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最後の依頼人

作者: 瀬川潮

 繁華街から少し離れた薄汚いマンションの2階にある正津探偵事務所には看板がない。許可制になったものの探偵業も大資本を背景とした大手企業の参入により淘汰の時代を迎え、ここ正津匡平が細々と営んできたしがない探偵事務所にもその荒波が押し寄せたのだった。

 すっかり事務所の荷物を片付けた室内に立ち尽くし、匡平はむなしさを噛み締めていた。

 正津匡平。三十六歳。

 実家のろくろ業を継ぐことをいやがり東京の大学に入学し上京。以来、働いて働いて働きまくって貯めた五百万円を元手に開業した。個人経営で、独立前に社員として働いていた大手調査会社の下請けでしかないが、それでも彼にとっては自らの手で「独立」した、いわば自分の存在価値そのものだった。

 それなのに看板を下ろしたのは、事業が苦しかったのはもちろん理由のひとつだが、決定的だったのは父の死だった。親には反抗ばかりしていたが、やはりいなくなると孝行しておけばよかったと後悔する。せめて母親は支えねばと、帰郷する決心をした。

 片付け物が苦手だったため雑然としていた事務所だったが、今はがらんとしていた。午後の日差しが白い床に跳ねる。まぶしいと感じたのは、我が城の末路を正視できない心情によるものか。何年ぶりかでまっさらになったおかげで、愛用していたにもかかわらず無くしてしまっていた0.9ミリのシャーペンが片付けの最中に出てきた。手になじんだ愛用の仕事道具は職人にとって宝物なので、無用となったのにもかかわらずどうしても捨てることができずに取っておくことにした。このあたり、貧乏症である。

 いや、と匡平は首を振る。

 父親は一代で家業を築いた。彼自身も、一代で会社を築いた。親への反抗とはいえ、血というほかはなく。

 父親はろくろ職人だった。木ぐりの出来の良い作品に愛を注ぐことはあっても、あくまで旋盤に当てる自作の鉋の方を宝だと言って愛を注ぎ、大切にしていた。盆を作るにしても、碁笥をくるにせよ、それ用にカーブを施した手製の鉋でないと仕事にならない、と。職人である。

「商売道具は大切にしろ」

 父の口癖だった。小さい頃から耳に繰り返されているので、匡平もそれを当然と思っていた。いや、正確には今初めてその言葉の意味を知ったと言うべきだろう。

 筆圧をかけて走り書きしても滅多に芯が折れることのないシャーペンを思いだしたように手にした時、事務所のドアをノックするものがいた。

 ノックしたのは、若い女性だった。匡平の見立てでは、確実に未成人。いや、外見は少女といっていい。それでも世慣れた風なので大人びた印象がある。

「いつも肌身離さず持っていた五百万円がひったくられたんです。お願いです、探偵さん。犯人を見つけて取り返してください」

 少女の舌足らずな言葉に、匡平はしばらく無言だった。

「ホントなんです。信じてください」

「信じるも信じないも、この探偵事務所はもう閉めたんですよ」

 一番無難な対応をした。少女の言葉を信じようが信じまいが、事務所をたたんだ事実は曲がらない。

「それじゃあ、私を最後の依頼人にしてください。お願いします」

 必死に頼み込んでくる少女。匡平は「ほかにも探偵事務所はあるでしょう。こんなちっぽけなところじゃなく大きなところがあるし、それより警察に行った方がいいと思うよ」と、あくまで面倒ごとを避ける姿勢だ。

「でも。だって、警察には行けないし、知り合いがみんな、ここの探偵事務所はいい腕だって言ってたし……」

 匡平、ここで事態のほとんどを理解した。

 自分の腕が評価されているのは、水商売に絡む浮気調査に関することだけだ。ゆえにこの少女は水商売に近いところにいることが分かる。さらに警察に行けないということは、風営法とか県条例とかに違反して未青年にもかかわらず売春行為をしている可能性が高い。五百万円を常に持っているという言葉を信用するなら、何らかの組織の運び屋をしているわけではないだろう。もしもこんないたいけな少女に大金を持たせる愚を犯せば、結果は見えるというより実際に目の前に立っていると言える。つまりは五百万円は少女のポケットマネー。大金を持っているということは、彼女自身が高収入を得ているということで、総合するに彼女自身が体を売っているという事だろう。常に肌身離さず持っている、ということは拝金主義というより、大金を所持しているという事実でしか自己補完できない、精神的な弱さをあわせもつということが予想された。

「お願い。お願いしますから」

 胸の薄い、ショートカットのロリータ。とてもこれで稼げるとは思えない。いや、世の中物好きが多いということか。

「諦めな。この界隈でひったくられたら、もう二度と出てこないよ」

 少し口調を変えて言ってやった。より、このまちの住民らしい口調だ。

 少女はこの言葉の意味を理解したらしく押し黙った。盗られたほうが悪い。そういうまちだ。

「……あの五百万円が一番気に入ってたのに」

 残念そうに引き上げる最後に、少女はそうつぶやいていた。


 少女が帰り、匡平も事務所を後にした。

 数日後には田舎に帰る。帰ってしまえばこの界隈の魅力はもう二度と味わえない。そう思うと、今まではいわば知り合いの中で女遊びをすることを避けていた匡平も考えが変わる。こそこそと遠いまちまで行っては女を買っていたが、ここぞとばかりにぱあっと遊ぶことにした。

 真っ先に行ったのは、SM専門店だった。先ほど少女の願いを聞いてやることもせず追い返した形になり、自分に少し嫌気が差していたからだ。思いきり誰かに蔑まされたかった。ムチでもロウソクでも浴びて、とにかく罪に対する罰を受けたかったのだ。

「あらら、探偵さん珍しい」

 店は匡平を温かく迎えてくれた。運悪くというか運良くというか、受け付けは探偵家業で依頼を受けたことがある人物だった。あの時の恩を思いっきりサービスで返すからと、トップS女王様を手配してもらえたのは役得と言うべきだろうか。

 とにかく部屋に通される。

 暗い中、Y字型の背もたれがある椅子に両手を上げて拘束され、目隠しまでされて一人っきりでじらされるように待つことしばし。

 やがて扉が開いて誰かが近寄ってくる気配がした。カツ、というヒールの音が冷たく、それでいて気高く感じられた。

「今夜の拝金主義のマゾブタはあんたかい」

 そんな舌足らずな声が聞こえた。匡平はどう反応していいか分からず迷って黙していると、いきなり頬を何かでぶたれた。

 パァン、と一発。

 何で叩かれたのか、まったく痛くはない。

「ほら。まずあいさつなさいよ」

 二発、三発。往復ビンタの形だ。

「よ、よろしくお願いします」

 パァン、パァン。

「何よアンタ。心のないお願いして」

 六発目。

 間髪入れず、目隠しを取られ髪をわし掴みされて顔を持ち上げられた。

 すると!

「一体、何様のつもり?」

 そこには、先ほど事務所で見た少女がいた。

 別人のようにすっかり印象が違う。みっちりしたミニのレザードレスに身を包んで艶やかにご機嫌を傾ける姿は、麗しいというほか表現のしようがない。

「ほらほらほらほら、お願いはどうしたの」

 パン、パン、パン、パァン。

 手には分厚い一万円札の束。おそらく五百枚。すごい勢いで往復ビンタを見舞ってくる。

「こちとらいつも使っていた愛用の商売道具をなくして気が立ってんだよ。さっさと無様にお願いしな、この拝金主義の負け犬のマゾブタがぁ!」

 明らかに腹いせが入ってるだろ、と思う匡平だが、むしろ気持ちいい。



   おしまい

※労働は法律を守って楽しく明るく。違反はいけません!


 ふらっと、瀬川です。


 他サイトの比較的縛りのきつい競作企画に出展した旧作品です。2006年8月。

 たしか「フリーターと五百万円」というテーマだったはず。

 フリーターが肌身離さず持っている五百万円をなくして探偵事務所に調査を依頼する。ちなみにその客が探偵事務所の最後の依頼人になる、あたりだったような……。自信ないですが、肌身離さず持っていた五百万円をなくす、あたりは間違いないはず。

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