1005 ゲオルグ
俺を構えたフランを見て、メルトリッテが微笑む。だが、それは馬鹿にしたようなものではなく、どこか哀愁を帯びた笑みであった。
戦意は感じるものの、襲い掛かってくる気配はない。
「黒猫族のお嬢さん。逃げるのであれば追わないわよ?」
「む? 逃げない」
「この後、この大陸は地獄になるわ。いえ、私が地獄に変える。今ならまだ、仲間を連れて大陸から脱出できるかもしれないわよ?」
「……にげない」
フランは相手の目を睨みながら、言い切る。その言葉に籠った覚悟を、理解したんだろう。メルトリッテは軽くため息を吐いた。
「そう。ひとつ聞いてもいいかしら?」
「なに?」
「なぜ竜人に与するのかしら? 黒猫族にとって、闇奴隷商人は仇敵のはずでしょう? その元締めであるゲオルグは竜人の王。つまり、竜人があなたの敵ではないの?」
「! やっぱり、ゲオルグが闇奴隷商人の親玉だった?」
「そのとおりよ。世界中に販路を持った、最大の闇奴隷商人組織。そのトップが、竜人王ゲオルグ」
大昔からあった組織をゲオルグが武力で乗っ取り、部下たちに運営させていたという。
竜人は奴隷などを忌避する傾向にあるが、ゲオルグはそういった気持ちを表には出さなかったそうだ。自分は特別であるという強烈な自負があるため、普通の竜人たちの常識をあえて無視するようなところがあったらしい。
あえて言うなら「他の竜人と違って奴隷を使っちゃう俺スゲー」ってことなのだろう。
「自分が神に認められた新しい竜人王だっていう妄想を、本当だって思い込んでいたし。ただの紛い物の偽者のくせに! 本当に滑稽だったわ!」
「紛い物?」
金鱗の竜人は王家の証なんじゃないのか? 紛い物って言うのはどういうことだ?
「忌々しいトリスメギストスを見れば分かるわ。王竜人の魔力は基本属性をすべて持つ全属性。ただし、そこに邪気は含まれない。でも、ゲオルグは違ったわ。炎と邪気の二属性。それだけだったの」
「でも、ゲオルグ、金の鱗だった」
「それが紛い物なの。邪気は、理を歪める力。生来持っていた邪気を無意識に使って、自分の鱗を金色に見せていただけよ」
これは、北の居留地の竜人の長老たちの間では、公然の秘密であったらしい。珍しい二属性の子供が、ある日突然金の鱗を手に入れた。
王竜人でないことは分かっているが、この子供を利用することで北の居留地の発言力を増すことが可能になるかもしれない。そう考えた長老たちは、ゲオルグを持ち上げて竜人王として扱ったという。
そうして、いつしかゲオルグは自分を新しい竜人王だと思い込むようになり、暴走し始めたのであった。
他の竜人に独立思想を吹き込み、闇奴隷商人を配下に置くだけではない。なんと、邪神を信奉し、その力を得るために生贄を捧げていたのだ。
ゲオルグが持っていた竜支配スキルなどは、邪神から与えられたものだった。そして、さらに力を得ようと考えたゲオルグは、各町に邪水晶を密かに設置し、大量の生贄を捧げようと動いていたのである。
「神罰を与えられても、何も反省していない。竜人なんて、存在する価値がないわ。やはり、種族ごと消し去る方が世のためよ」
「竜人には善い人も悪い奴もいる」
「ふうん? それは、あなたたちの天敵である青猫族が相手でも言えるの?」
「ん。善い青猫族もいる。青猫族だから悪いわけじゃない」
フランがそう言い切れるのは、ゼフメートのお陰だろう。
出会った頃は青猫族全体を敵視していたフランも、色々な出会いを経験した。獣人国などで、普通の青猫族もたくさん見かけたこともある。
そのおかげで、フランの価値観は大きく変化していた。それが成長と言えるかどうかは分からないが、俺には大きな進歩に思える。
「青猫族の友達だっている」
「……ふん」
そんなフランを見て、メルトリッテは気に入らない様子で鼻を鳴らした。
「竜人なんて、存在価値がないクズ種族よ。他者を傷つけるしか能がない、野蛮で下等なトカゲモドキ。自分たちの問題を他人に押し付けて、のうのうと生きるカスども。奴らの怠慢のせいで、私の家族は死んだ!」
メルトリッテがそう叫び、フランを昏い目で見る。興奮から冷静に、異常なほどのテンションの上下であった。その様子は、非常に危うく見える。
「邪竜人という存在を知っている?」
「ん」
「多くの邪竜人は仲間の竜人どもによって殺されるけど、中にはそうならない者もいる。隙を見て逃げ出したり、密かに逃がされたり、それなりの数の邪竜人がこの大陸から脱出しているのよ?」
暴走する運命にある邪竜人は、仲間の手で命を奪われる掟だ。とはいえ、様々な理由で上手く逃げおおせる者も中にはいるらしい。
だが、大陸外で、邪竜人がまともに生きていけるはずもない。元々竜人は各国で忌避されるうえ、邪気を放っているのだ。
結局、闇の組織や盗賊団に所属し、犯罪者となる者が多かった。
メルトリッテの家族はそんな竜人の盗賊団に襲われ、命を落としたそうだ。先祖も自分も、竜人によって不幸のどん底に突き落とされた。
彼女にとって竜人というのは、絶対の悪であるのだろう。
「竜人なんて、この世に必要ないのよ」
「そんなことない。竜人全部が悪いわけじゃない」
「小娘……」
最初の態度を見るに、黒猫族であるフランにシンパシーのようなものを勝手に感じていたのだろう。
しかし、フランとメルトリッテは違っていた。それを悟り、逆に憎悪が掻き立てられたらしい。フランを見つめる目に、敵意が宿り始めるのが分かる。
だが、それはフランも同じだ。
「ゲオルグが悪い奴だったのは分かった。でも、メルトリッテはいつからゲオルグを操ってた?」
確かに、ゲオルグは善人とは言い難い存在だったのだろう。闇奴隷商人たちの元締めであり、フランが憎悪するに値する存在だ。
しかし、全てがゲオルグの仕業だったのか? 自分が操られている状態で、さらに抗魔を操ることなんてできるか? 俺は、難しいと思う。
であるのならば、直近の出来事の絵図を描いたのは誰だ?
フランの視線に含まれる言外の疑問を察したのか、メルトリッテが嗤う。
「あははははは! 本当に無様よね! 竜人の独立のために準備してきた物を、全部私に奪い取られて、死んじゃうんだから!」
メルトリッテが、笑いながら語る。確かに、邪水晶などを準備したのはゲオルグだった。彼は竜人と傭兵で町を襲撃し、生贄として住民を皆殺しにするつもりだったらしい。
しかし、その策を実行する前に、メルトリッテが彼を支配していた。
「お察しの通り、最後の仕上げは私が行ったわ」
「……あの巨人型?」
「ええ。その通りよ」
やはりあの巨人型は、メルトリッテによって操られていたらしい。
「竜人を滅ぼすためには、多少の犠牲はしかたないじゃない!」
そう叫ぶメルトリッテの目には、はっきりとした狂気の色が宿っていた。




