1014 メルトリッテの叫び
メルトリッテが巨大抗魔の首筋へと手を伸ばした。そこには、十字の魔剣が刺さっている。
「あはははは! あなたを縛る軛を、全部取り払ってあげる!」
抗魔を操るつもりなのかと思ったら、どうやら違うらしい。
十字の魔剣を介して、抗魔とメルトリッテの間に、魔力的な繋がりができたのが分かる。互いの魔力が一気に混じり合い、同調しているようだ。
「!」
『おいおい……!』
俺もフランも、驚いて硬直してしまった。それほど、驚いたのだ。
なんと、メルトリッテの体が巨大抗魔の中へと沈み込んでいく。ただ抗魔の中に入っていくだけではないだろう。明らかに、同化していく。
自らの肉体が抗魔の血肉に混ざり合っていっているというのに、メルトリッテはまだ嗤っていた。
「私が! 私たちが幸せになれないならっ! そんな世界に存在する価値なんてないのよ!」
血を吐くようなメルトリッテの叫びからは、この世の全てを呪うような絶望と憤怒が感じられた。竜人を滅ぼすと言っていたが、今やその怨念はそれ以外にも及んでいるようだ。
「あなたを閉じ込める制約を、私が取り払う! そのためなら、私の全てを捧げるわ! 体も、魂も、心も! 全部! だから――だから、全てを壊してっ!」
そんな呪いの言葉を残して、メルトリッテと十字の魔剣は、巨大抗魔の肉体へと完全に消えていった。
直後、元々凄まじい力を放っていた抗魔が、さらに凶悪な気配を纏い始める。
どうやら、どこかから魔力が供給されているらしい。魔力の供給元はどこだ? まるで、何もない場所から魔力が湧き出し、巨大抗魔に注ぎ込まれているように見える。
『そうか! 深淵喰らいか!』
この大陸の結界内に満ちた深淵喰らいが、あの巨大抗魔に魔力を送り込んでいるらしい。それってもう、無限に近い魔力を持っているってことなんじゃ……。
出現した時、確かに強いとは思ったが、最強というほどには感じなかった。だが、魔力を溜め込み、ドンドン強くなっていく様を見て考え違いであったと悟る。
すでに、周辺に暴風を巻き起こすほどに濃密な魔力を纏い、放つ威圧が途轍もないことになっているのだ。さらに魔力を供給されたら、本当に手が付けられなくなってしまうだろう。
どうする?
攻撃して、魔力の供給を阻害する? だが、それでどうにかなるか? 下手に刺激して戦闘になった場合、俺たちだけでどうにかできる相手ではない。まずは逃げることが先決だろう。
(師匠、イザリオは?)
『正直、分からん』
抗魔の気配が大きすぎるのだ。神剣開放状態ならともかく、そうでなければイザリオ一人を探すのはかなり難しかった。
あのイザリオが、簡単に死んだりするとは思えない。だが、メルトリッテがこうやって好き放題しているということは……。
「ウウアアアアアアァァァァァ!」
「動き出した」
『距離を取るぞ!』
「ん」
フランが跳び退いた直後、今までいた場所に抗魔の巨大な右拳が突き刺さっていた。拳だけでも小さな家屋ほどもある。
それが、巨大抗魔のパワーで叩きつけられたのだ。
一撃で大地が陥没し、大爆発が起きたかのような衝撃が周囲を荒れ狂う。何メートルも離れたはずのフランが、強い風に煽られて飛ばされてしまったほどである。
空中で体勢を立て直したフランは、結界の外を目指してさらに空を駆けた。そこに、残った左腕が伸びてくる。その動きは、驚くほどに速い。これはやばいぞ!
『フラン! 後ろだ!』
「っ!」
空中を蹴ったフランが、間一髪巨大な掌を回避する。障壁に指先が微かに掠っただけで、フランが凄まじい勢いで弾き飛ばされていた。
『フラン! 俺が回復するから、止まるな!』
「わか、た!」
衝撃のせいで内部にダメージを受けたのか、軽く血を吐いている。
それでもフランは足を止めることなく、吹き飛ぶ勢いを利用して巨大抗魔から逃れることに成功していた。城を囲む結界の外を目指すフランだったが、ふいに首を傾げる。
『フラン、どうした?』
「……力、吸われてるかも?」
『なに?』
俺は何も感じないぞ? だが、フランを観察すると、それは間違いではなかった。本当に少しなので気づかなかったが、フランの魔力や生命力が外へと吸い出されている。
自己回復力の高いフランからすれば、本当に誤差くらいでしかないだろう。だが、普通の人間だったら、かなり危険かもしれない。
吸収元は巨大抗魔だ。ただでさえ深淵喰らいから力を供給されているのに、自分自身でも他者から力を奪う能力があるのかよ。
「おっきくなってる」
『なに? いや、確かに……!』
得た魔力を持て余すどころか、さらに成長しているようだ。これは、放置するのは本当に危険なんじゃないか?
もう、俺たちだけで勝てる相手ではない。それを悟ったフランは、背後を振り返ることもせずに駆けた。
丘を下り、城の結界を抜ける。だが、その背をさらに巨大になった抗魔が追ってきていた。歩幅が凄まじいため、あっという間に距離が詰まってくる。
というか、この城の抗魔は、結界の外に出れないって話なんじゃ……? いや、そもそも地下室から出れないって話だったか? やはり、こいつはただ大きいだけじゃないようだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアア!」
『やべぇ!』
「くっ!」
抗魔の胸板が一瞬大きく膨らんだかと思うと、とてつもない大音声が放たれた。物理的な衝撃波に加え、圧縮された魔力が荒れ狂い、俺たちを揉みくちゃに吹き飛ばす。
障壁のお陰でダメージはほとんどないし、フランも即座に体勢を立て直している。だが、そのわずかなスキで、巨大抗魔が急接近していた。
気づくと、目の前に抗魔の巨大な腕が迫ってきている。これは回避は難しいだろう。
少しでもダメージを軽減しようと、再度障壁を張り直す。破壊された直後なため完璧には届かないが、ないよりはましだ。
『くそ!』
「反動結界!」
だが、直撃の直前、フランと巨腕の間に青白い壁が急に出現していた。
しかも、巨大抗魔の腕を僅かに押し止めたではないか。ほんの一瞬だったが、フランが逃げるには十分だった。
「今の……」
「間に合ったようじゃな」
「セリアドット!」
振り返ると、少し離れた場所に金髪の少女が立っていた。




