閑章二 海中ダンジョン 10
「グルオオオォォォォ!」
氷竜が魔力の籠った咆哮を上げる。弱者を竦み上がらせ、硬直させる竜の咆哮だが、俺たちには通じない。
「閃華迅雷!」
「ガルルル!」
「我が本気を見せてやろう!」
全員が魔力を昂らせながら、走り出した。正面を受け持つのは、俺とフランだ。一番危険ではあるが、俺たちが一番防御力に優れているしな。
「てやぁぁぁ!」
フランが挑発目的で攻撃を仕掛けた。とは言え、手加減しているわけじゃないぞ? 渾身のソニック・ウェイブだ。
高速で飛ぶ斬撃が、氷竜の鼻っ面に傷を穿った。肉体的なダメージは大したことはないが、精神的には大いに動揺させただろう。
「ガァ? ガァオォォォォ!」
小さく弱い相手だと油断していた氷竜が、僅かでも傷をつけられ咆哮を上げる。傷は即座に再生するが、プライドに付けられた傷はすぐには癒えない。
人でも竜でも、怒れば冷静さを失うのは同様だ。
「グルル……」
フランを睨みつける氷竜の胸が大きく膨れ上がり、その口がガバリと開かれる。
「ガァァァ!」
『ブレスが見え見えなんだよ! フレイム・バースト!』
「ファイアジャベリン!」
怒りのままに吐かれた氷竜のアイスブレスと俺たちの火炎魔術がぶつかり合い、大きな爆発が起きた。氷と炎が打ち消し合ったのだ。
爆風と共に白い霧が周囲に撒き散らされ、床には大きな穴が開いている。だが、フランには一切のダメージはない。
「ガ?」
まさか自分のブレスが完璧に防がれるとは思わなかったのか、氷竜が間抜けな顔でこちらを見ていた。
能力は高くとも、戦闘経験があまり多くないのだろう。こちらの力量を見極めることもできていないようだ。
なによりも、戦闘中にそんな隙を晒していいのか?
「ガルルルル!」
「もらったぁぁぁ!」
「グギャァァ!」
呆気に取られている氷竜の後ろ足に、ウルシと静かなる海が攻撃を仕掛けていた。
ウルシが噛みついた左足は、完全に足首から噛み千切られている。口に闇を纏うことで、竜の鱗も噛み砕いてみせたのだ。
巨大化したウルシには、丸太のような太さの足も鶏ガラみたいなものなのだろう。
静かなる海は、姿そのものが変化していた。変身する様子がずっと見えていたが、あれほど違う姿になるとは思っていなかったのだ。
タコのような触手が蠢く下半身に、その上に乗った巨大な海狼の頭部。そして、最上部には美しい女性の体が生えている。
スキュラという魔獣で間違いなかった。まあ、完全に同じではないのだろうが、便宜上スキュラとしておこう。
そのスキュラの姿になった静かなる海は、無数の触手で氷竜の右足に絡みつき、その動きを封じていた。氷竜は触手を振り払おうとしているのだが、なかなか引きはがすことができないでいる。
力任せに触手を引きちぎっても即座に再生してしまうし、爪や牙を使った攻撃は体の一部を液体化して受け流してしまうのだ。ああなっては、俺たちでも苦戦するんじゃないか?
パッと思いつく逃げ方は、転移か、魔力放出で一気に吹き飛ばすかくらいしかない。氷竜なら全身を凍らせるとかでもいいか?
ただ、氷竜は全く思いつかないようだが。両後ろ脚がいきなり攻撃されたせいで、焦っているらしかった。その表情が、完全にパニックなのだ。
やはり戦闘経験が少ないらしい。目の前で魔力を練り上げるフランを完全に失念しているのだ。
「はぁぁぁ……!」
呼吸を繰り返しながら、俺を静かに構える。それでも氷竜はフランに気付いていなかった。
攻撃してきた相手に一々目を奪われるとか、素人並だろう。そりゃあ、隠密スキルで気配を消してはいるよ? でも、竜の感覚なら集中すれば気付けないことはないと思うんだがな。
まあ、いい。気づかないなら、そのまま死んでもらうだけだ。
(いく!)
『おう! やったれ!』
(黒雷転動!)
俺を上段に構えたまま飛び出したフランは、一迅の黒雷と化して氷竜へと迫る。
狙うは首。その太い首に渾身の一撃をぶち込んで、叩き落す!
「はぁぁぁ!」
「ガァァァ⁉」
自分に迫るフランにようやく気付いたようだが、もう手遅れなんだよ!
袈裟斬りの軌道を追うように、黒い雷が流れる。
剣技も魔術も使わない、自らの技術と力のみで放つ斬撃だ。だが、その斬撃は天断の如く鋭かった。
竜の鱗が豆腐のように切り裂かれ、その首がたった一閃で切断される。
その斬撃は、ゾッとするほどに静かで、滑らかで、美しかった。
修行を続けてきたフランが見出した、剣王の先。自力で天断を再現する、剣の頂。これは、その初歩とも言える一撃である。
まだまだ集中と溜めが必要だが、それでも狙って放てるようになったのは大きな進歩だろう。
「グギャアアアァァ――」
「……やった」
『ああ! 凄いぞフラン!』
「ん。神剣になった師匠を使うには、これくらい簡単にできなきゃダメ。でも、まだまだ。もっと修業しないと」
神剣使いになっても、フランはフランだった。