異世界に勇者として召喚されたけど、今はそんな事よりうんこがしたい
「とうとう、この時が来たんだな」
最前列を守る筋骨隆々の剣士が感慨深げに呟いた。
「通路の先からでも分かります。この先に《ヤツ》がいる」
パーティの参謀役、神経質そうな容貌の魔法使いが答える。
「……最後の時。たくさんの人の想いを私たちは背負っている」
華奢で小柄な少女――これでも国内有数の癒し手――が胸に秘めた決意をあらわにした。
異世界に召喚されて幾星霜。
多くの試練、戦い、絶望、人々の優しさに触れて私たちはここに立っている。
しかし、今の私にとって《そんな事》はどうでもよかった。
――この世界に生きる全ての人々の希望も。
――輝かしい冒険の思い出も。
――魔法使いがリクルートスーツに身を包んでいる違和感も。
――ヒーラーがガチレズで今この瞬間も私の貞操を狙っている事も。
――何 故 か 剣 士 が 全 裸 で あ る 事 も。
今の私にはどうでもいい。いや、でも全裸はちょっとまずいと思う。さすがに。
とにかく私には、大魔王より、仲間より、世界の未来より、重要な事があったのだ。
重要な事、それは。
う ん こ に い き た い。
ブラウザバックだけは許して欲しい。
切実である。切実なのだ。
私が何をしたと言うのだろうか。どこの世界に大魔王との決戦前に便意をもよおす勇者がいると言うのだ。
このままでは歴史書に《勇者、うんこに行きたくて魔王を倒す》と書かれてしまいかねない。絶対に嫌だ。例え世界が滅びるとしても拒否する。
一体、何が悪かったのか。
決戦前に鯖の刺身を食べた事だろうか。それとも一昨日実家で飲んだ牛乳が腐っていたのだろうか。
もしかしたら、さっきお腹がすいて、倒した腐毒竜の肉を生で食べた事が原因かもしれない。
――焼けばよかった。
「どうしたの。勇者?」
深い後悔に沈み込む私の顔を、癒し手の少女が覗き込んでくる。
「ハハッ、何か変な物でも食って腹でも壊したんじゃねぇのか?」
「デリカシーが無いですね。勇者様は女性なのですよ?」
ごめんなさい。剣士の予想が大当たりです。ピッタンコカンカン。アタックチャンス成功。変な物食べました。魔法使いのフォローが痛いです。
「まあ、体調も悪くなるってもんだぜ。この通路の奥から沸いてくる《瘴気》に当たれば、な。勇者と言えどまだ子供なんだ。ビビりもするぜ」
「ひどい。それだと、平気な私が無神経みたい」
「癒し手は繊細なつもりだったのか?」
うるさいだまれそこのガチレズと脳筋。
今の私の前でジョークを言うな談笑するな息をするな腹に障る何なら魔王の前に貴様らを勇者の専用魔法で消し炭にしてやろうかこの野郎。
思いつく限りの罵詈雑言を用い、心の中で罵倒する。
あまりの便意に寒気さえ感じ始めた中、私の異常に魔法使いが気付いた。
「どうしたのですか。何やら震えてますが」
「ちょっと、提案があるの……」
ようやく得た機会を逃すまいと、痛みを必死にこらえ声を振り絞る。
「ここまで来てみんな……消耗してると思うの。だから、決戦は……明日以降にしない?」
今の私に魔王どころか、雑魚と戦う力すら無い。と言うか漏らす。
現実世界で私は、花の女子高生である。野グソなんてありえない。うんこを漏らすだなんて許される訳が無い。
そもそも女の子はうんこをしないのだ。歩くだけで良い匂いがするのだ。髪の毛をかきあげるだけで輝きを放つのだ。多分。
「何言ってんだよ! ここまで来てビビっちまったのか!」
「彼の言う通りです。恐れる事は無い、僕たちを信じてください」
「私たちは、負けない。行こう?」
>>仲間の信頼が厚い。帰れる空気ではなさそうだ。
頭の中に良く分からないシステムメッセージが流れる。強制イベントですかそうですか。
ラスボス直前で帰れないRPGってどんなクソゲーですか。どっこいこれは現実です。現実は冷酷なのです。
「確かに今の僕は帰還魔術どころか下級魔法一つ放つ魔力も残っていませんが、恐れず立ち向かえば必ず勝機はあるはずです」
冷酷すぎるだろ現実。
魔法使いの言葉に、腹痛が一瞬吹き飛ぶ。今、この馬鹿は何と言った。
「さっきの魔王の右腕って奴はハンパ無かったからな。あの時魔法使いが全魔力を解放した封印魔法を使ってくれなかったら俺達は全員死んでたぜ」
ラスボス直前でMP0です。と告白した魔法使いに、剣士が笑顔で軽く背中を叩く。
「けど、大丈夫だ。お前は後ろで指揮してくれるだけで良い。俺が絶対に守ってやる。この戦い――勝つぞ」
大丈夫じゃないです。少しは頭を使ってください。後、服を着てください。股間でベニテングダケが揺れているのを誰か突っ込んであげてください。
その時、ようやく私の願いが通じた。
やや顔を赤らめながら癒し手の少女が剣士に向かって指を刺したのだ。
「そんな事より剣士。大切な事を忘れてる」
「大事な事? 魔王を倒すより大事な事があるってのか?」
あります。あなた全裸です。
「気付いてない?」
いい加減にしろとばかりに少女が俯く。
早く言ってやって欲しい。今、私が口を開くと下の口も開きかねない。くぱぁだなんて花の女子高生には許されない行為だ。色んな法律や規約に引っかかってしまう。
「なんだ? おかしい事があるならはっきり言ってくれ」
己が全裸である事に全く気付いていない戦士。
癒し手は、羞恥に頬を真っ赤に染め、大事な事を指摘する為に息を深く吸い込み――
――口を開いた。
「トレードマークのミツアミがほどけてる」
「ツッコむとこ違わない!?」
思わず声を張り上げる私。もはや勇者としての威厳はかなぐり捨てた。既に堅固扉は崩壊寸前。醜悪な悪魔が頭を出しつつあった。
ちなみに、指摘された戦士は苦い顔で自分の髪の毛をいじっている。
「クソッ。凱旋した時にコレじゃあ恥ずかしいぜ」
「もっと恥ずかしい状態だと言う事に気付こうよ!?」
口を開くたびに、私のゼダンの門から黒歴史の発端の封印が解かれて行く。どうして私は律義に突っ込んでしまうのだろうか。
「もっと恥ずかしいって、一体俺のどこが……」
「……全裸!!」
肛門括約筋にあらん限りの筋力と魔力を注ぎ込み、封印を強化しつつ叫ぶ。
お陰で、ツッコミの声は振り絞るような震えた声になってしまった。
しかし、そんな私の決死の行為が届いたのか、ようやくパーティに変化が訪れた。
「そんなまさか。俺に限って……」
「本当だ! 剣士さん、あなた全裸ですよ!」
「さすが勇者。私の見こんだ人。こんな小さな違和感に気付くだなんて」
あんたらの眼は節穴ですか。ザルですか。眼球の中に硝子体の代わりに大蛞蝓でも詰まってるんですか。それとも眼球の代わりにタピオカでも収まってるのか。
「……うわっ! マジだ。恥ずかしい!」
ようやく気付く剣士が、膨れ上がった二の腕で――
――自分の胸を隠した。
いや、気付いたのは偉いが、何故上を隠す。
もう良い。どこからつっこんで良いのか分からない。むしろ私に突っ込んで栓をしてほしい。
誰が何を言おうと私はもう帰る。こんな奴らに救われる世界ならいっそ滅びてしまえば良い。
私はあらん限りの力を振り絞り、彼らに最後通告をする事にした。
「ゆ、勇者として命令するね。今日は解散、帰宅。こんな状態で魔王戦はありえません!」
「魔法使いが帰還魔法を使えないってのに、どうやって帰るって言うんだ?」
忘れてた。
ダンジョンからの脱出魔法は、リクルートスーツの男にしか使えないのだ。
一度外に出さえすれば、アイテムで本拠地のお城に戻る事ができるのだが、ここにいる以上はどうしようもない。
「それに、俺が全裸って事なら気にしなくていい。俺が少しくらい恥ずかしい思いをするのと、世界平和……どっちが大事だと思ってるんだよ」
剣士が暑苦しい笑顔で正論を吐く。男らしい台詞だが、内股で胸を隠していることを覗けば完全に英雄の台詞だ。でも、股間の冬虫夏草を優先して隠すべきだと思う。
「もう、後戻りはできないんです。大丈夫、例え魔力が無くとも僕の頭脳は健在です。足手まといにはなりませんよ」
「私の魔力はほぼ満タン。きっと、行ける。この戦いが終わったら、勇者――結婚しようね」
私の苛立ちをよそに、やる気十分のメンバーたち。さりげなく死亡フラグを立てた少女がいるが気にしないでおく。私に性別の壁を超えるほどの勇気は無い。
しかし、振り出しに戻ってしまった。
仲間は帰還するつもりがない。そもそも帰還ができない。広大な魔王城を歩いて帰るとなると一日二日では済まない。魔王軍の追撃も激しいものとなるだろう。それまで私の肛門が保つ訳も無い。
無い無い尽くしの絶望的ラストバトルだ。
古今東西ここまで悲観的な最終決戦に臨む勇者がいたろうか。いや、いない。
帰る手段は魔王を倒す事だけ。
つまり、私に残された道は一つしか無かった。
今までの人生全てを否定する事になる決断かもしれない。
人としてなにか大事なものを失ってしまうかもしれない。
それでも、私は選び取らなければならなかった。
たった一つ許された、絶望から帰還する手段――
――野グソを。
「分かった。行くしかないんだね。だけど一つだけお願いがあるの」
「「「おねがい?」」」
異口同音に三人が口にする。
「少しだけ、一人にさせてくれない? 最後の闘いの前に、したい事があるの」
野グソとは言えない。言えるわけが無い。何度も言うが私は現実世界では清楚で可憐な女子高生なのだ。
清楚で可憐な女子高生はうんことか言わないし、うんこもしない。事実はともかく、少なくともそう思われなければならない。
「まぁ、サヤカの願いなら聞き入れないわけには行かないか」
「そうですね。理由は分かりませんが」
「私は、反対。ここは魔王城。一人になんて、絶対にさせない」
空気読めそこのガチレズ。
「お願い、癒し手。私は大丈夫だから」
「どうしてもって言うなら、私だけでもついていく」
決意を込めた瞳で、彼女は私を見つめていた。
頑として譲る気は無いらしい。
心配してくれるのは素直に嬉しい。しかし、時と場合と内心を読んでほしい。
「大丈夫。用事があっても、私の事なんて見ないふりで済ませて構わないから。危ない事が無いように、サヤカにずっとくっついてる。何があっても」
前言撤回。
この女は私の内心を読んだ上で発言している。
剣士の全裸に気付かない癖に、どうしてこう言う事には気付くのだ。何かが間違っている。
「ねぇ。癒し手」
「なぁに? サヤカ」
何故か荒い息で革袋を取り出しながら癒し手が答えた。
彼女に向かい、私は今までに出した事のないような冷酷な声で告げる。
「死にたく無ければここから一歩も動くな」
伝説の剣を彼女の喉元に突きつけられ、クランが絶句する。
もしかしなくても、この子は私の知らない世界に一歩足を踏み込んでいる。よく分からないが、マニア的なアレだ。断じて一緒に行動するわけにはいかなかった。
「な、何の事か分からない。大丈夫、私ならサヤカのどんなブツでも愛せるから」
「うん。分かった。マジで一歩でも動いたら殺す。殺した後蘇生魔法かける。成功率3割だけど」
「ごめんなさいじっとしています。だから命だけはお助け下さい」
ようやく《説得》に応じてくれたクランから剣を引いた時、私は違和感に気付いた。
――腹痛が、治まってる?
まさに神が起こした奇跡。
しかし、油断はならない。腹痛とは《波》である。今は引き潮なだけで、いついかなる時に再発するとも限らない。
腹痛は治まったが、同時に問題も発生した。
便意が収まった以上、ひとところに長居する事は非常に危険である。
いつ再発するかも分からない便意を待つわけにもいかなかった。
とうとう、最後の決断の時が来たようだ。
「やっぱりいいわ。魔王を倒しましょう」
腹痛が再発するより先に魔王を倒す。それが、私の下した決断。
仮にも、パーティメンバーの命を預かるリーダーなのだ。三人を危険にさらしてまでうんこだ何だと言う訳にはいかない。
「ようやくその気になったか。行くぜ相棒!」
「誰が相棒ですか」
「私の相棒はサヤカだけ。大丈夫、漏らしても気に――なんでもない」
思い思いに最後の意気込みを述べ、長い通路を走りだす。約一名は私の眼力で黙るはめになったが。
けれど、希望は出来た。
私は走る。未来へ向かって。
世界に希望を取り戻す為に。
そう、私たちの戦いはこれからなのだ!完!
――その時だった。
深く、重く、暗い声が通路に響き渡った。
この世に生きる者全てを拒絶するような、邪悪な声。
並みの神経ならば聞くだけで発狂してしまうような絶望的な波動。
『よくぞ来た。選ばれし者よ』
疑いようも無く、魔王の物だった。
『貴様らの勇猛、まことに天晴れである』
己の力に絶対的な自信を持った、圧倒的天上から見下す態度。非常に不快なものだった。
だが、魔王の口から出てきたのは、私たちの予想もしない物だった。
『それに免じて、今回だけは貴様らの命を助けてやっても良い』
「何だって!?」
「私たちを馬鹿にしてるのですか!?」
「許せない……!」
三馬鹿が怒りをあらわにする。当然だ。倒すべき敵に見逃してやると戦う前から言われたのだ。挑発以外の何物でもない。
『馬鹿になどしていない。実際に、そこに転移の結界を張ってある。入るだけですぐに魔王城の外に転送される』
「ハンッ。どうせ誘いに乗って結界に入ろうものならどことも知れない場所にブッ飛ばされちまうとかだろ? その手には引っかかるかよ!」
脳味噌が上腕二等筋でできているはずの剣士が、理論的な反論を叫ぶ。
確かに、うんこをしたい――もとい、魔力が空っぽの魔法使いや、全裸の剣士がいるパーティにとってはあまりにも甘い誘いだろう。
しかし、私たちも歴戦の勇者パーティ。簡単に誘いに乗る訳が無い。
――普通ならば。
「よし、入りましょ」
「えーっ!?」
初めてパーティメンバーからまともなツッコミが入る。
「大丈夫。調べてみた感じ、罠はないわ。そうでしょ? 魔法使い」
「そう、ですね。罠では無いようです。しかし何故……」
疑問符を浮かべる三人。
どうして魔王はこんな事をするのだろうか。
実は、私には分かっていた。
同じ苦しみを抱く者にしか分からない苦悩が。
同じ境遇に至らない限り、決して分かり合う事のできない絶望が。
魔王は、私と同じだ。
彼の声が、震えが、裏に潜んだ感情が全てを物語っていた。
魔 王 は う ん こ を が ま ん し て い る 。
人と魔族は分かりあえないから戦争をしていると聞いていた。
しかし、今の私たちはそんな事は無いように思える。
今まで、争ってきたのは《分かり合おうとしなかった》から。
だって今、私たちはこんなにも心が通じ合っている。
会った事も、話した事も無いような相手と、言葉を交わす事なく分かりあえているのだ。
「いいから。これは命令よ。早く結界に入る事!」
「サヤカ、大丈夫だよ。むしろ私はサヤカが漏らす所を――」
「そぉい!!」
「ひでぶっ!」
私が振るった剣の鞘で盛大に吹き飛ぶクラン。勿論、正確に結界へと叩きこんだ。
パーティのメイン回復役が消えた事で、私たちが魔王に立ち向かう事は不可能になった。これでいいのだ。
「剣士はちゃんと服を着て、魔法使いは魔力を回復して、次は完調にして挑みましょう」
剣を構え、優しく《説得》する。
「わ、分かったよ。ミツアミも直さないといけないしな」
「そうですね。ミツアミが無いと大変ですしね」
なんで三つ編みにこだわる。どう考えても股間のハイイロチャワンタケを処理するほうが先だろうに。
しぶしぶながら、二人が結界に入ったのを確認し、私は虚空に向かい声を上げた。
「ねぇ、魔王! もし、この戦いが終わって両方とも生きてたら――」
先ほど、感じた確信。
人と魔族は分かり合える。
うんこと言う《絆》がきっかけとなって。
「―― 一緒にゴハンでも食べない?」
私の腹部には再び波が迫りつつあった。
一刻も早く脱出しなければならないにも拘らず、《彼》の返答をまつ。
ほどなくして、《彼》からの答えが返ってくる。
その内容は――
『腐毒竜のステーキがなければ問題無い。是非随伴しよう』
やはり、彼も私の事を理解してくれていた。
ならばもう迷う事は無い。
私は、帰還の結界の光の中に思い切り飛びこむのだった。
――やっぱ生の腐毒竜はイケなかったんだな。次からちゃんと火を通そうっと。
異世界に勇者として召喚されたけど、今はそんな事より《 う ん こ 》がしたい。完
魔王「焼いても駄目だって。人の話聞けよ」