1153 撤退援護
戦いは始まったばかり。しかし、クランゼル王国は不利な戦況に追い込まれていた。作戦が明らかに漏れているのである。
盗聴か裏切りかは分からんが、相手は準備万全だ。このまま作戦通りに攻めても無駄なことは間違いないだろう。
すると、背後から甲高いホイッスルのような音が鳴り響いた。天へと昇っていく音の源を目で追うと、それは1本の鏑矢である。
戦場での合図として使われる鏑矢であるが、その組み合わせや本数で、いくつもの命令を送ることが可能だ。
ただ、今回は狭い戦場であるため、前進と後退、退却の3種類しか決められていなかった。1本のみの場合は、退却の合図だ。
撃たせたのは、未だにエレント砦の屋上に立っているジャンである。このままでは危険であると判断したジャンが、傷が広がる前に退却の合図を送ったのだろう。
だが、中々上手くはいかない。
なんせ、最前線は血死の赤い霧のせいで混乱中である。さらに、前後を敵に挟まれているのだ。
鏑矢には気付いたようだが、スムーズに退却には移れないらしい。
「姐さん! どうしやすか!」
「みんなは、下がる!」
「了解でさぁ! おう! てめーら! 退却だぁ! 姐さんの手を煩わせんなぁ!」
「「「おう!」」」
冒険者たちはさすがに判断が早い。先鋒を助けずともいいのかなどと聞かず、即座に後退を始めていた。
彼らが下がれば、茜雨から庇う必要がなくなり、フランが1人で動ける。
やっぱり、この世界の戦争は難しいな。戦力が多くなければ制圧拠点の維持や、広範囲の支配が難しい。それなのに、戦場では強者に簡単に薙ぎ払われてしまう。
理想は、味方の強者が敵の強者と軍勢を倒し、その後一般兵士たちによって領地を占拠することだ。
しかし、考えることは相手も同じである。そして裏をかきあって、作戦が上手くいくことが少ないのだ。結局は、強者と兵士が入り混じった戦場になってしまうのだろう。
それに、クランゼルもレイドスも、大国のカテゴリに入るうえ、ランクA以上の英雄級を複数抱える稀有な国だ。他国では、強者による蹂躙がここまで頻繁に起こることは少ないはずだった。
『よし、俺たちより前に、冒険者はいなくなったぞ!』
「ん! やる!」
現在も、茜雨の矢が飛んできている。フランだけではなく、後退する冒険者たちを狙ってもいた。フランを釘づけにして、先鋒への援護に入れないようにしているんだろう。
矢を防ぐためなら、グレイト・ウォールを多重起動すれば、なんとかなるかもしれない。しかし、それをやってしまうと先鋒の退路まで塞ぐことになる。
それに、今は直線的な軌道で矢を放ってくるが、山なりで落とすことだってできるはずなのだ。
いや、待てよ? ずっと防げなくてもいいか? 要は、冒険者たちが後退し、フランが前に出るための時間が稼げればいい。
『フラン。いくぞ!』
「わかった!」
俺たちは改めてグレイト・ウォールを発動した。俺が3枚、フランが1枚である。
しかも、俺が大地魔術で形を変えたことで、巨壁の下には人が走って通り抜けられる隙間が空いているのだ。
これなら味方の退却の邪魔にはならず、矢も防げる。しかも、スケルトンたちの足元を盛大に持ち上げてやったことで、奴らの隊列も乱れた。挟み撃ちの効果も、大分薄れたことだろう。
さて、茜雨がどう出るか?
俺はこの壁を避けて矢を放ってくるかと思ったが、相手は思っていたよりも獰猛だった。なんと、今まで通りの直線的な攻撃で、壁を破壊しにかかったのだ。
あっという間に1枚目、2枚目、3枚目が砕かれてしまう。そこそこ分厚い壁だったが、茜雨は何かの武技か、宝具の特殊能力を使っているのだろう。
10秒近く溜めて放った矢が壁に刺さったかと思うと、爆発して大きな穴を穿つのだ。
そして、相手がわざわざ壁の破壊にこだわった理由が分かった。壁が崩れて瓦礫になることで、改めて先鋒の退路を断ったのだ。
そこまで計算しているんだろう。
『足止めにもならんか』
「赤い矢、強い」
想定以上に、茜雨の矢が強い。
だが――俺たちにとって、最も理想的な展開であった。
『いくぞ!』
「ん」
俺とフランは茜雨が作り出した瓦礫を全て収納すると、転移でマルス砦の真上に跳んだ。そこで瓦礫を一気に放出する。
『ふははは! これぞ攻撃にも転用可能という! グレイト・ウォール活用術だ!』
「師匠、頭いい!」
『はっはっは! そうだろそうだろ! それ、この辺の仕舞い込んでた岩とか毒も落としてやろう!』
マルス砦は結界で守られているとはいえ、これだけの質量で押し潰されればかなり危険だろう。最も大きな瓦礫は、直径15メートル近いのだ。
しかも、数百メートル上空から落下してくる。運動エネルギーも加わって、その破壊力は計り知れなかった。
赤騎士たちも、さすがに無視できなかったらしい。
茜雨の矢と、赤い槍のようなものが上空へと放たれる。血死の赤い霧を圧縮すれば、物理的な破壊力も出せるらしかった。
『これもおまけだ!』
「カンナカムイ!」
俺たちの魔術は結界に防がれてしまうが、これでいい。
消滅したスワイス砦もそうだったが、物理、魔術、両方の結界を併用すると、溜め込んだ魔力の減りがえげつないことになるらしい。
一番の目的は先鋒の退却の支援だが、嫌がらせと挑発も兼ねているのだ。
『このまま、こっちに攻撃を引き付けるぞ!』
「ん!」
『おらおら! ふせいでみろや!』
「みろやー」