1183 民の内情
「ホッケン、だいじょぶ?」
「だ、だだ、だいじょうぶっすよ。へ、へいきへいき」
「落ちたら、助けるから」
「う、うっす」
一行は今、峻険な山岳地帯にある道を進んでいた。いや、道というには、大分細くて険しいけど。
道幅数十センチ。落石が頻繁にあり、ときおり足元が崩れる。そして、足を踏み外せば崖下に真っ逆さまという、危険度マックスの山道である。
位置としては、クランゼルとレイドスが争っていた、研究所や砦のあった山岳地帯だ。軍が通ることは無理だが、旅人数人がギリギリ通れるような山道が、いくつか存在していたのである。
中にはマシな道もあったようなのだが、マレフィセントの大規模攻撃で使えなくなってしまっていた。崩れるか、黒く染まってしまったかのどちらかだ。
結果として、現地人でも二の足を踏むようなヤバイルートしか残っていなかったらしい。
最初はウルシに乗って飛んでいこうと提案したんだが、目立ちすぎるからと却下されていた。
レイドス王国は自分たちがテイマーなどによる飛行戦力を持っていることから、防空意識が強いようだった。
空を飛んでいけば、確実に察知されてしまうという。
「うおおぉぉぉ! やべ!」
「ホッケン!」
「た、助かりやした……」
一行の中で一番危険なのが、重量級のホッケンである。クイントは身軽なうえに、崖を登ることも可能。ララーに至っては、背中の翅で飛行可能なのだ。
それでもクイントがメンバーに選んだのには、理由がある。ホッケンは特殊なフェロモンのようなものを出すことで、魔獣を近寄らせないことが可能なのだ。
無駄な戦闘を回避するだけではなく、こういった危険な道を進んでいる最中に襲われるリスクも減らせるというわけだった。
因みに、上下関係はすでに叩き込んである。というか、最初からホッケンもララーも超下手であった。
オンスロート戦を見ただけで、十分フランの強さが伝わったらしい。
そんな風に、スリル満点の山道を進むこと2日間。一行は、最も危険な地帯を抜けることができていた。
まだ山岳地帯ではあるんだが、崖や谷は少なく、なだらかな斜面が続いている感じだ。
「ふぃぃー。ようやく、野営するのが楽になったな」
「だねー。崖の横で寝るのキツイもん」
「それに、黒雷姫さんのおかげで、温かい飯も食えるしな」
「それが一番うれしいよ!」
ホッケンとララーが、野営地でテントの設営をしている。火はない。遠目からでも目立つため、出発してから1度も火を使っていないのだ。
幸い、全員が夜目が利くからな。
食事は、フランが温かいものを提供している。なんせ、彼らはボッソボソの砂みたいな無味の携帯食料を食べるつもりだったのだ。レイドス王国では、軍以外では需要が少ないため、民間に出回る携帯食料はこれしかないらしい。
魔獣を狩ることはできるだろうが、火が使えないからな。けど、フランとウルシが我慢できるわけがない。
いや、最初は2人とも我慢しようと思っていたんだけどね? 携帯食を齧った直後の、フランたちのチベットスナギツネのような表情が忘れられん。
フランは食いしん坊だが、他に食べるものがなければなんだって食べるし、空腹も我慢できる子だ。でも、次元収納に食べるものが入っている状態では、中々耐えられるものではないんだろう。
結局、匂いを風魔術で抑えながら、普通にカレーや丼ものを食べたのだった。
ホッケンたちが仮眠をとる間、フランとクイントは周囲の警戒だ。まあ、ウルシもいるし、気を張り詰めるような感じじゃない。雑談をする程度の余裕があった。
「ねぇ。レイドス王国のこととか、教えて」
「いいですよ。ただ、私もそこまで詳しく知っているわけではありませんが」
「それでいい」
少なくとも、俺たちよりは詳しいはずだ。
「まず、私は戦闘奴隷として、ある村の長に貸与されました」
「たいよ?」
「ええ。無料で貸し出されたんです。防衛戦力として。まあ、税金を支払っているので、それが代金とも言えますが」
民に対して、奴隷とは言え戦力を提供する余裕があるようだ。国内の町村では食料なども定期的に無料供給されるし、意外にも重税に喘ぐようなことは少ないらしい。
それ以外にも、赤騎士による狩猟物の配布などもあり、贅沢はできないが餓えることはないという。少なくとも、クイントがいた村では、餓死者が出るようなことはなかった。
それに、クイントの扱いもそれほど悪いものではなかったそうだ。彼女がいた村の人々は穏やかで、クイントに酷い命令を出す者はいなかった。
当然、魔獣が出れば戦わなければならないが、それは傭兵としては当たり前の仕事だ。村を捨てなくてはならない魔獣が出れば捨て石にされただろうが、幸いそのようなこともなく、半蟲人の戦士としてそれなりに尊敬もされていた。
「村長も普段から命令を下すような人ではなく、奴隷であることを忘れそうになるほどでしたよ」
勿論、クイントの運が良かっただけで、仲間の中には酷い扱いを受けて手足や、命を失ったものも多かったらしい。
彼女が言いたいのは、レイドス王国と言って一括りにできる訳ではないってことなんだろう。
「外のことを知ることもできず、閉ざされた世界で穏やかに暮らしているだけの人々もいます。それは忘れないでください」
「……レイドス王国を恨んでないの?」
「恨んでいますとも。でも、人と国は同義ではありません」
「……なるほど」
フランは少し驚いた風であったが、すぐに納得したように頷いた。今度は、クイントが驚いた顔をしている。
「まさか、こんな簡単に理解していただけるとは思いませんでした」
「私は、黒猫族。青猫族は敵。でも、青猫族の中にも、いいやつはいる」
「そういうことですか」
「ん。レイドス人にも、悪いやつと善いやつがいる」
「はい」
「これから行く村は、クイントのいた村?」
「いえ、違います」
てっきりクイントがいた村かと思ったら、違うらしい。彼女の村は、すでに滅んでしまったそうだ。巨大な魔獣が出現したが、赤騎士が間に合わなかったらしい。
死者は出なかったが、今は王都で保護されているそうだ。
「いい人たちではありましたが、洗脳教育を受けていたことも間違いありませんから」
クイントに対しても、クランゼルなんて酷い国から抜け出せて本当によかったねという接し方だったらしい。
「これから行く村は、ララーがいた村です」
「どんな村?」
「そうですね……。上層部が腐っていて、本当に酷い村だったそうですよ」




