1306 戦の神
「お? そろそろのようじゃな」
勝利を喜んでいると、邪神ちゃんの体の色が薄れ始める。
仮初の肉体が、消えようとしているのだ。
「儂はまた師匠の中で眠るとしようかの。楽しかったのじゃ! また邪神の欠片と戦う時は、呼び出してくれ!」
「いいの?」
「よい! 他の欠片共は嫌いなのじゃ!」
『嫌いって、同じ邪神の欠片だろ?』
「同じじゃないのじゃ!」
邪神ちゃんは語る。
彼女――邪神の童心としての部分は、邪神となることを否定していた。しかし、人の神としての感情がそれを許さなかったのだ。
世界を生み出した時、戦の神や混沌の神などの人間や生物の要素を持つ神々と、火焔の神、風雨の神と言った自然神たちの間で意見の対立が起きる。
自然神たちは生物――特に人間に自由意思など不要と考え、ただ祈りを捧げるだけの存在として生み出そうとしていたのだ。
争いも悩みもない理想の世界で、ただ祈りながら子を成すだけの存在。自然神たちは本気でそれが慈悲であると思っていた。
安定と調和を是とする自然神たちにとって、感情という不合理な存在は必要だとは思えないらしい。また、愛や慈悲の観念が人の神とは全く違っていた。
平行線の議論の末、戦の神は自然神相手に戦争を起こし、考えを覆そうとした。あえて世界を滅ぼすと宣言することで、全ての神々を敵として。
そうすることで、自分に味方していた神々の立場を守ったのだ。
激しい戦いが長く続き、結局戦の神は敗北してしまう。だが、彼女はこれも織り込み済みだった。
戦の神は自身を幾つにも分割し、この世界に自分の力を溶け込ませたのである。邪神が欠片に分かれたのは、彼女自身の意思であった。
神々の力を弱めることで、世界に溶け込もうとする自分への対処を遅らせたのだ。
そして、全ては手遅れとなり、戦の神の目論見通り世界は改変された。情報神としての側面を利用して、世界の法則すら変えてしまったのだ。
結果、世界にはステータスとスキルが生み出された。
そう、世界ができた時点で、ゲーム的なシステムは存在していなかったのである。
知識神と情報神、娯楽神の影響が色濃く出ているステータスやスキルは、持つ者の思考や感情に強く影響する。
このシステムがある限り生命には力と知恵が与えられ、自然神たちの考えるユートピアの皮を被ったディストピアは訪れないだろう。
また、邪人を生み出したうえで自分を邪神と位置付けることで、人に戦う理由も与えた。戦いは人を団結させ、成長を促すと信じているからだ。
出し抜かれた神々は結局邪神の力を世界から排除することは諦め、今はスキルシステムなどを利用さえしている。
自身の眷属を強化したり、新たな種を生み出したりもしているのだ。
そもそも、自然神は悪意が薄いので、戦った邪神のことも恨んだり憎んだりはしていないらしかった。
むしろ、未だに神として認めているからこそ、邪神の欠片を利用しようとする人間には厳しいのだ。
ただ、邪神の童心としては、自分で自分を封印するような真似をした戦の神が嫌いであるという。
元は同じ神だが、感情が分割されたことで、性格も葛藤も思考もだいぶ違っているらしい。
「……ずっと寂しかったのじゃ」
「そう」
フランが邪神ちゃんの頭を撫でる。
すると、彼女は心底嬉しそうに笑った。
「これからは師匠もフランもいる! もう寂しくないのじゃ!」
「オンオン!」
「うむ。狼もよろしくなのじゃ!」
邪神ちゃんはウルシの首にギュッと抱き着き、笑う。
「次出てきた時は、カレーを御馳走してくれなのじゃ!」
最後に邪神ちゃんはそう言って、消えていった。まあ、消えたのは仮初の肉体なので、俺の中では元気に騒いでいるけどな。
〈俺もまたしばらくはお寝んねだ〉
『フェンリルさんも、ありがとうな』
〈一緒に戦えて、面白かったぜ? フラン、ウルシ、頑張ったな〉
「ん」
「オン!」
〈また力が回復すれば、起きてくることもあるだろう。それまで、さよならだ〉
「ん。ばいばい」
「オン!」
フェンリルさんも眠りについた。かなり無理をさせたのだろう。静かに寝ててくれ。
「ウルシも、最後ありがと」
「オン」
フランにワシャワシャ撫でられ、ウルシは尻尾をブンブンと振る。
〈仮称・師匠が発動中の足跡の絆が解除されます。同時に、開放状態も停止〉
『そうか。俺の場合、邪神の欠片と戦う時じゃないと、なかなか力は発揮できそうにないんだよなぁ』
「それでいい。いつでも力使えたら普段から師匠に頼り切りになる」
『まあ、フランはそう言うか』
「ん」
そこで、俺は気になっていたことをアナウンスさんに尋ねた。
『黒猫族の呪いはどうなってる?』
俺やウルシ、邪神ちゃんは眷属扱いだと思うけど、その前の段階で普通に皆で戦ったし、足跡の絆はどういう扱いだ?
「それは私が答えるわ」
「!」
『こ、混沌の女神様!』
褐色の肌に銀髪、赤い瞳を持った美しい女性が、いきなりその場に現れた。同時に、凄まじい神気が感じられる。混沌の女神様だ。邪神の欠片とは違う意味で、戦場にいる仲間たちが慄いているのが分かる。
「よくぞ邪神の欠片を討滅し、神域へと封印しました」
「ん!」
「ですが、今回は黒猫族の呪いは解けません」
『な、なんでですか? 邪神ちゃんの力を借りたから? それとも、その前から大勢で戦ったからですか?』
「条件に抵触しているのは、足跡の絆よ。あの権能は強力だけど、大勢の力を借りているでしょう? あの力は師匠の制限でもあり、代償でもある」
マジか! 足跡の絆を使えば邪神の欠片にも勝てるが、それだと呪いが解けない?
普段は足跡の絆を使用できないという制限と、使えば黒猫族の呪いが解けないという枷。それが俺の代償ってことか?
『すまん。フラン……俺のせいで……』
「師匠のせいじゃない。師匠じゃなきゃ負けてた! それに、次の目標決まった!」
フランは一瞬たりとも下を向かなかった。決意に満ちた表情を浮かべたその顔は、真っ直ぐ前を見つめている。
「次こそ、黒猫族だけの力で邪神の欠片を倒して、呪いを解除する!」
『おー、やる気だな! でも、そうだよな。俺も神剣になったし、もう不可能な目標じゃなくなったよな!』
「ん!」
「オンオン!」
フランはどんな時だってへこたれないのだ。あんな化け物と死闘を繰り広げた後だというのに、もう次の戦いのことを考えている。
「ふふふ。さすがね。それでこそあなたたちよ。ああ、あと1つ伝えておかねばならないことがあるわ。レイドス王国は邪神の欠片を利用した。それが事実――」
「!」
いや、でも、主犯は全員死んだぞ? でも、今までの経緯からすれば国土全体に神罰をってこと?
「――ですが、国王や公爵が邪神の欠片討滅に尽力し、反省の意を示したことも事実。よって、今回は直接の罪人たちと協力者の命を以て償わせ、それで相殺とします」
要は、邪神の欠片を利用する研究をしていた者や、死んだ公爵たちの腹心への神罰だけで済ませてくれるってことらしい。
混沌の女神様はここで会話をしているだけに思えるが、この戦場にいる人間全てに聞こえているんだろう。
遠くにいた北征騎士団が、その場で片膝を突いて礼をするのが見えた。
降臨の目的は済ませたのか、混沌の女神様の姿が薄れていく。
「あの子の心を救ってくれてありがとう。師匠」
あの子って言うのは、邪神のことだよな? 同じ陣営だったというし、やはり気にかけているんだろう。混沌の女神様の目には、慈しみの感情が浮かんでいるように思えた。
俺が考えていることが伝わってしまったのか、女神様がニコリと笑う。
「ふふふ。では、これからも良い混沌を――」
以前はちょっと不吉に聞こえていた女神様の去り際の言葉も、今はそう感じないから不思議だ。混沌というのは悪いことばかりじゃないと分かったからか?
フランはこぶしを握り締め、やる気に満ちた顔をしている。最後の言葉を励ましと受け取ったらしい。
「北征公の騎士団に、黒猫族いた。話聞きに行く!」
『お、そう言えばそうだったな。あの騎士以外にも黒猫族がいるっぽいし。奴隷を買い漁っているって話だったけど、保護して騎士に取り立ててたんだなぁ』
「北征公いいやつ」
そんな話をしながら、フランは歩き出す。しっかりとした足取りで、彼女の目的地へと向かって。




