1015 セリアドットの理由
フランを救ったのは、セリアドットの結界だった。
「黒雷姫。離脱せよ!」
「セリアドットはどうする?」
「儂は、あれをここに押し止める」
そう言って、ローレライの少女は抗魔を見上げる。その顔には、抗魔に対する敵意と、強い覚悟が浮かんでいた。
「メルトリッテの仲間なんじゃないの?」
「違うわい。同族の誼で結界を融通はしたが、このような大それたことを仕出かすとは思っていなかったんじゃ……」
メルトリッテに渡していた結界には通話の機能があり、それを利用することでメルトリッテと俺たちの会話を聞いていたそうだ。
そのため、メルトリッテがやろうとしていたことは、ある程度分かっているらしい。肩を落として、後悔の表情を浮かべている。
「今は話している暇はない! くるぞ!」
「ウウウァァァ!」
「反動結界――ちっ!」
セリアドットとメルトリッテは仲間なのだと思っていたが、どうやら違っていたようだ。巨大抗魔の振り下ろした拳を防ごうとして、失敗している。
「こっち!」
『おらぁ!』
フランがセリアドットを抱えて飛び退き、俺の念動と魔術で拳をほんのわずかに減速させる。これでもギリギリか?
俺がさらに念動を発動しようと、無理やり魔力を練り上げた直後であった。
上から巨大な黒いモノが降ってきて、抗魔の拳に覆い被さる。その重みと衝撃で、拳が地面目がけて軌道を変えていた。
『ウルシ! よくやった!』
「オン!」
それは、最大化したウルシであった。小山のように大きな巨体を生かして、巨大抗魔の腕に噛みついて動きを封じている。だが、長くはもたないだろう。
30メートルを超えるほどの大きな巨体なのに、それでも抗魔には及ばないのだ。なんせ、相手は高層ビル並である。その前では、今のウルシでも小型犬程度の大きさでしかない。
すでに、ウルシの体が持ち上げられようとしていた。
ただ、ウルシが時間を稼いでくれたおかげで、フランたちの脱出は完了だ。それを見届けたウルシも、体を小型化させ抗魔の前から離脱している。
巨大な狼の姿がいきなり消えたため、抗魔は戸惑っているらしい。キョロキョロと周囲を見ている。
どうやらデカすぎて、自分の体の近くが見えていないようだった。大きく距離を取ったフランたちと、離脱したウルシがようやく合流する。
「ウルシ、助かった」
「オン!」
『ベルメリアたちはどうした?』
「オン」
ウルシが鼻先で示した方を確認すると、大勢の魔力が感じられる。第二部隊に預けてきたってことらしい。
第二部隊は、城からかなり距離を取っていた。ウルシの指示? いや、ウルシの様子を見て、異変を感じ取ったのか。ナイス判断だろう。
『俺たちもここから離れよう』
「ん。ウルシ、セリアドット。いこう」
俺たちだけじゃ勝てない。それが分かっているフランも素直にうなずくが、それに待ったをかけたのはセリアドットであった。
「お主らは逃げよ。儂が奴を引き付ける」
「逃げないの?」
「逃げられん……。メルトリッテがやらかしたことは、大罪じゃ。神罰を下されるかもしれん」
言われてみると、そうか? 深淵喰らいを操り、抗魔を大量出現させ、罪のない多くの人間の命を奪った。
俺としては罪のない人々をたくさん殺したって部分が許せないが、神は気にしないだろう。神には人の神もいるが、獣蟲の神や、植物の神などもいる。
そういった人以外から見れば、森を切り拓き、獣を狩り、虫を駆除する人類全体が他の生き物を虐殺していると言ってもいい。そもそも、アースラースとかイザリオは、人間同士の戦争で人の命を多く奪っているからね。
だが、彼らがそれを神に咎められたという話は聞かない。多分、彼らの領域に触れぬ限り、生物同士の殺し合いや生存競争に、神は関知しないのだ。
ここで神様が問題にするのは、深淵喰らいを操ったって部分だろう。深淵喰らいの中には邪神の欠片が混ぜ込まれているわけだし、神を一方的に利用したという扱いになるかもしれん。
それに、この大陸は神が張った結界の中である。そこでの不用意な行動も、危険かもしれない。
「せめて、他のローレライには咎が及ばぬようにせねばならん」
ローレライが犯した過ちを、同じローレライが食い止める。それによって、種族全体への神罰を回避しようということらしい。プラマイゼロになるかどうかは分からないが、やらないよりは遥かにマシだろう。
「じゃから、儂のことは気にするな」
「……私も残る」
「黒雷姫? 何を言う!」
セリアドットが驚きの表情を浮かべる。
それは俺も同じだ。
『フラン! 馬鹿言うな!』
(……だって!)
元々、不遇な境遇やその立場など、ローレライ族と黒猫族はよく似ている。
さらに、セリアドットの覚悟の表情を見てしまったことで、放っておけなくなったのだ。セリアドットは、明らかに死ぬつもりだった。種族のために命を懸けて戦おうとする彼女を、自分と重ねてしまったらしい。
「狼と剣よ。お主らも黒雷姫を止めよ!」
「オ、オン?」
『え? 剣て……』
「その剣に意思があることは分かっておる。地下の会話を聞いておったからのう。墓場まで持っていくつもりじゃったが、ここは仕方あるまい」
メルトリッテの会話を盗聴していたと言っていたが、想像以上に俺たちのことが知られてしまったようだ。
「黒雷姫。お主は逃げよ。そして、他の者たちとともに奴を倒せ。どちらにせよ、ここで誰かが囮にならねば、逃げることも難しいのだ。ならば、我がその役目に最適であろうよ」
『……フラン。まずは、他の奴らと合流しよう』
「……だったら、セリアドットも一緒に――」
「急げ! 気づかれたぞ!」
『くそっ!』
セリアドットの言葉通り、巨大抗魔がこちらに向かって一歩を踏み出すところが見える。だが、それと同時に、新たな気配に気づく。
「たくさん、くる」
『冒険者たちか?』
「向こうからも!」
「オン!」
こちらに向かってくるのは、大勢の人間の気配だ。第一部隊と、第三部隊で間違いないだろう。どうやら、巨大抗魔を目指しているらしい。
まあ、異変とともに現れた巨大な抗魔を見れば、元凶である可能性は誰でも思いつくしな。元々巨人型と戦うために集められていた戦力が、こいつを無視するはずもなかった。
各部隊に配属された、強者たちの気配もしっかりと感じられる。
「みんながくるまで、耐えればいい!」
『俺としては、逃げて欲しかったんだけどなぁ』
フランの頭からは、逃走の二文字は完全に消え去ってしまったようだった。




