1168 黒い地獄
フランとペルソナが落ち着いた頃。
「ふむ、全ての者を殺し終えたようですね。今度こそ、跡形もなく消し去ってやりましょうか」
マレフィセントが再び石の剣を構えた。殺意が隠しきれていない。
「黒雷姫殿。逃げてください。あなたを巻き込まない自信がない」
「……分かった。ペルソナ、いくね」
「オン」
「……」
ペルソナに手を振られながら、俺たちは転移で離脱した。それから数分。
研究所の内部から、莫大な魔力が噴き上がる。マレフィセントが、再び神剣を開放したのだ。この短期間で連続開放などして平気なのか?
いや、それでもやらねばならない理由があるってことなんだろう。
研究所内部から、黒い光が溢れ出し、次の瞬間には施設がボロボロと崩れ始めた。
広大な建造物が跡形もなく消え去るまで、1分もかからなかっただろう。
ヘルの恐ろしさは、この問答無用の滅びの力だ。破壊力が高いというのではなく、殺すことに特化している感じだった。
毒や悪魔召喚、次元操作なんてこれに比べれば余技でしかない。そうとすら思える。
研究所が消滅しても、マレフィセントは止まらない。
見えないエレベーターに乗っているかのようにスーッと上昇し、1000メートル近い上空で動きを止めた。
「レイドス人どもに、呪いあれ」
まさにその叫び声通り、ヘルから溢れ出したのは呪いの念がそこに具現化したのかと思うほど、悍ましい気配を放つ黒いナニかであった。
一見、黒い水のようにも思えるが、違う。粘度が高い液体に見えたが、それは濃密な魔力の塊であった。
フランの顔が、青い。
俺にはただ凶悪な魔力の塊としか思えないが、フランにはより大きな脅威が感じられているようだ。
「師匠! もっと離れる!」
「オンオン!」
『お、おう。わかった』
フランたちがここまでの怯えを見せるのは、久々かもしれない。あれが、それほど恐ろしいってことなんだろう。
『フラン、あれはなんだ?』
「わからない。でも、あれはダメ」
『そうか』
「……ん」
「クゥン」
フランたちも詳細は分からないようだ。だが、その全身の毛が逆立ち、歯がカタカタと音が鳴っている。
転移でさらに距離をとり、マレフィセントを見守る。
黒いナニかは段々と体積を増し――突如として爆発した。いや、まるで爆発したのかと思うほど、急激に膨れ上がったのだ。
それまではマレフィセントの制御下にあったのだろうと思われる黒い塊が、重力に引かれるかのように落ちていく。
マルス砦のさらに後方。山の頂上に聳え立つ砦を目がけて。
未だに震え続けるフランの眼は、大きく見開かれ、マレフィセントの起こす悲劇的な何かを見つめていた。
レイドス軍の一部が未だに残っている砦に、黒い津波が襲い掛かる。押し流されるかと思われたが、黒い津波には物理的な圧力がほぼないようだった。
だが、影響がないわけではない。
津波が通り過ぎた後、その場には漆黒に塗りつぶされた砦が残されていた。不吉で、恐ろしい、黒。
黒に侵食されたその場からは、俺たちの不安を具現化したかのように、生命の息吹が全く感じられなかった。
砦や、武具は黒く染まった状態でそこに残っている。
しかし、人も、馬も、鳥も、木々も、小さな蟲も、全てが消え去っていた。命だけが、等しく消滅している。
恐ろしいのは、大地も黒く染まっていることだろう。その場所からは、やはり生命力が感じられなくなっていた。
ただ敵を倒すだけではなく、大地を地獄に変えてしまう恐ろしい力だった。
しかも、まだ終わりではない。マレフィセントが放った攻撃は、まだ消えていないのだ。
角がさらに伸び、深紅の光を放っている。その光の強さに呼応するかのように、マレフィセントのテンションが上がっていた。
「ふははははははははははは! レイドス人ども! 貴様らが上げる断末魔の叫びが、我が祖国への鎮魂歌だ!」
ここからでも分かるほど、怒っている。まあ、ペルソナを攫われた瞬間ほどではないが。しかし、憤怒の悪魔の部分が、自分でも抑えられなくなっているんじゃないか?
黒い津波は広範囲を呑み込み、山々を死の黒に染め上げながらさらに広がっていく。このままでは、山裾の砦や村にもすぐに到達するだろう。
信じられないほど広い範囲で、生命が死滅していくのが分かった。これは、戦後も大きく影響が出るんじゃないか?
いや、待てよ? 確か、獄門剣・ヘルが使われた場所が、今でも不毛の地になっているって話だったよな? それって、この攻撃を使った痕なんじゃないか?
だとしたら、今後何百年も、この辺は生物が棲めない場所になるんじゃ……。
すでに、小さい山が3、4個のみ込まれ、黒い津波がさらに進んでいっている。
俺が衝撃の事実に恐れ慄いていると、黒い津波が山の麓の砦へと到達した。レイドス王国軍も撤退を開始していたが、半数以上は未だに砦の中だ。
凄まじい速度で山肌を滑る黒い津波が、砦を覆い尽くした。何千人分もの生命が、一瞬で失われたのが分かる。
その光景を呆然と見つめていると、不意にフランが呟いた。
「ペルソナ、泣いてる」
『なに?』
「ペルソナ!」




