1280 父と娘
「おい! 聖母! お、お袋っ!」
「ふ……」
聖母に呼びかけながら目の端に涙を浮かべるシビュラは、親の死を看取る娘そのものに見える。
「アセンション」
聖母から魔力が完全に失われる正にその瞬間、光の柱が聖母の体を包み込んだ。
その遺骸は光の粒となって、世界へと溶け込むように消えていく。
「安らかに眠れ。惑い続けし魂の残滓よ」
死霊の怨念を浄化し、天へと送る死霊魔術である。死者を恨みから解放し、安らかに眠らせてやるための術だった。
「きれい」
「オン」
蛍のような美しい光の乱舞が、聖母を静かに見送る。その光景は、余りにも美し過ぎた。
「ふぅ。せめてもの手向けにはなったか?」
「ジャン! だいじょぶ?」
当然の如く、術を使用したのはジャンであった。だが、心臓が一時的に止まっていたんだぞ? ジャンは強者だが、肉体が人類を辞めているタイプではない。
あそこから良く持ち直したな。
「うむ。これのおかげで、なんとかな」
ジャンが懐から取り出したのは、ゾンビの顔を模したペンダントであった。ただし、顔の半ばに傷が入り、魔力は完全に失われてしまっている。
「それ、見たことある」
「それはそうだろう。浮遊島に挑戦する時、君に持って行ってもらったからな」
確か、致命傷を負った際、HPとMPを半分回復してくれるという術具だったはずだ。
「まあ、大量の怨念が流れ込んでくる仕様だったらしく、少し驚いたが」
た、大量の怨念って……。死霊術師のジャンにとっては美味しいだけだが、あの時にフランが使ってたら死んでたかもしれないじゃないか!
あぶねー。一年越しに、ヤバいアイテムを使わずに済んでよかったー!
ただ、そのおかげでジャンは心臓停止状態からギリギリ助かったらしい。本当に死んだかと思って、焦ったぜ。
ジャンが無事でほっとするフランとは対照的にシビュラは昏い表情だ。攻撃的と言ってもいい。
「おい」
「なんだね?」
「……ありがとうな」
いや、照れ臭かっただけか。それにしても、シビュラの母体――母親が聖母だったとは。実験で生み出されたとは聞いていたが、その母親がどんな存在かは知らなかった。
まあ、シビュラ自身も知らなかったようだがな。黒骸兵団の秘匿戦力なのだし、情報が封鎖されていたはずだ。知らずとも仕方ない。
ただ、聖母の眷属理智化がシビュラに効果があった理由は、親子だったからだ。そりゃあ、普通の親子とは違うだろう。
シビュラはモンスターの因子を埋め込まれた実験の産物。聖母はアンデッドで、胎を培養槽代わりに貸しただけ。
それでも効果があったということは、間違いなく2人は母娘であったのだ。
「あんたのおかげで……お袋は怨念を残さずに逝けた。ありがとう」
「もう少し早く動き出せれば、違う道もあったやもしれん……」
珍しくジャンが暗い表情をしている。後悔しているようだ。
「こやつが、思いの外しぶとくてね」
ジャンが掲げて見せたのは、一つの頭蓋骨だ。髑髏なんてどれも同じに見えるが、これは何となく分かるぞ。
「それは、ネームレスの野郎の?」
「ああ。アンデッドというのは、消滅する時に多大な怨念を残すことがある。場合によっては、その怨念が他の素体に宿ることすらある」
え? それって、復活可能ってことか?
だが、そう都合のいいことではないらしい。
「消える際の怨念であるのだぞ? まともな意識など残らず、ただ暴れ回るだけの理性無きアンデッドに成り下がるだろう。それで復活とは言わんさ」
要は、能力や記憶の一部を引き継いだ、劣化暴走アンデッドが近くに生まれる可能性があるってことらしい。
ネームレスがリッチの力や記憶を継承したのも、同じ理屈なのだろう。
それは、防がないと面倒なことになりそうだ。特にネームレスクラスの怨念となれば、絶対にろくなもんじゃない。
ジャンはそれを防ぐために、ネームレスを直接昇天させていたそうだ。ずっと黙っていたから本調子じゃないと思っていたが、静かに戦ってくれていたらしい。
「アヴェンジャー君。護衛助かったよ」
「ふはははは! 貴殿は他人と思えぬゆえな!」
そう言えばアヴェンジャーも静かだったな! ジャンを補助していたようだ。
「おっと、そろそろ限界だな」
見送らなくてはいけないのは、聖母だけではなかった。
「親父。手が透けてんじゃねぇか。いよいよ本格的に幽霊になってきたな!」
「ははは、それだけ言える元気があるなら、大丈夫だな?」
「……ちっ。私は大丈夫さ。だから、さっさと逝っちまいな」
「おう。主、色々ありがとうよ。あんたのお陰で、最後に意地も見せれたし、娘の顔も見れた。感謝してる」
「いけ好かない公爵を燃やしてやれたのは、よかったな!」
「ええ! 楽しかったわねぇ」
アポロニアス、ベガレス、ヴィオレッタが口々に礼を言ってくる。他の赤騎士たちもだ。テイワスとウィレフォも、透け始めている。
奥義を使わなかったはずだが、アポロニアスに魔力を全て譲渡したらしい。あの凄まじい炎の攻撃は、仲間の力を借りてのものだったのだ。
赤騎士っていうのは、自己犠牲が極まっているよな。
「シビュラよぉ。この国、頼んだぜ?」
「任せとけ」
「……すまんな。1日に2回も、親を見送らせちまって」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。私みたいなもんでも、親がいるってのは、嬉しいもんさ。そう、思えた。むしろ感謝してる」
シビュラがそう言って笑う。アポロニアスもそれを見て、肩の荷が下りたかのようにホッと笑った。
「そうか」
「おう」
「じゃあ、これはせめてもの餞別だ。食っとけ」
「喰っとけって、炎じゃねぇか」
「お前なら食えんだろ? 俺の魔力だ。遺品みたいなもんだと思って、ガブッといっとけよ」
「普通は遺品を食ったりはしねぇだろうが!」
「いいから! ほら! もう消えちまうからよ!」
「あー! もう! 分かったよ!」
「はっはっは! こいつ、本当に炎食ってるぜ!」
「お前が食わせたんだろうが!」
喧嘩みたいなそのやり取りが、父娘の最後の会話であった。消滅寸前とは思えない馬鹿笑いを残しながら、アポロニアスの姿が消えていく。
「……じゃあな。親父。あんたらが眠るレイドスの大地、必ず守って見せるからさ」




