125 リンフォード
「では、女性はこちらで保護いたします」
「ん」
「ありがとうございました」
「フランさん、ありがとう! おかげで助かったわ!」
「ん。じゃあ」
「気をつけてね!」
そうして助けた女性を騎士団に預けたのが5分前のことだ。ウルシの背に乗っての空中散歩が余程衝撃だったのだろう。地面に降りた時には妙なテンションになっていたな。しかもずっとしがみ付いていたウルシの毛皮にハマってしまったらしく、別れ際までずっとモフリ続けていた。
その時に対応してくれた騎士に町の様子を聞いたが、かなりの混乱が起きている様だ。重要施設が襲われたという話も聞いた。これは急がなくては。
『見えた』
「あそこ?」
俺たちは領主の館の上空から周辺を見下ろす。
領主館はかなりデカいので、隣接する屋敷が10近くある。だが、その1つから強烈な気配が漏れ出ていた。イビル・コボルトやイビル・ヒューマンたちの纏っていた邪悪な気配を何十倍にも強めた様な、離れていても鳥肌が立つような嫌な気配だ。
現にフランとウルシが顔をしかめて屋敷を睨んでいる。
『間違いなくあそこだろうな』
「ん」
本当なら正面から突っ込みたいところだが、相手の戦力も分からない。ここはいつものスニークプレイだ。
気配を最大限に殺し、屋敷の庭の隅に下り立つ。結界のような物は無く、あっさりと敷地に侵入できてしまったな。
『いつもの手順で、敵を削っていく』
「ん」
「オン」
まずは屋敷の周囲を巡って、敵の数を把握だ。
そうやって庭から屋敷の中を探ること10分。俺たちは屋敷の中から人の気配をほとんど感じることは出来なかった。多分、10人いないだろう。しかも、気配は全て屋敷の中央付近に固まっている。
仕方ない。屋敷に侵入するしかないか。
『いつでも戦闘に入れるよう、準備しておくぞ』
「ん」
「オン」
フランとウルシはマナポーションで魔力を回復させる。さらに、いつでも俺が単独で飛び出せるようにフランは魔剣・デスゲイズを構えた。俺も念動を溜めたりしておく。
そして、俺たちは裏口から屋敷に入り込んだ。どうやら気づかれなかったみたいだな。
とりあえず人の気配がする方へ歩き出す。息を殺してゆっくりと。それにしても魔力が濃い。多分魔境並みに魔力が満ちている。何かの魔道具の影響だろうか。
道中、敵に出会うこともない。拍子抜けするほど簡単に、俺達はある場所にたどり着いていた。
(師匠、そこの扉)
『おう。全員いるな』
両開きの大きな扉。その向こうに大勢の気配があった。どうやらホールか何かの様だな。全員ここにいるらしい。ここまで来れば間違いようもない。この魔力、この気配、確実にイビル・ヒューマンだった。
さて、どうするか。相手の強さが分からん。これだけ無警戒というのは、力に自信がある証拠ともとれるし。余裕ぶって突入して、勝ち目のないような化け物ばかりとかいう状況は勘弁願いたい。
なにせ、ゼロスリードやルゼリオのような配下が居る相手だ。ランクC、Dクラスの敵が全員変身してたら、俺達だけでは危険だろう。奇襲を仕掛けて最大火力をぶっ放し、問答無用で殲滅するくらいしか勝機は見いだせない。
その場合、リンフォードを殺さずにいられるかが分からないんだよな。限界まで力を込めた攻撃で、リンフォードだけを器用に避けて攻撃なんて真似はさすがに難しい。出来ればリンフォードは生かして捕えたいが……。
危険を冒して、リンフォードに被弾しないような攻撃だけに絞るか?
(どうする?)
(オン?)
いや、違うな。それでフランやウルシが取り返しのつかない怪我をしたら元も子もない。まず優先すべきはフランたちの安全だ。他がどうなろうと知ったこっちゃない――とまでは言わないけど、フランの命を懸けて知らない誰かの安全を買おうとは思えないな。リンフォードを生かして捕まえないと、この町が絶対に滅ぶとか言うんだったら無茶する可能性もあるけど。
『最大火力をぶち込む。全力でやれ』
(いいの?)
『ああ、ここにリンフォードが居るかどうかも分からないし。逃がしたり、ここで引き返してさらに混乱を引き起こされる方が危険だ』
だったら、ここでリンフォードをぶち殺す。
『じゃあ、いくぞ』
(ん)
(グル!)
ドガン!
フランがドアを蹴破る。魔術を撃つ直前、部屋の中にはイビル・ヒューマンたちが居るのが見えた。よし、これで心置きなく魔術を放てる。いや、もう撃ち始めちゃってるから、今更止められないんだけどね。
『――フレア・エクスプロード! ゲイル・ハザード! フレア・エクスプロード!』
久々のスキル全力使用だ。並列思考と魔法使いスキルによる、範囲呪文の連続発動。しかもオーバーブーストさせている。
Lv4火炎魔術、フレア・エクスプロードは、大爆発により広範囲を焼き払う上級魔術だ。風魔術を挟みより広範囲に広がる様にしてある。
「――ファイア・ウォール!」
「――グルルァ!」
『ストーン・ウォール!』
あまりにも近距離で放ったため、俺達にまで熱風が襲い掛かってくる。だが、あらかじめ詠唱してあった障壁系の魔術を重ね掛けし、何とかやりすごした。それにしてもナパーム弾でも落ちたかのような凄まじい爆風だな。壁の両脇を粉塵と土砂の激流が恐ろしい勢いで流れていくのが見えた。三重の壁を張ったにも関わらず、吹き飛ばされそうになる。
『……やりすぎた?』
「弱すぎるよりはいい」
「オン」
にしてもだ。爆風が収まった後、屋敷の2階は半壊し、1階も半分ほどが廃墟と化していた。ホールも原形を留めていないな。四方の壁が消滅し、屋敷の中央に元々広い中庭でもあったんじゃないかと思えるような有様だ。侯爵家の所有する広大な屋敷が、である。
「……初対面の相手にずいぶんと酷い仕打ちではないかね? 小娘よ」
「! だれ」
「ふぉっふぉっふぉ。分からぬかね?」
「邪術師リンフォード」
「正解じゃ」
名称:リンフォード・ローレンシア 年齢:100歳
種族:邪人
職業:邪術師
状態:平常
ステータス レベル:58/99
HP:229 MP:850 腕力:127 体力:97 敏捷:120 知力:236 魔力:552 器用:81
スキル
詠唱短縮:Lv4、鑑定:Lv7、高速再生:Lv6、邪悪感知:Lv9、状態異常耐性:Lv4、扇動:Lv4、調合:Lv6、毒知識:Lv7、魔力操作、魔力大上昇
固有スキル
邪術:Lv8、邪神の恩寵
称号
邪神の先兵
装備
邪鬼の骨杖、邪犬人のローブ、邪犬人の外套、邪術の腕輪
「それにしても……魔道具でも使ったか? あれほどの魔術を放てる力量には見えんが」
まじかよ。あの攻撃に無傷で耐えやがった。だが、他の奴らは無事では済まなかったらしい。白髪の小柄な老人の前に7体ほどのイビル・ヒューマンが折り重なるように倒れている。最もダメージの大きかった前の3体に関してはほとんど消し炭状態だ。後ろの4体はミディアムかウェルダンってところだろうか。
そして息も絶え絶えで膝をつく、レア状態のイビル・ヒューマンが3体いた。どうやら前の奴らが壁になり、ダメージが軽減されたようだな。それでも1体はあと1分もしない内に死ぬだろう。残りの2体は処置をすれば助かるかもしれない。
このジジイ、部下を平気で盾に使いやがったのか? 暴れるだけの化け物なのかと思ったら、リンフォードの命令は聞くのかもしれない。邪術師だし、邪人を操る術とかがあってもおかしくはないが。
しかし俺の想像は外れていたようだ。
「リ、リンフォード様、お逃げください」
「ここは、我らが!」
イビル・ヒューマンがまともに喋ってる?
慌てて鑑定してみると、こいつらは他のイビル・ヒューマンと明らかに違っていた。まず個体名がある。そして狂化、暴走状態ではない。称号も邪神の奴隷ではなく、邪神の下僕だ。
理性を持ったままイビル・ヒューマンになったという事か?
「そいつら、喋れるの?」
「ふぉふぉ、町で他の邪人に出会ったかね? そうじゃ、こ奴らは理性を残したまま、邪人の力を手にしておる。自らの意思で邪神様の力を受け入れたことによってな!」
そういうことか。多分称号の差だ。邪神の奴隷は無理やり変身させられ、理性を奪われた者。邪神の下僕は自らの意思で邪神の力を受け入れた者だ。
てことは、称号が邪神の下僕だったルゼリオは意思を持ったまま邪人化してたってことか? 危なかったかもしれん。速攻で倒しておいてよかった。
「変身の条件は何?」
「何故教えてやらねばならんのだ――と言いたいところじゃが、ここまでたどり着いた褒美じゃ。質問に答えてやろう」
「御託は良い」
「ふぉふぉ。威勢の良い小娘じゃ。邪人へと進化できるための条件はそう難しくはないぞ。我が調合した邪神水を飲み、体内に邪気を一定量溜めこめば良い。あとはワシの最後の一押しか、本人の意思によって進化が始まる。簡単じゃろ?」
いや簡単すぎないか? それくらいのことで人間が邪人に変わるだと? だったらもっと邪人が増えててもおかしくないはずだ。邪術師がこいつだけとは思えないし。少なくともその話はもっと広まっていてもおかしくはないだろう。だが領主やダナンの反応を見るに、人が邪人に変わってしまうという現象を全く知らないようだった。為政者側であるあの2人が知らないということは、この世界の常識ではないってことだ。
人間を強制的に邪人に変える条件が、水を飲むだけなんてありえない。と思う。
何か他に秘密があるはずだ。リンフォードがわざわざこの屋敷に来た理由が。
ルゼリオは何と言っていた? 町の中心なら、バルボラ全域に魔力を張り巡らせることが可能だとか言ってなかったか? 魔力を町に巡らせることによって、何かが起きる?
俺はリンフォードの背後に視線をやった。僅かだが不自然さを感じたためだ。一見すると隠蔽されているが、床に何か書かれている。魔法陣だ。
魔法使いスキルで魔力の流れを追ってみる。リンフォードから流れ出る邪悪な魔力が、魔法陣によって広範囲に拡散されているのが分かった。これが魔力を巡らせるということか。そして、リンフォードが言った最後の一押しの正体だろう。大規模な何かの儀式だ。
「それにしても、わしの前に立って魔力に当てられぬとは面白い。どうじゃ小娘。わしの配下とならんか? 今よりも数段強い力を与えてやるぞ?」
「……お前たちの目的は?」
「お、即答せんか? 良いぞ良いぞ。思慮深きことは良いことじゃ。さて、わしらの目的かね? 邪神様の復活と世界の破滅!」
「!」
「とでも言うかと思ったかね?」
その後にリンフォードが語ったことは、ルゼリオが言っていたこととほとんど同じだった。邪神の復活が目的ではなく、崇めて力を分け与えてもらうことがこいつらの目的らしい。
よくある邪神を復活させて世界を滅ぼし、新たなる世界で邪神の配下として栄光を掴むとか、世に絶望して邪神の力で全部を滅ぼすとか、そういった狂信的理由ではないみたいだな。
「どうじゃね? ワシの配下とはならぬか? お主が望むなら、力を授けよう。進化させてやっても良いぞ? 正当な進化とは多少違うがな」
「ん。お断り。お前の配下になんかならない」
「良いのか? お主は黒猫族であろう? 進化できぬ種族と聞いているが?」
「? どういうこと?」
「お主ら黒猫族は神に見捨てられ、進化の系譜を閉ざされた種と聞いたことがあるぞ? 真偽は分からんがな」
「……」
「ワシならば、お主を進化させることも可能じゃ? 今すぐにでもな!」
リンフォードはニヤリと笑うと、フランに向かって骨と皮だけの細い手を差し出した。




