1215 ビスコットの覚悟と嘘
村人を魔力弾から守った壮年の戦士が、ビスコット? そして、その後ろにいる30代に見える女性が、クリッカ?
どちらの名前も、憶えている。武闘大会で、シビュラと一緒にいた2人だ。だが、あの時はどう見てもビスコットは20歳そこそこで、クリッカも同年代に見えた。
それが、急に老けているのはなんでだ?
いや、ラランフルーラはビスコットを失敗作と呼んでいたよな? 超人兵と同種の存在なのか? 超人兵は老化が早いと聞いたし、それならビスコットが今の外見なのも分かる。
ただ、これだけ短期間であれだけ老化が進んでしまったということは……。
「すごい!」
「おじちゃんありがとう!」
子供たちの歓声が聞こえた。ウルシの背の上からなら、ビスコットが身を挺して彼らを守った姿が良く見えたことだろう。
「へっ」
その声を聴いて、ビスコットはニヤリと笑う。ビスコットの年齢は、きっと俺たちの想像以上に若い。下手したら、あの子供たちと変わらないくらいに。
(師匠!)
『ちっ! さっきよりも多いぞ!』
再び大量の魔力弾が放たれる。シビュラが邪魔しようとしたんだが、速度で上回るラランフルーラの行動を妨害するには至らない。
茜雨騎士団長も同じだ。むしろ、片膝を突いて呻き声をあげており、先程よりも異常が進行してしまっているようだった。やはり、援護は期待できそうもない。
しかも、今回の攻撃は先程を遥かに上回る厄介さを秘めていた。
(避けられた!)
『もしかして、ラランフルーラがコントロールしてんのか?』
なんと、転移して放ったフランの斬撃を、魔力弾が意志を持つかのように避けやがったのだ。雷鳴魔術で撃ち落とそうとしても、これも一部には避けられてしまった。シビュラと戦いながら、こっちにも意識を割いているらしい。
単純な魔力の大きさだけではなく、制御力も化け物級ということなんだろう。
ならばと、回避不可能なほどに速い斬撃で迎撃を試みたが、結局10発ほどしか撃ち落とすことはできなかった。やはり、ラランフルーラが、コントロールしているようだ。
(師匠! 邪気を!)
『仕方ねぇ!』
ここで無理をしたらフランが本気で動けなくなりそうだが、村人の命にはかえられん! 邪神気を引き出して、竜巻の時のように一気に消し飛ばす!
だが、俺たちが行動に移す直前、ビスコットから凄まじい魔力が湧き上がるのが感じられた。
「うおおぉぉぉぉ!」
「ビスコット! おやめなさい! 何を!」
「いいんだっ! これで!」
その肉体が肥大化し、鋼鉄の鎧が内側からはじけ飛ぶ。現れたのは、灰色の鱗だ。蜥蜴? いや、竜か?
その肉体は竜人にも似ているが、より大きいだろう。そして、顔だけは人のままである。リミッターを外したらしい。
クリッカの悲鳴からして、他の超人兵と同じようにリミッターを外したら元に戻れないのだろう。
「サクリファイス!」
鎧は全て壊れてしまったが、手に持っている盾は健在だ。そのため、盾技は使えるらしい。
ラランフルーラのコントロール下にあるはずの魔力弾が、ビスコット目がけて一斉に軌道を変える。相手の意思に関係なく、仲間へと向かう攻撃を引き受けることが可能な技なのだろう。
先ほど以上の大爆発がビスコットを包み込む。しかし、ビスコットは倒れなかった。全身の鱗が砕け、肉が千切れるが、すぐに再生していく。リミッターを外したことで、高い防御力と再生力を手に入れたらしい。
だが、生命力は減っていく。リミッターを外した超人兵の宿命だ。
「ビスコット、なぜ……」
「へへ。どうせ、俺はもう長く生きられないんだ。だったら、最後にカッコつけたっていいだろ? アポロニアスのオッサンみたいなの、憧れてたんだ」
「……そう」
「おう! 太く短くって言うんだろ? 俺の人生そのものみたいな言葉だ! 酒の美味さも、煙草の不味さも覚えた! 仲間と一緒に騒ぐことの楽しさも、二日酔いのきつさも知った! 満足だ! いい13年間だったぜ! 後悔はない!」
「……かっこいいですわよ。前団長よりも」
「へへへ」
13年間……。フランと同じ年齢……。
(師匠?)
『……ふざけやがって』
ビスコットの言葉は、所々嘘だった。特に最後の、後悔はないという言葉。きっと彼の心の内には、恐怖や後悔、憎悪や憤怒の念が渦巻いているのだろう。
それらの感情を表に出さず、仲間に心配かけないように笑っているのだ。
それに、自分の胸の内を知られたくもないのだろう。カッコいい戦士として、死にたがっているのだ。この状況での泣き言の1つや2つくらい、誰だって許すだろう。だが、それらの感情をグッと呑み込み、笑い飛ばした。
誰にでもできることではない。
今日ほど、虚言の理を使ってしまって後悔したことはなかった。あの13歳の勇者の決意を、踏みにじってしまった。俺だけの心の内に仕舞っておけばいいという問題じゃない。そういう話じゃないのだ。
『俺は、最低だ』
(師匠?)
『……ビスコットの援護をする』
(ん!)
生命力が、もう半分以下である。あと30分ももたないだろう。そんな彼に、何をしてやれるのか?
今の俺が冷静じゃないのは分かる。だが、フランと同じ13歳の子供が、自分の命を懸けて人を守ったのだ。その想いは絶対に無駄にしない。
だが、俺の決意を嘲笑うかのように、ラランフルーラは直接の攻撃に出ていた。こいつ、転移までできたのである。
地面の下に魔力の道を通し、そこを移動するような転移であるようだ。そのため、瞬時に長距離転移というのは難しいようだが、仲間ごと転移できるのは厄介である。
ラランフルーラの横には、南征公爵ゾンビと、従機が1体ずつ従っていた。
「失敗作の死にぞこないが、邪魔をするなっ!」
「うるせぇ! 失敗作にだって意地があるんだよっ!」
ラランフルーラが振り下ろした戟を、ビスコットの盾が正面から受け止める。あのシビュラが吹き飛ばされた攻撃を、しっかりと受け止めていた。
「その醜い姿……そうか! 次元竜の因子を埋め込んだ実験体で、1匹だけ生き残った個体がいたという話! 貴様か! これで失敗作でなければ、よい戦力になっただろうに!」
「成功してたって! お前らの仲間になんかならねぇよ! 民間人を虐殺するようなクソ共の仲間にはなっ!」
「きしししし! 赤剣のに毒されているなぁ! ならば、ここで死ねぇ!」
ラランフルーラは今までとは全く違う、怪物のような凄まじい形相に顔を歪ませると、気色の悪い笑い声を上げた。
防御特化のビスコットでも、神気の込められた凶悪な一撃には耐えられなかったのだろう。肩を深く切り裂かれ、顔を歪ませた。
そう、ラランフルーラがここにきて、神気を使用し出したのである。使えなかったのではなく、手加減して使わなかったとでもいうのか?
『公爵どもをやるぞ!』
「ん!」
準備していた邪神気を刀身に纏わせ、フランが斬撃を放つ。最初に狙ったのは、従機だ。
小細工は必要ない。渾身の突きでコックピットの装甲をぶち破った後は、形態変形で西征公爵ゾンビを細切れにするだけだ。同時に浄化の術を多重起動して叩き込んでやれば、勝負ありだった。同時に、搭乗者がいなくなった従機が、俺に吸収される。やっぱこれも共食い可能か!
ただ、魔力が回復するだけで、能力の上昇などはなかった。下級の宝具だからか?
『よし! 魔力がかなり回復した!』
南征公爵ゾンビは、クリッカが戦っている。素早さで翻弄し、危なげがない。対してビスコットは、かなりのピンチであった。
「ぐ……くそ」
「きししし! まだ動くか! だが、もう死にそうだなぁ!」
ビスコットの腹には、戟の刃が深々と突き刺さっていたのだ。
「ぐ……」
「ほう、どうするつもりだ?」
「ここから先には、いかせねぇ……!」
ビスコットは血を吐きながら、腹に刺さった戟の柄を握り締めた。体を張って、ラランフルーラの武器を奪うつもりなのだ。
「む……? 馬鹿力だな! 最期の輝きか? 竜の因子の力か?」
「はは、俺は、赤騎士だからな……。人を守る時……強くなるんだ!」
戟が抜けずに一瞬顔をしかめるが、すぐにニタリと余裕の笑みを浮かべるラランフルーラ。ビスコットの命の輝きが、もうすぐ尽きようとしているのが分かるからだろう。
ビスコットがあんなに頑張っているっていうのに、助ける方法はないのか? 治癒魔術や生命魔術のレベルを上げる? いや、無駄だろう。ビスコットの死因は、寿命なのだ。魔術を使っても、寿命は伸ばせない。
なにか、方法はないのか? これだけ大量のスキルを持っていて、子供1人助けられないのか?
なんでもいい! ビスコットを救う方法はないのかよ!
ゾワリ。
『!』
久しぶりに、背筋が震えた。邪神の欠片が、動いたのだ。それも、いつもの子供みたいな無邪気な部分ではなく、もっと深い邪神としての領域が。
敵意はないし、恐怖も感じない。だが、その強大な力が蠢くだけで、畏怖を抱かずにはいられない。復活した邪神の欠片を前にしても、これ程の畏れは感じなかった。
「……神様? ああ、いいぜ。皆を守れるんなら……竜神だろうが、邪神だろうが、構わない」
「なんだ? 血を失い過ぎて、幻覚でも見ているのか?」
「全部……使ってくれよ……」
ビスコットが虚空を見つめながら、うわ言のように何かを呟く。ラランフルーラは小馬鹿にするように鼻を鳴らすが、幻覚などではない。
ビスコットは本当に、神を見ている。
そして、ビスコットの体から強烈な邪気が噴き上がった。濃密で、先の見通すことができない闇が、ビスコットの全身に絡みつく。
「な、何が……」
それはラランフルーラでさえ慄き、距離をとるほどの悍ましさである。触れただけで、自分が侵され、自分を失ってしまうかのような不安感。
俺ですらそう感じているのだから、この世界の人間であれば絶対に触れたくないだろう。この周囲にいる人間だけではない。赤騎士や、公爵ゾンビたちまでもが、動きを止めてこちらを注視していた。
「うぐ……」
「ビスコット!」
「クリッカ……だい、じょうぶだ……。は、はは、邪神っていうのは、あんがい優し……きっと……うがああああああああぁぁっ!」
邪気が爆発的に膨れ上がり、ラランフルーラが黒い槍のようなもので全身を貫かれながら吹き飛ばされるのが見える。
そして、黒い閃光が戦場を奔った。全ての者が、高密度の邪気に包まれる。この時、明らかに俺の中に何かが吸収された。邪神の欠片が、ビスコットから何かを吸い取った? 何をしたんだ?
直後、敵の気配だけが消え去り、俺たちの視界に入る景色が全く違うものに変化していた。草木が溢れる平原に、命が豊かな山々。そして、微かに感じる潮の香。
『転移したのか……? ここは、どこだ?』
少し先に見える都市にも、遠くの山の稜線にも、見覚えがある気がする。いや、気がするではなく、俺たちがよく知る場所だ。
フランも、ここがどこだか分かったらしい。
「あれ、バルボラ?」




