175 十始族
「よう。いらっしゃい」
「ん」
屋敷に入った俺たちは、以前にも会ったことの有るシャラというメイドさんに案内されていた。
通されたのは食堂だ。
「こんな場所で悪いな。朝からお偉いさんの対応に忙しくて何も喰ってなくてよ」
「構わない」
「嬢ちゃんも一緒にどうだい? 昨日、うちの専属料理人がバルボラから帰って来てな。面白いもん食わせてくれるってよ」
オーレル爺さんの専属料理人か。きっと凄腕の料理人なんだろう。こんな提案をフランが断るわけなかった。
「ぜひ」
「シャラ、嬢ちゃんの分も追加だ」
「かしこまりました」
しかし、もう夕方も近いのに今から今日初の食事とは。オーレル爺さんも結構有力者なはずなのに、かなりの有力者が相手だったらしいな。
「外に変なのがいた」
「ああ、どこぞの傭兵団だとよ」
「有名なの?」
「全く聞かねーな。どうせ箔付けるために話を盛ってるんだろうよ」
「そうなの?」
「よくいる手合いだぜ? 俺はどこぞの国でこんな魔獣を狩った事があるとか、私はどこぞの貴族に目を掛けられていたとか、そんな奴ばかりだよ」
皆町の有力者に会うにあたって、印象を残そうと必死なんだろうな。
「本当か嘘かなんて、実力を見りゃ一発で分かるのにな?」
「青猫族の傭兵たち、雑魚ばかりだった」
「がははは。そういうこった。あれが本当に有名だってんなら、1人だけ強い奴がいるのか、余程アコギなのか、どっちかだろうよ」
「ん」
「それに挨拶に来てやったとかいう態度も気に入らねえ。しかも団長じゃなくて、名代と来たもんだ。貴族かっての。むかついたから放置だ放置。その内諦めて帰るだろうよ」
やはり自称有名傭兵団だったらしい。あの程度の実力じゃそうだろう。
「オーレル、これ」
「ふむ……依頼は達成した様だな?」
オーレルはペンダントの中を開いて、手紙が無い事を確認している。
「進化についての話を聞きたい」
「という事はペンダントをキチンとルミナ殿に手渡せたようだな」
「ん」
「報酬を支払わんとな」
「進化の話を聞かせてくれたら、いらない」
「報酬の代わりに渡せるような情報、もってねーんだよ」
「そうなの?」
「じゃなきゃ、ルミナ殿に会わせたりするかよ。最初から教えてるさ。俺も黒猫族の進化については、長年に亘って独自に調べてはいるんだぜ? だが、結果は芳しくないな。Lv以外の何かが必要という事はわかっているが、それだけだ」
有力者で元ランクB冒険者のオーレルが長年調べても全く分からないのか……。
「じゃあ、昔いたっていう黒猫族の話を聞きたい」
「……誰に聞いた?」
「ラデュル」
「あんのお喋りめ!」
「凄く強かったって聞いた」
「そうだな――」
オーレルが静かに語り出す。自分が若かりし頃、1人の黒猫族の少女に出会った事。彼女に命を救われたこと。それが縁で仲良くなったこと。
「もう53年も昔の話だ」
「その人は進化できなかったの?」
「ああ。お前さんと同じように、進化の方法を探っていたんだがな……。ルミナ殿の下にも足繁く通っていたぜ?」
「でも、ダメだった?」
「多分な」
多分? 歯切れの悪い言葉だな。フランも首を傾げている。
「その後、色々あって町を出て行っちまってな、その後は音信不通なんだよ」
「色々って?」
「まあ、色々だ。もういない奴のことは良いじゃねーか。ディアスの奴も仲が良かったんだ。あいつに話を聞いてみたらどうだ? それよりも、フラン嬢ちゃんの進化についてだ」
スキルを使わなくても分かるぞ。絶対に誤魔化しただろ。でも、どうしてなんだろうな。
もしかしたら、ダンジョンで命を落としたとか、そういう事なのか? 先達の死を知ったらフランも悲しむだろうし、オーレルにとってもつらい記憶だろう。だとしたら、話したくないのも分かる。
ディアスに話を聞けば詳しいことが分かるかもしれないし、オーレル爺さんの機嫌を損ねたくもない。ここは誤魔化されておこう。
「ルミナ殿に話を聞いたのなら分かると思うが、昔はもっと普通に進化できていたはずなんだ」
「ん」
「それが急に進化できなくなった。何故か? 俺は『神罰』の可能性が高いと思う」
「神罰? 神様の与える罰?」
「歴史上、神に逆らった者や、大罪を犯した者に与えられることがある。有名なのは、ゴルディシア大陸の神罰が有名だな」
それは俺も聞いたことがあるぞ。竜人の王トリスメギストスが邪神の力を利用した魔獣を生み出したけど暴走させて、大陸を滅ぼしたとかいう話だ。トリスメギストスは永遠にその魔獣と戦い続ける罰が与えられたとか。
「いくら黒猫族が進化できなくなったのが大昔の話とは言え、これだけ情報が無いのはおかしい。ゴルディシアの件でも、似た様な話があった。魔獣の製法などの記憶が、全て神によって消し去られたりな」
さすが神様、世界中の人々の記憶をいじったりもできるのか。
「獣人の進化の方法っていうのは、場合によっては種族内に秘匿されることもあるが、それでも文献さえほとんど残ってない。エルフなどに話を聞いても、知っているとか以前に、黒猫族が進化していたっていう事を覚えている奴がいねー」
確かにそれは不自然だよな。本当に神の意思が働いて、人々から記憶を消してしまったと言われても信じられる。
だが、今の言葉には無視できない部分があったぞ。
「文献がほとんど残ってない?」
そうだ、オーレルは確かにそう言ったな。という事は少しは残っている?
「実は1つだけ、関連する文献を見つけることができてな」
「それは、どんな物?」
「つっても、直接関係ある様な物じゃねえ。ちょっと落ち着け」
ダンとテーブルに手をついて身を乗り出したフランを、苦笑しながらオーレルが宥める。どうやら、進化に直接つながる様な文献ではないらしいな。
「嬢ちゃんは十始族って知ってるか?」
「じゅっしぞく? 知らない」
「まあ、遥か昔に獣蟲の神に生み出された最初の獣人族と言われている種族の事だ。それぞれに神獣の力を宿していたらしい」
「神獣? 格好いい」
「でだ、この十始族、9つの氏族が知られている。金火獅、白雪狼、黄塵鼠、紫風象、橙鉄狐、赤土馬、青水亀、碧命蛇、桜花牛だ。何故か最後の10氏族目が分からないんだよ。長年、獣人族最大の謎と言われてきたんだが……」
「それが黒猫族?」
「かもしれん。俺が手に入れた文献には、今言った9氏族に加えて、黒天虎の名前があった。そしてルミナ殿は黒虎だ」
「黒天虎と黒虎は同じ? じゃあ、白狼のオーレルは白雪狼?」
「いや違う。俺たち白犬族が進化の時に一定の条件を満たしていると、白狼ではなく白雪狼となれることがあるんだ。俺は白狼にしかなれなかったがな」
オーレルが言うには、十始族の1つである白雪狼の子孫が、白犬族なんだとか。なので、進化の際に特別な条件を満たした個体が先祖返りの様に、白雪狼の力を受け継ぐことがあるらしい。
その流れで行くと、特殊な条件を満たした黒猫族が黒天虎となり、満たせなければルミナの様な黒虎となるってことだろう。
現在、十始族というと子孫たちのことを指し、白犬族も十始族として獣人の中でも一目置かれているんだとか。
「なのに、同じ十始族の子孫である可能性が高い黒猫族のことが、これだけあっさり忘れられてしまっているのは絶対に変だと思うだろ?」
「ん」
色々な獣人族が10個目の氏族の事を調べており、中には自分たちこそがその氏族であると主張する者たちも居るらしい。ほとんどが眉唾であるが。オーレルもルミナの存在を知らなければ黒天虎などという存在、作り話だと鼻で笑っていただろう。しかし、今では黒猫族こそが黒天虎の子孫であると半ば確信しているらしい。
つまり、昔は黒猫族が十始族に数えられていたが、神罰によってその記憶や記録が消されてしまった? だとすると、オーレルが見つけたという文献が何故残っていたのか疑問だが。
「俺が調べられたのはこれだけだ」
オーレルが心底悔し気に俯く。やはり黒猫族に対してかなりの思い入れがあるようだな。昔いたという黒猫族の少女に関係しているのだろうか。
「だがな、神罰には必ず救いがある。トリスメギストスだって、魔獣を倒せば呪いから解放されるっていう話だ。なら、黒猫族にだって絶対に呪いを解く方法があるはずなんだ」
「ん」
「まあ、その方法については何も分からねえんだがな……。役立たずですまねえ」
「ううん。参考になった、ありがとう」
「そうか? そう言ってもらえると救われるぜ」
フランの言葉に、オーレルが本当に嬉しそうに笑った。




