1305 カオススラッシュ
「邪神ちゃん、いく」
「うむ!」
虚空を蹴って駆け出したフランたちは、超神速で邪神の欠片に肉薄した。神獣化したことでさらに速くなっているフランに、邪神の童心はしっかりと付いてきていた。
フランの纏う黒雷と、邪神ちゃんの纏う邪神気が棚引き、空へと二条の黒い帯を描く。
超越者と化しているフランは、もはや人の目に留まらぬ速度を完璧に操ることができた。
黒雷の残像がなければ、誰にもフランたちの姿を追えなかったかもしれない。
「せやぁ!」
「ぶった斬ってやるのじゃぁ!」
オォォォォォォォ!
フランたちは巨大な邪神の欠片の周囲を駆け巡りながら、ひたすらに斬撃を叩き込んでいった。
神気と黒雷を帯びた剣と、邪神気で形作られたハルバードが邪神の欠片を斬り裂き、穿ち、削っていく。
遠くからは、邪神の欠片の周囲で黒い閃光が無数に煌めき、その度に巨体の一部が消失しているように見えるだろう。
フランと邪神ちゃんの嵐のような攻撃によって、邪神の欠片の肉体が削られて削られて削られて――。
「はぁぁぁぁぁ!」
「のじゃぁぁぁぁ!」
絶え間なく攻撃を叩き込まれ続けた邪神の欠片は再生が追い付かず、ほんの数秒で無惨な姿に変わり果てていた。
まるで、黒いタールのような色の粘土を何度も何度もこねくり回し、地面に叩き付けた後にヘラか何かで滅多刺しにしたような? 新手の前衛芸術か何かにしか見えない姿である。
しかし、さすがは邪神の欠片。
「まだ、生きてる」
『ああ。とんでもない生命力だ』
「腐っても儂と同種の存在じゃからな!」
いや、まだ生きているどころではなかった。
「!」
『縮んでいる?』
邪神の欠片が、凄まじい速度で収縮し始めていた。何かに吸い込まれているかのように、その巨体がある一点に集中していく。
力を失って縮んでいるわけではない。むしろ、圧縮し、濃縮し、凝縮し、力を一点に集めているのだ。
グジュリグジュリという不快な音を立てる漆黒の球体からは、黒い光がバチバチと弾け散っている。軽く触れた大岩が、一瞬で塵となるのが見えた。
「あの光に気を付けるのじゃ! あれは、悪意の具現化! 悪意によって存在を塗りつぶされ、歪められてしまうぞ! 命は死に、物は壊れるのじゃ!」
ただの邪神気じゃないってことかよ!
あの光が解放されてしまった時、どれほどの破壊が引き起こされるのか?
どう考えても、この戦場程度では済まないだろう。王都を消し去った邪神の欠片たちの協力攻撃よりも、こちらの方が邪神気の密度が遥かに濃いのだ。
このままでは、仲間たちに大被害が出る。
それを察したフランは、その顔に覚悟を決めた表情を浮かべた。
「……斬る」
俺を構えながら、そう言い切る。
『そうだな。俺たちならやれるさ』
「うむ!」
「ん!」
自棄になったわけではない。
フランには、自信が漲っていた。今の自分なら――自分たちならやれる。そう確信しているのだ。
「ふぅぅぅ……!」
フランは焦らず、静かに力を練り上げる。
神剣化した俺から流れ込む神気、神獣化したことで手に入れた膨大な黒雷、人々が与えてくれた祈りの力。
全てを、一撃に懸けるつもりなのだ。その身の内で束ねられた力が、怒れる龍のような奔流となって、フランの中を暴れ狂っている。
今のフランでさえ、即座に制御することができないほどの暴力的な力。
強く噛んだ唇が切れ、口の端から微かに血が流れ落ちる。
それでも、フランは顔色一つ変えず、さらに力を求め続けた。
「……!」
そんなフランを見たからには、師匠として負けていられない。神剣のくせして相棒の足を引っ張るだなんて無様な真似、絶対に許せん。
俺も、自身の力を刃へと乗せていく。力の流れが、よく分かる。今まで以上に神気を正確に操ることができた。
神剣化したことで、混沌の神の使徒としての力が増しているようだ。より神との距離が近くなったせいなのか?
俺の力、邪神の欠片の邪神気、フェンリルさんの魔力、アナウンスさんの補助。
今までなら、どれか一つでさえ制御することに苦慮していた膨大な力が、今なら完璧に操ることができた。
これが、神剣か!
幾重にも力が渦巻き、俺の刀身が虹色の光を放つ。
過去最高。自信を持って、言える。今の俺は、剣になってから一番強い。
「師匠、凄い!」
『どうだ! これならあいつだってぶった斬れるぞ!』
「ん!」
「まずは儂の番じゃ! 道を作るのは任せるのじゃぁ! ちょりゃゃぁぁぁ!」
フランよりも先に動き出したのは、邪神ちゃんであった。その手に持ったハルバードを振り被り、全身全霊を込めて振り下ろす。
放たれた斬撃は周囲の荒れ狂う邪神気を斬り裂き、彼女が言った通り細い道を作り上げていた。
邪神気によって、邪神気を相殺したらしい。
一瞬の空白地帯となった場所には、即座に邪神気が流れ込もうとしている。その一条の道は、1秒も維持できないだろう。
だが、今のフランにはそれで十分なのだ。
「てやあぁぁぁぁぁぁぁ!」
『いけぇぇぇ!』
〈俺の力も持っていけ!〉
〈勝利を!〉
任せておけ! フェンリルさん! アナウンスさん!
影すら生まぬほどの超神速で邪神気の隙間を駆け抜けたフランは、その勢いのままに収縮を続ける邪神の欠片へと斬りかかっていた。
俺とフランの力が交じり合い、迸る。フランの皆を助けるのだという純粋な想いが伝わってくる。この想い、絶対に無駄にはさせない!
『うおぉぉぉぉぉぉぉ!』
「カオススラァァァシュ!」
余りにも速く、美しい斬撃だ。今まで見たどの斬撃よりも、完璧だった。天断を超えている。明らかに剣の神の領域に踏み込んでいた。
ギギィィィィィ!
耳障りな甲高い音。
斬撃と邪神気が一瞬拮抗し、黒と虹の燐光が場違いなほど美しく舞い踊る。
しかし、軍配は俺たちに上がっていた。虹色の閃光は邪神気を塗り潰し、その勢いのままに闇を切り裂いたのだ。
驚くほど抵抗なく、邪神の欠片が一刀両断された。邪神気は払われ、真っ二つになった黒い球体が露わとなる。
刹那の静寂。
オオォオォォォォォォォォォォォォォ!
次の瞬間、空間そのものを震わせるような邪神の欠片の断末魔が響いていた。ようやく、自分が斬られたことに気付いたらしい。あまりの巨大な咆哮に、フランの鼓膜が破れて耳から血が舞った。しかし、フランの目は爛々と輝き、邪神の欠片を睨みつけている。
直後、凄まじい閃光が迸り、辺りを包み込んでいた。
途轍もない量の邪神気が放出され、衝撃が周囲を荒れ狂う。
「くぅぅぅぅ!」
『ぬがぁぁぁぁ!』
フランは空中で踏ん張るが、今にも吹き飛ばされそうだ。守護神の盾ですら、凄まじい速度で削られていくのが分かる。
「むぅぅぅ――? ウルシ!」
「オン!」
『助かったぞウルシ!』
助けてくれたのは、ここ一番で頼りになる仲間。ウルシだった。フランを後ろから支えながら、一緒に踏ん張ってくれる。
だが、邪神気の暴走は一瞬では止まらない。
遂には障壁を突き抜けた超速度の邪神気の礫が、フランやウルシの肉体を削り始める。急所は守っているが、全身に無数の穴が空き、赤い血が絶え間なく散っている。
それでもフランたちは歯を食いしばり、耐えた。
数秒後。
「おわった……?」
「オン……?」
閃光が収まった時、そこには巨大なクレーターが存在していた。いや、今の超爆発にしては、かなり小さいか? 直径は100メートルないだろう。
「ふははは、危なかったのじゃぁ」
ボロボロの邪神ちゃんが、フラフラと近寄ってきた。
「邪神の欠片、どうなった?」
「奴らは消えたのじゃ。もう復活することはないじゃろう」
俺の神剣としての感覚も、この地に残る邪神の欠片は目の前の邪神ちゃんだけだと教えてくれている。
『衝撃を外に逃がさないようにしてくれたのか?』
「邪神気を全部食らってやるつもりだったが、少々量が多すぎたのじゃ」
彼女が邪神気を吸収したうえ、一部の衝撃を結界などで弱めてくれたらしい。
「ありがと」
「なんの! フランのためなのじゃ! 儂らは友達じゃろ?」
「ん。友達」
「じゃよな! じゃよな!」
喜ぶ邪神ちゃんが、その場でうんうんと頷く。そんな彼女を見て、フランもようやく喜びが湧いてきたらしい。
「勝った?」
『ああ! 勝ったぞ!』
「うむ。勝ちじゃ」
「オンオン!」
〈勝利です〉
〈勝ったな!〉
皆の言葉を聞き、フランは改めて勝利を実感したらしい。俺を天に向かって突き上げ、宣言した。
「うおー。勝ったー!」




