1090 Side 西征公
「た、たいへんです!」
ノックもせずに執務室に飛び込んできたのは、配下の兵士の1人である。その顔色は蒼白で、何か大事が起きたのだと分かってしまった。
叱責するのは後にするか。
「何があった? 今度は魔術師たちでも全滅したか?」
先日、我が城にある研究用の塔内にて、配下の錬金術師たちが一斉に死亡するという大事件が起きていた。
調査を行った魔術師長によると、反転した呪詛によって呪い殺されたという。
呪詛は使いようによっては、広範囲に影響をもたらすことが可能な凶悪な力だ。しかし、これは諸刃の剣でもあった。呪い返しや、術式を消去されることで、呪詛は術者へと返ってくるのだ。
錬金術師たちが全滅した理由は、返された呪詛であった。
クランゼル王国に持ち込んだ、広範囲汚染用の魔石兵器が、破壊されたらしい。本来であれば呪詛が暴走して周囲を汚染するはずなのだが、一部が術者たちに返ってきたのである。
錬金術師たちが共同で込めた呪詛を簡単に返せるとは思えないのだが、実際に被害が出ている。余程強力な呪法術師が解呪を行ったか、魔術式ごと石を破壊したかのどちらかだろうということだった。
痛いのは、錬金術師長であったアンセルの死だ。奴は範囲汚染型の呪詛には関わっていなかったはずだが、何故か命を失っていた。
あの狂人にどれだけの投資を行ったと思っている? それが、あっさり死亡しただと? 悪魔殺しの魔剣を劣化複製できるのは、あの男だけであったというのに! お陰で、対フィリアース戦略を練り直さなければならなくなった。
本当に頭が痛い事態である。それもあって、魔術師が全滅したのかなどという冗談を口にしてしまったのだが……。
「ご、ご存じだったのですか?」
「なに? どういうことだ?」
「その、魔術師たちが、全滅しております!」
「ば、馬鹿なっ!」
魔術師の研究塔から悲鳴のような絶叫が幾度も聞こえ、踏み込んでみると内部の人間が全員死亡して倒れていたという。
慌てて塔まで駆けつけると、入り口にはすでに多くの警備兵や魔術師たちが集まっていた。一緒にいた魔術師長に声をかける。
「何があった?」
「リベーズ様! 現在調査中でありますが、我が配下の魔術師たちが全滅しております。毒物が原因の可能性もありますので、これ以上はお近づきになられませんよう」
「ど、毒だと?」
「はっ! どの魔術師にも外傷がなく、攻撃された形跡もありませんので」
「……分かった」
研究塔では、当然ながら毒の研究もおこなわれていた。本当にそれが原因ならば、この場所も危ういのではないか? いや、兵士たちが無事ということは、問題ないか?
「内部には機密資料もあるため、中々調査が進まないのですが……」
「警備兵の立ち入りを許可する。何があったか解明を急げ。暗殺も視野に――」
「公爵様っ! 大変です!」
「今度はなんだ!」
「こ、こちらへ……」
伝令兵が、私を人気のない場所へと連れていく。他の人間には聞かせられないような緊急事態が起こったというのか?
「何があった?」
「水竜艦3隻に加え、派遣した艦艇全てが撃沈したと……!」
「馬鹿を言うな! 水竜艦が3隻だぞ? しかも、魔人も乗っていたはずだろう!」
「そ、そうなのですが、交信が途絶えたのは事実です……」
何が起きている? 本当に艦隊が沈んだというのか? 我らが手も足も出なかった、水竜艦だぞ? クランゼルの海軍が、それほど強かったとでもいうのか?
悩んでいると、現場検証を行なっていた魔術師長が駆け寄ってくるのが見えた。何か分かったことがあるのだろう。
「公爵様。配下の死因が判明いたしました。どうやら、返された呪詛によって、取り殺されたようです」
「呪詛? またか!」
「アンセル殿に頼まれて、配下の者たちが呪詛込めに駆り出されたことがあります。シャルス王国に配備した魔石兵に仕込んだ呪詛だったはずです」
「その呪詛が返されたというのか?」
「はっ。それはつまり……」
「シャルス王国から攻め込むはずだった軍勢に、何かあったということか」
意味が解らん。クランゼル王国は、呪詛に対する対抗手段を全軍に配備していたとでもいうのか? これは、調査が必要だ。
「デリクに連絡を取れ。クランゼルの情報を早急に集めさせる」
「……それが」
私の言葉に、魔術師長が言葉を濁す。
「どうした?」
「デリク殿からの定時連絡が途絶えております。また、アンセル殿が命を落とした原因が、悪魔殺しの呪詛が返されたことだと思われ……」
「つまり、全錬金術師と魔術師の半数以上が呪詛によって死亡し、水竜艦を含む艦隊が全滅。シャルスに送った地上戦力も壊滅したうえ、デリクが連絡を入れられないような状況に陥っているということか?」
「……そ、その通りかと」
「馬鹿を言うな! どれだけの時間と金をかけて、状況を調えたと思っている!」
確実にクランゼル王国を下し、その後フィリアースを落とすために、十数年もかけて準備をしてきたんだぞ!
ようやく計画を始動させたと思ったら、数日間で全てが失敗した? クランゼル王国は、どれだけの戦力を国内の防衛に残していたというのだ!
私は国外の情報を多く得る立場にある。馬鹿どものように、冒険者を甘く見ることはしない。だが、それでもこれほど強いなどとは!
アシュトナー侯爵を使ったクランゼル王都の壊滅計画が中途半端に終わったあたりから、クランゼルへの警戒は最大限にしていたはずなのだがな……。
どこかから情報が洩れているのか? その可能性も視野に入れなくてはなるまい。
「密偵部隊を全て使ってもいい。クランゼルの状況を探れ。たとえ捕らえられていたとしても、デリクならば情報を喋るようなことはしないだろう。まだ、拠点や間者は使えるはずだ」
「わ、分かりました!」
これでは、フィリアース王国への侵攻がまた遅れるではないか! それどころか、損害を取り戻すためには、何年かかることか……。
「くそ! くそっ!」
常に冷静たれ。公爵位を継ぐ際に先代から言われた言葉だが、さすがに冷静ではいられない。それどころか、意味のない罵声が口を衝いて出る。
分かっているのだ。我が領が苦境などという言葉では言い表せないレベルの打撃を受け、沈みゆく船となったということは。
親指の爪を、砕けるほど強く噛む。幼き日に矯正された癖が、思わず出てしまう。それほど、動揺してしまっているのだろう。マヌケなものだ。自分のやっていることが妙に客観的に見えた。
「ぐぶぶぶ。お困りのようですね」
「!」
嫌な奴に、嫌なところを見られた。おかげで多少の冷静さを取り戻せたがな。
いつの間にか背後に立っていたのは、黒いローブを目深に着込んだ、顔の見えない小柄な男だ。この男はハイドマン。南征公の配下である、理性を持ったアンデッドの1体であった。
「……ハイドマンか。相変わらず、どこにでも現れる」
「それが私ですのでぇ。それに、この場所への立ち入りは許可されていますでしょう?」
「何の用だ?」
「何か手助けができればと思ったのですが、どうでしょう? デリク殿を捜して、繋ぎを取りましょうか?」
「……私を助けて、南征公――いや、黒骸兵団に何の得がある?」
「なになに、同じ国に仕える者同士、困った時は助け合わねばなりますまい?」
白々しい。何が助け合いだ。腐れアンデッドどもが! そもそも、タイミングが良過ぎるのではないか?
そうだ。まるで、我らがこやつらの力を必要とすると分かっていたかのようだった。もしや、こいつがクランゼル側に情報を……?
「おやおや? 私を睨んでも、事態は好転しませんよ?」
「分かっている!」
怪し過ぎるが、証拠はない。それに、黒骸兵団の幹部なだけあり、このハイドマンという喋るアンデッドが使えるのは間違いなかった。
「ふん。いまさらデリクが戻ってきたところで、もはや我が領地は……」
「ぐぶっふっふ。それにつきまして、1つご提案がございます」
「……なんだ?」
「西の宝具をお貸しいただきたく……」
こいつ! 最初からそのつもりで! やはり、南征公は……!
「馬鹿を言うな! 宝具は、公爵位を証明するために、初代様が下賜された家宝ぞ! 他家に預けられるわけがなかろう!」
「ですが、南の宝具と西の宝具は元々一対での運用を想定された物。揃えば、今の戦況に一石投じることも可能。今ならばまだ、完全な失敗を防ぐことも可能ではありませんか? 我が主も、きっと感謝することでしょう」
確かに、このままでは私のせいで侵攻作戦が瓦解しかねん。そうなれば、南も東も、私の責任を追及することだろう。
だが、宝具は公爵家の秘宝。いや、だが――。
「……分かった。その条件を飲もう。その代わり、デリクの居所を早急に探れ。その情報次第で、宝具を貸し出す」
「ぐぶぶ! 黒骸兵団第6席・ハイドマン、承りました」
Abema様にて、今ならどなたでもアニメ第1話が無料でご視聴いただけます。
ぜひよろしくお願いいします。




