使用すると、効果が倍増だった。
「おーっと! フラン選手が覚醒した~? 獣人族にしては珍しく、外見的な変化はあまりないかー! だが、黒い雷を纏うその姿は、まさに威風堂々だ!」
そう、ルミナの雷は青白かったが、フランが身に纏う雷は黒く染め上げられている。この黒雷こそ、フランが単に進化しただけではなく、黒天虎という伝説の存在に進化を遂げた証であった。
「しかし、黒猫族は進化できないと聞いていましたが、どうやらガセネタだったようです!」
獣人でない人々にとっては、その程度の驚きなのだろう。進化したと言う事実よりも、進化したフランの強さに興味があるようだ。
だが、会場にいる獣人たちの様子は全く違っていた。
「…………」
ゴドダルファなど戦闘中にもかかわらず、大口を開けて立ち尽くしている。言葉もなく、ただただ驚きの顔でフランを凝視している。
貴賓席に目を向けると、悠然と座って観戦していたはずの獣王が、今では立ち上がって欄干から身を乗り出して闘技場を凝視していた。獣王の横にいたロッシュも、ゴドダルファと同じ顔でフランを見つめているな。
「黒天虎、だと?」
ようやくゴドダルファが再起動したな。だが、その声は乾いて擦れてしまっている。
「まさか、伝説の種族に見えることになろうとは……」
ゴドダルファはそう呟く。
「だが、なぜ気づけなかった……?」
未だに驚愕に囚われたままのゴドダルファ。これはチャンスだ。
(いくよ?)
『おう!』
隙だらけのゴドダルファにフランが仕掛けた。
「消え――がっ!」
「しっ!」
「ぐっ! がぁ! 何が……!」
ゴドダルファにはフランが消えた様に見えたらしいな。単に高速で移動して斬りつけただけだが。フランの身に宿った漆黒の雷が、神級鍛冶師の作った鎧さえ貫き、ゴドダルファの身を焼く。
これが覚醒の力だった。超反応を持つゴドダルファでさえ反応出来ない神速と、ゴドダルファの防御力を上回ってダメージを与える黒雷の破壊力。
「がっ! ぐっ!」
「はぁぁぁぁ!」
フランは神速で駆け、攻撃を繰り出す。実のところ、このスキルの凄いところはその速さではない。この速さで、小回りが利くのが凄いのだ。
どうも雷の特性を身に着けているらしく、普通であれば制御することさえ難しい高速機動を行いながら、物理法則を無視して曲がることが出来た。
やっていることは1回戦で戦った青猫族のゼフメートと同じだ。その機動力を利用して、敵の周囲を高速移動しながら攻撃し続ける。
だが、速度、小回り、攻撃力、どれをとってもフランの方がゼフメートを圧倒的に上回っている。
フランが覚醒した後にふと思った事だが、青猫族が黒猫族を敵視するのは、このせいなのではないだろうか? 進化して得た自分たちの力を、圧倒的に凌駕する同種の存在を疎ましく思わないはずがないからな。
「こ、これは~! 凄まじい光景だ! 何が起きているのか! フラン選手が突如姿を消したかと思えば、ゴドダルファ選手の周囲を黒い光の帯が幾重にも覆い尽くしてしまった! 時折聞こえる呻き声は、ゴドダルファ選手のものなのか~!」
実況が叫んでいる通り、黒き雷光を棚引かせながら駆けるフランの軌跡がゴドダルファを覆い尽くし、まるで黒いドームの様にも見えていた。
ギャリンギャリンギャリィィィィィン!
俺と不死鳥の鎧がぶつかり合い、甲高い音が間断なく響き続ける。その度に不死鳥の鎧に傷が付くが、あっと言う間に修復されてしまう。自動修復の速度だけで言えば、俺を遥かに上回るな。だが、鎧の修復は間に合っても、ゴドダルファへ通ったダメージの回復は追いつかなかった。
フランの攻撃が繰り出される度に、ゴドダルファの全身を黒い雷が貫く。
「ぬがあああ!」
僅か数秒の間に凄まじいダメージを受けてしまったゴドダルファが、防御を捨てて斧を大きく振った。起死回生を狙ったのだろう。広範囲を薙ぎ払う斧技に、衝波を組み合わせた全方位攻撃だ。
だが、斧技は身を低くしたフランによってあっさり躱される。完全に見切っているのだ。
衝波は、フランが全力で張った完全障壁で相殺である。限界を超えた魔力を注ぎ込んで強度を上げているが、一瞬しか発動できない。だが、今のフランにはそれで十分だった。完璧なタイミングで障壁が張られ、衝波を防いだ。
フランの攻撃は一瞬も緩まない。
「ぐ……ぬぅ!」
どうやってもフランを捉えられないと悟ったのだろう。ゴドダルファは腕を折りたたみ、全身を縮こまらせた。まるで頭を抱えて蹲ってしまったかのような格好だが、戦意を喪失した訳ではない。むしろ、勝つための選択だった。攻撃を捨て、全ての力を防御に回したのである。
『さすが獣王に仕えているだけあるな! こっちのスキルの弱点を理解してやがるっ!』
覚醒状態で閃華迅雷を発動したフランは、生命力と魔力がジリジリと減っていた。このスキルは負担が非常に大きい。潜在能力解放とまでは行かなくとも、ノーリスクで使用することはできなかった。
ルミナに話を聞いたところ、十始族のスキルは全てがそうなのだと言う。原初の神獣の力は人間の身には強大過ぎるのだ。だからこそ大きすぎる力で自滅しない様に、スキルと言う形で限定的に力が受け継がれている。
ゴドダルファは十始族の獣王の護衛だ。彼らの使うスキルが、自滅と隣り合わせの危険な能力であると知っているんだろう。そのため、勝つために防御に全力をつぎ込み、フランが力尽きるのを待つ作戦に出たのだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ぬぅぅ…………っ!」
ゴドダルファの生命力は残りわずか。
だが、フランのスキルが解ける様子はない。確かに、この閃華迅雷は自らの生命力を削るリスキーなスキルだ。それに魔力の減りも早く、長時間は使えない。
普通の獣人であれば――だが。
フランは俺の魔力をタンク代わりに使うことができる上、生命力もヒールで回復できる。そのため、ゴドダルファの予想をはるかに超えてスキルを使い続けることができた。
「まだ、続く――がっ!」
とは言え、俺たちにも余裕があるわけではない。ここに来てフランの生命力の減り方が加速していた。このスキルをここまで長時間試したことが無かったが、時間が経てば経つほど負荷が増し、フランの肉体を苛んでいる様だ。
ゴドダルファの生命力は残り1割を切っていた。あと少しだ。だが、フランの生命力の減り方も危険な域に達していた。数秒ごとにヒールが必要なレベルだ。
それはフランも分かっているんだろう。
(師匠、ここで決める!)
ここで一旦スキルの発動を止めて、普通に攻めても勝てるかもしれない。いや。勝利するためであればその方が確実だろう。
だが、フランはスキルの発動を止めようとはしなかった。
黒猫族の意地と誇りを貫き通すために。黒天虎の力を使って勝ち切る。それがフランの決断だった。
(一発、デカイのをお見舞いしてやる)
『デカイのって言っても、この狭い結界内じゃ……』
(だいじょうぶ!)
『本当にやるのか?』
(ん!)
『……じゃあ、俺は防御に専念するぞ?』
(おねがい)
『ウルシは一発入れたら、逃げろ!』
(オン!)
指示通り、ウルシは影からの奇襲でゴドダルファに嫌がらせをすると、影に潜って再び隠れた。直ぐに観客席へ転移したのが見える。そう、それでいい。
ウルシの転移を確認すると、フランが力のこもった言葉を叫んだ。
「黒雷招来!」
フランの言葉に応えて、突き出された掌から漆黒の雷が放たれる。ドラム缶程もある極太の黒い雷が、一瞬でゴドダルファを飲み込み、凄まじい爆発を起こした。
ドオオオオォォォォォォォォォォ!
「ん……っ!」
俺は完全障壁を発動させてフランの身を守る。だが、吹き寄せる凄まじい爆風に、フランの体が木の葉の様に吹き飛ばされ、結界に叩きつけられた。襲い来る粉塵と、弾丸を超える速度で飛んでくる数百もの礫。そして、無防備に食らえば一瞬で全身が焼け爛れる程の熱風。
『障壁を張ってもこれか!』
さらに無数の雷が、のたうち回る龍の様に結界内を荒れ狂ったが、雷鳴攻撃無効のおかげでフランにダメージはない。俺は自身に張った障壁のおかげで何とか軽微のダメージで済んでいた。
(ちょっと、やりすぎた)
ちょっとか? とは言え、これでもゴドダルファを倒せたかどうか分からないが……。
その後、爆風が収まると、その光景を見た客席からはどよめきと悲鳴が上がる。
ゴドダルファが立っていた場所には、深く巨大なクレーターが穿たれていたのだ。既にフランとゴドダルファの激闘によってボロボロの舞台だったのだが、フランの放った黒雷によって7割以上が消滅していた。
そのクレーターの中心に、ゴドダルファの残骸があった。両膝をつき、項垂れる様にしながらピクリとも動かない。
赤熱に染まったままガラス化した地面と、陽炎に包まれたゴドダルファから立ち上る白い煙が、黒雷によってもたらされた熱量を物語っていた。不死鳥の鎧は半分以上が砕け散り、今もボロボロと崩れ落ちている。ダメージ量が凄まじく、自動修復が上手く働いていないんだろう。鎧の隙間から見える肉体も完全に炭化し、どう見ても生きている様には見えなかった。
「やったの?」
『あ、だめだフラン! それは復活フラグだぞ!』
「ん?」
だが、俺の馬鹿な心配をよそに、闘技場の周囲に設置されていた柱が光り輝き、ゴドダルファを赤い光が包み込んだ。
十数秒後。そこには直前の傷など無かったかのように佇む、ゴドダルファの姿がある。
これはもしかして――?
「時の揺り籠が発動した~! ということは、ゴドダルファ選手に死亡判定ということ! つまり、魔剣少女フランの勝利だぁ~っ!」




