1259 聖母
研究所の奥へと無事に辿り着けたが、フランは何故か首を捻っている。
「罠とかなかった」
重要な施設なら、侵入者を阻むための様々な罠や仕掛けがあると思っていたらしい。だが、アポロニアスは呆れ顔だ。
「罠なんぞあったら、研究者が行き来できんだろう?」
「なるほど」
今その姿はないが、以前は大勢の研究者がここで様々な研究を行っていたらしい。確かに、戦闘力がない研究者のことを考えたら、罠なんぞ仕掛けられんよな。
「この先はさらに厳重な結界が施されている。気配や魔力が完全遮断されているため、何が待っているかは分からん」
どれだけの強者が手ぐすね引いて待ち構えていたとしても、ここからでは感知できないってことらしい。
「俺たちが復活させられた時には、聖母が安置されているだけだった」
「安置?」
「ああ。聖母は1人ではまともに動くこともできない。そのため、常に移動用のアンデッドたちに担がれて移動しているらしい」
聖母は棺と呼ばれる魔道具がなければ存在を維持できないらしく、移動にも苦労しているそうだ。戦闘力はあまり高くないのか?
『ともかく、入ってみなけりゃ何も分からん。アポロニアス、先頭を頼む』
「お願い」
「おう! それじゃあ、いくぞ!」
アポロニアスが扉の横の装置に魔力を流し込むと、巨大な鉄の扉がスライドするように左右に開いていく。研究所とか呼ばれるだけあって、妙に機械的だった。
だが、その内部にあったのは圧倒的にファンタジーな光景だ。
床には直径100メートルはありそうな巨大な魔法陣が描かれ、その上には高さ10メートルを超える巨大な水晶型の魔石が静かに浮かんでいる。
そして、その魔石の奥。
そこには、縦置きされた細長い石櫃の中に寝っ転がった、ミイラが安置されている。ピラミッドから発掘された、包帯の無いタイプのミイラとかにそっくりだ。
同時に、圧倒的な魔力が押し寄せる。戦闘力がない? とんでもない。そこにいるミイラは、まぎれもなく脅威度A級の戦力だ。
だが、ミイラからは敵意が感じられない。それどころか――。
「お待ちしておりました。黒雷姫殿」
地下の巨大空間に、優し気な女性の声が響き渡る。その音の発生源は安置されたミイラだ。口は動いていないのに、声が聞こえる。
全く敵対心が感じられず、フランはどこか拍子抜けしたような表情で聞き返した。
「……誰?」
「私は、聖母と呼ばれる者」
『やっぱり、あのミイラが聖母だったか!』
凄まじい魔力に、魔法陣を完璧に支配下に置いている制御力。間違いなく、こいつが黒骸兵団第二席・聖母だった。
フランは身構えながら、口を開く。
「……アポロニアスたちに、手加減させたのはなんで?」
「その前に、この少女をお返しします」
「! ペルソナ!」
天からゆっくりと降りてきたのは、意識を失った状態の小さな少女だった。フランが駆け寄って、ペルソナを抱き起す。
フランが声をかけても目覚めない。息はしているんだが……。
回復魔術をかけても、ペルソナは目覚めなかった。それに、以前と違ってステータスが見えるぞ。そこでは、状態が魂衰弱となっていた。
「ペルソナ、だいじょぶ?」
『肉体的には異常ないんだが……』
ステータスをさらによく見ると、ある大きな異常に気付く。なければいけないスキルが、見当たらないのだ。
『情報神の根源が、ない?』
ペルソナが所持しているはずのエクストラスキル、情報神の根源が見えなかった。だから、鑑定が通るようになったのだろう。
魂衰弱状態も、これが影響しているのか?
「命を救うことしかできませんでした」
「どういうこと?」
「その娘は、錬金術師ゼライセ――いえ、今は魔剣ゼライセでしたね。あの喋る剣によって、スキルを奪われました」
「情報神の根源?」
「そうです。その巨大な人工魔石に、情報神の根源が移植されています」
魔石を確認するが、情報がなにも読み取れない。以前のペルソナのような白紙に見える訳ではなく、単純に俺よりも高位過ぎて鑑定が効かないようだ。
「床に描かれた魔法陣によって魔石を制御し、情報神の根源を私に接続しています。そうして、大地に眠る情報の渦から強者や兵士の情報を拾い上げ、再現、改変しているのです。ゾンビ化しているのは、私が操るには死霊でなくてはならないからですね」
聖母は語る。
スキルとは、魂に刻まれるものであるらしい。そんなスキルを奪われれば弱体化するし、無理やり奪われれば魂が傷つくこともあるそうだ。
多分、スキルテイカーによる奪取は、システム的には正当というか、問題ないものなのだろう。だから、スキルを奪われた相手が死ぬようなことにはならない。
しかし、ゼライセのやり方は、システムの裏を突くような方法であるらしい。
「その娘の傷ついた魂を完全に修復することはできませんでした。情報神の根源を使っても、魂へと干渉することは難しかったようです」
魂は神様の領域らしいし、普通では干渉することも難しいだろう。情報神の根源という、神の名を冠するスキルだからこそ、僅かに修復することが可能だったらしい。
「ですが、魂の傷自体は塞いでいます。自然治癒に任せれば、いずれ目覚めるでしょう。それがいつになるかは分かりませんが……」
聖母の言葉を聞いたフランが、ホッとした表情を浮かべる。だが、すぐに首を傾げた。
「なんで、ペルソナを助けてくれた?」
「……何故でしょうね? 他者に利用され続けるその娘が、自分に重なったからかもしれません」
相変わらずのミイラなのだが、何故か悲しげに見えた。
「それと、手加減をした理由ですね。あなたがアヴェンジャーを支配したことは、分かっています。それが、邪気を通してだということも。それ故、邪気を源とする再現体たちも支配できるかもしれないと考えました」
「? 私がアポロニアスたちを支配することが、狙いだった?」
「はい」
「なんで?」
「ふふ……。いい加減、眠りたいのです」
囁くような聖母の呟きを聞いただけで、周囲の空気が重くなる。彼女の言葉には、深い嘆きと闇が潜んでいた。




