1054 水竜
『精霊魔術って……』
《……》
聞き返すも、アナウンスさんから返事はない。さっきのは、自動アナウンス機能が仕事をしただけであった。
『えーっと、フラン。何がどうなった?』
「わかんない」
『そっかー……』
どうしようかね? マールに正体を明かして、どうなったか聞くか?
当のマールなのだが、その外見は完全に人間に戻っていた。不思議なのは、魔術を使っているわけでもないのに飛べていることだろう。
マールに何が起きたのか? 鑑定をしてみると、彼女に起きた異変が分かった。
彼女の種族が、魔人鬼から、幼精霊に変化していたのである。俺が彼女の魔力を安定させた結果、精霊になってしまったらしい。そんなこと、有り得るのか?
能力的には、かなり弱くなってしまった。魔力も非常に弱々しく、戦闘力はランクD冒険者並みだろう。ある意味、暴走するほどの無駄な魔力を捨てたと言えるのかもしれない。
「マール?」
「あり、がと……」
「マール!」
「水竜を……ウィシュカルを頼む……」
マールの姿が急速に透け、実体を失っていくのが分かった。その気配が一気に希薄になっていく。
そんなマールがフランに向かって手を伸ばした。フランは、何もせずに彼女の行動を見守っている。
マールの指先がフランの胸にそっと触れた瞬間――。
「!」
なんと、マールの肉体が吸い込まれるようにして、フランの中へと消えていったのだ。フランの中に同化した? フランの中の気配を調べても、マール由来の痕跡は一切見当たらない。しかし、マールの証は、確実に残っていた。
《個体名・フランの精霊魔術がレベルアップしました》
精霊魔術のレベルが、1から2へとアップしたのである。精霊の加護的なことなのだろうか? フランは自分の胸に拳を当てながら、目を瞑る。
「マール、ここにいる」
『分かるのか?』
「ん」
俺には全く感じ取れん。だが、精霊魔術の効果なのか、フランにはハッキリと自身の中にいるマールの力が感じられるようだった。
『問題はないんだな?』
「ん」
『精霊魔術は使えそうなのか?』
「それは無理。マールは、寝てる」
寝てる、ねぇ。より様々なスキルを駆使してフランの中を探ってみるが、やっぱり俺には分からなかった。まるで、マールの存在が、幻ででもあったかのようだ。だが、決して幻などではない。
フランの手の内には、マールが実体を失うと同時に落下した、鉄の首輪が握られていたのだ。
「……レイドス、王国」
フランが暗い声で呟く。救えたのか、救えなかったのか、俺には分からない。だが、フランの心には確実に、レイドス王国に対する怒りの念が刻み込まれたようだ。
殺し合い、僅かな時間言葉を交わした。それだけの関係なのに、2人は確かに通じ合っていた。もしかしたら、性格などに似通ったものがあったのかもな。
俺としてはこのままそっとしておいてやりたいが、そうも言っていられない。
『フラン。水竜を解放してやろう』
「そうだった」
フランはハッと顔を上げると、再び眼下にいる水竜へと視線を落とす。
そこには、海面から首を出し、静かに佇む紫紺の鱗の水竜がいた。マールが言っていた通り、暴れる様子はない。
フランはその水竜の眼前へと、慎重に下りていく。万が一攻撃されたら回避できるように、身構えていたんだが……。
「クルルル……」
水竜は一切攻撃してこなかった。
理知的にさえ思える瞳でフランを見つめると、
喉をか細く震わせている。その声は物悲し気で、まるで泣いているように聞こえた。
「泣いてる?」
『涙は流してないが……。マールの身に起きたことが分かるのかもしれないな』
「ん……」
フランと水竜は短い間見つめ合っていたが、不意にその首がこちらへと伸びてくる。
俺は身構えたが、フランは全く動じなかった。確かに敵意は感じないが、水竜だぞ?
自分など一飲みにできる巨大な肉食獣の口が近づいてくるのに、よく平然としていられるな。さすがフランだぜ。
水竜の興味は、フランではなくその手にある首輪に向けられていたようだ。その巨大な鼻の穴をブフンブフンと鳴らしながら、首輪の匂いを嗅いでいた。
フランが、鼻息の湿り気のせいで大変なことに!
浄化をかけてやりつつ、水竜の動きを観察する。すると、水竜が器用に口をほんの少しだけ開けると、首輪を咥えた。
「クルルゥゥ……」
「……ごめんね」
「クル」
謝るフランに対し、水竜が軽く首を振ったように見えた。竜種は元々知能が高いし、この水竜は千年以上生きている。下手したらフランよりも頭がいいなんてことが……。
と、とりあえず、今はマールとの約束を果たそう。
『フラン、鎖を』
「ん。自由にしてあげる」
「クル」
フランが俺を振り上げても、水竜は警戒する素振りを見せない。やはり言葉を理解しているようだ。
「はっ!」
フランの狙いは、水竜の胴体に装着されていた金属製の胴衣だ。水竜が自分で外すことは難しいうえ、これから船と繋ぐための鎖が伸びている。
フランが放った一撃は、水竜の体を傷つけず、それでいて装具だけを完璧に斬り裂いていた。水竜が驚いているのが分かる。
剣が使えずとも、その凄さは分かるんだろう。
水竜の顔が、再び近づいてくる。額に魔力が集中し、光っているが……。すると、水竜の額から柔らかい光が放たれ、フランを覆った。攻撃的な気配はないが、なんだ?
ドキドキしながら見守っていると、光がフランの胸元に吸い込まれていく。マールがフランと同化した時と、非常によく似ていた。
「……水竜、ありがと」
「クル!」
フランが何故か礼を言うと、水竜は身をくねらせて海中へと潜っていった。気配がグングンと離れていくのが分かる。
『フラン、何があった?』
「水竜がマールに力をくれた。さっきよりも、マールのことが感じられる」
えー? 俺には全然わからないんだけど。ともかく、悪いことでないのならよかった。
フランは遠ざかる水竜の気配を見送りながら、寂しそうにつぶやく。
「行っちゃった」
『だな』
だが、まだ完全な終わりではない。
『敵の船はまだ残ってる。ウルシが攪乱しているが、戦闘は終わってないぞ』
「……ん!」
『そのモヤモヤは、奴らにぶつけてやろう』
「わかった」
生き残りのレイドス王国の船は、フランのストレス発散相手になってもらおう。
「いく!」
一転してやる気を滾らせたフランが、レイドス王国の旗を掲げる船目がけて魔術を放った。
水竜艦の本体は残っているため、結界が発生するかと思ったんだが……。雷鳴魔術は遮られることなく、直撃した船体を爆発炎上させていた。
どういったシステムなのかは分からないが、結界は水竜ありきであったらしい。水竜が解放されたことで、結界が作動しなくなったようだった。途中から何故か沈黙していたダメージの移し替えも、やはり発生しない。
こうなっては、船など大きな的でしかなかった。一応反撃はあるが、混乱と損害のせいで、散発的なものでしかない。
「師匠! おっきくなって!」
『おう!』
「てやああぁぁぁ!」
巨大化した俺で戦艦を斬り裂き、雷鳴魔術で木っ端みじんに砕く。何とか海へと逃れる兵士たちもいたが、ウルシの魔術によって生み出された闇の狼たちに襲われ、海を赤く汚すだけだった。
さらにフランは、水竜艦へと直接乗り込んだ。ここに、レイドス王国の指揮官がいると考えたからだ。
案の定、他とは違う豪奢な提督服に身を包んだ、偉そうな男がいた。甲板に降り立ったフランを、オークのような巨体を震わせて睨んでいる。その周囲には、魔術師や騎士もいた。
「き、貴様は何者だ!」
「冒険者」
「くっ! 冒険者如き下賤な者共が、あれ程強いわけがなかろう! そもそも、頭が高いのだ! 冒険者など、我らの前では跪くのが当然であろうが! 這いつくばれ!」
おお、久しぶりの冒険者ディスり。レイドス王国の人間っぽいね。ただ、状況は全く見えていないけど。
「錬金術師はどうした! どんな相手でも負けぬと豪語しておったくせに、小娘はどこへ行ったのだ!」
マールが消えるところは見ていなかったのだろう。その後に外に出てきて、フランが暴れる姿を目の当たりにしたって感じかな?
喚いている提督とは違い、騎士はもう少しまともな判断力があるらしい。
「く……何という強さ……」
「そ、それほどなのですか?」
「私では、100人いようが勝てん」
「そ、そこまで……」
「先ほどからの異変、この少女が原因で間違いない……」
騎士と魔術師がそんな話をコソコソとしている。騎士の方は、フランの強さを見抜ける程度には強いらしい。
「……宰相からもたらされた情報を、もっとしっかりと精査しておくべきでしたか……」
「橋頭堡を確保するどころか、このままでは確実に全滅だぞ……」
交渉は、状況が分かっていない豚提督よりも、騎士と魔術師を相手にするほうがいいかもな。
間違って3話同時に更新してしまいました。
申し訳ありません。
次回更新は、27日の予定です。




