1299 邪神の悪心の最期?
何が起きた?
ユヴェルが神剣を呼び出した? ジャンが力を貸していたようだが、そんなことが可能なのか? 自分たちと同じように、記憶を再現したのだろうが……。
謎の痛みのせいで朦朧としかけていた意識が、驚きのせいで少し覚醒しちゃったぜ。
光の粒となって消えていくユヴェルは、美しかった。最期、こちらを見ていたな。いや、フランを見ていたのか。
「ユヴェル、凄い。さすが英雄」
フランは感動したように、そんなことを呟いてた。だが、邪神の悪心は感傷に浸る暇も与えてはくれない。
(む? 黒いの出てきた!)
邪気が……いや、これは邪神気だ!
神剣と邪神の欠片の衝突によって刻まれた、無数の大地の割れ目。そこから、凄まじい量の邪神気が煙のように放出され始めていた。
邪神の悪心が犯人なのは間違いない。大地に深々とめり込んだ悪心が、地下で邪神気を撒き散らし始めたのだ。
普通にこちらを操れないなら、より出力を上げてってことなんだろう。
俺も即座に邪神気を吸収するが、痛みのせいで集中できず、一気に全てを消し去ることはできない。仲間たちは即座に距離を取ろうとするが、その顔色はかなり悪かった。
邪神気に僅かに触れただけで、精神がかき乱されているようだ。
俺はさらに広範囲の邪神気を吸っていく。すると、痛みがドンドン増していくのが分かった。
これほどの痛みは、今までに経験したことがない。ヤバいか? だが、ここでやめるわけにはいかない。フランを仲間と争わせるわけにはいかないのだ。
俺の中の邪神の欠片はまだまだ邪神気を食えるだろうが、俺がかなりきつい。
『お、ぐ……』
「師匠! 師匠っ!」
『もんだい、ない』
「でもっ!」
フランが足を止めている間にも邪神の悪心が再び浮き上がろうともがいているが、そうは問屋が卸さない。
「おじちゃん! 負けてられないよ!」
シエラの声に応え、魔剣・ゼロスリードがキィィンと甲高い音を放つ。少年と剣は、驚くほど濃密な邪気を纏っていた。いや、すでにあれは邪神気だ。
多分、邪神の欠片たちが放つ邪神気を吸収し、自身の内側に溜め込んでいたんだろう。相当な負荷がかかっているはずだが、ゼロスリードはやり遂げたらしい。
シエラのためだろう。気持ちは分かる。
「うぉぉぉぉ! 邪剣黒崩斬!」
中二病チックな技名を真面目に叫ぶシエラ少年。だが、その威力は全く笑えない。
邪神気による、斬撃。ただそれだけなのだが、邪神の欠片を深々と切り裂いていたのだ。
渾身の一撃を放ったシエラと、全ての力を放出したゼロスリード。両者の全力の合わせ技だった。
その結果が、シビュラやランクA冒険者たちの奥義にも負けない、凄まじい斬撃である。
悪心が再び穴へと落ちていく。そこに、アマンダが追撃を仕掛けた。
「この鞭凄いわ! これなら本気が出せる! はぁぁぁ! 四天王砕き・3連!」
アマンダの手元が一瞬ブレて、全く見えなかった。それほどの速度で繰り出された無数の鞭撃が、邪神の悪心をズドドドと打ち据える。
しかも、その打撃は悪心の浮上を妨害するだけではなく、ダメージも与えていた。頭部の一部が砕けているのだ。
彼女の攻撃には、神気が乗っていたのである。アマンダの職業は神鞭士。しかし、鞭の破損を気にして、本気で攻撃をすることができないでいた。
そこに、神級鍛冶師アリステア作と思われる最高レベルの鞭が登場し、彼女は真の実力を発揮できるようになったというわけだ。鬼子母神の強化と相まって、神気を扱うことが可能となっていた。
邪神の悪心は、穴の底で天を見上げて咆哮を上げる。その声は悔しそうだった。
次に前に出たのは、フォールンドだ。
彼の手には、高温を放つ真っ赤な炎が握られている。その炎を、俺たちは見たことがあった。
「燃え上がれ、イグニス!」
フォールンドが神剣模倣で生み出したのは、イザリオの持つ神剣イグニスだったのだ。天高々と突きあげられたイグニスから火炎が迸り、金色の光が周囲を呑み込む。
「うおぉぉぉぉ!」
フォールンドが飛び上がり、穴の中にイグニスを投擲した。剣神の寵愛と組み合わせるなら、この攻撃が最適なんだろう。
超高速で射出された模倣イグニスが、邪神の悪心の口内にズドンと飛び込む。
直後、赤い光が口から溢れ出し、大爆発を引き起こしていた。巨大な穴からは数百メートルにも達しようかという炎の柱が立ち昇り、周囲の大地をドロドロに溶かす。数倍にまで広がった巨大な穴は、まるで溶岩のプールのようであった。
巨大な口から炎を噴き上げる邪神の悪心。無数の乱杭歯は溶け、体表が焼け爛れている。
オオォォォ……!
悲鳴を上げる邪神の悪心は、満身創痍だ。そして、忌々しげな声が響き渡る。
『狂えぇ! 争えぇぇ! 殺し合えぇぇっ!』
悪心の声だった。邪神の欠片特有の金切り声である。しかし、無駄だぜ! お前の放つ邪気は、俺が食ってるからな!
『ぐあぁ……』
カッコつけてはみたけど、痛ぇ! だけど、ここで皆が支配されたら、マズい! ここで破壊されようが絶対に耐えてやる! フランのために!
『何故だ! 悪しき本性を剥き出せ! 憎み合え! 殺し合えぇぇぇぇ!』
悪心の能力は、やはり他者の支配特化なんだろう。
それが通用せず、焦っているのが分かった。
悪心の声が響き渡る中、ついにマレフィセントの準備が完了したらしい。ペルソナも一緒だ。彼女の結界によって、空に浮いているんだろう。赤い池に横たわる邪神の悪心を見下ろしながら、巨大な門の形をした盾を構えている。
「獄門よ、開け! 溢れ出せ、地獄の汚濁よ! 神を蝕む毒よ!」
門の中から放たれたのは、小さな紫色の雫であった。
毒の一滴。だが、その内からは、凶悪な神気が放たれている。
判る。あれは、神毒すら超える、恐るべき究極の毒。神をも殺す、必殺の一滴だ。
フランも、青い顔で固まっている。その全身に鳥肌が立っているのが分かった。アレの恐ろしさが、解っているんだろう。
紫色の雫が、邪神の悪心の頭上へゆっくりと滴り落ち――。
オオオォォォォォオォッ!
邪神の欠片の咆哮と共に、強烈な振動が大地を揺らした。フランが立っていられないほどの振動が、どれほど続いただろうか。
点のような紫の染みが邪神の悪心を侵食し、ドロリドロリと溶けていく。グズグズに溶けた悪心の体が、溶岩の池の中へと沈んでいくのが見えた。
数十秒後。咆哮と振動と邪神気の放出が、ピタリと止まった。
これは嵐の前の静けさ? だが、そうではなかった。赤い液体の底から感じられていた悍ましい邪気が、綺麗さっぱりと消え去ったのだ。
驚くほど、周囲の邪気が薄まる。
あの咆哮は、邪神の欠片の断末魔であったらしい。
「……」
「……」
俺もフランも、他の皆も茫然としてしまった。だって、相手はまがりなりにも神の力を受け継いだ、その欠片なんだぞ? それが、俺たちの前で倒された? そんなこと、有り得るか?
余りにも現実感がない。しかし、呆然とする間もなく、響き渡る轟音がフランたちの耳朶を打っていた。
ここ以外の戦場でも、大きな動きがあったらしい。それぞれの戦場で、閃光や爆炎が上がるのが見えた。