エピローグ 『改竄された世界』
――血の匂いが、まだ消えていなかった。焼け落ち荒れ果てた大地からは、ついさっきまで、確かに戦いがあったのを感じさせた。瓦礫の中心で、1人の少女は立っていた。銀に近い淡い金の髪、長く伸びた耳、黄金色に輝く瞳をしたエルフは、どこか現実から浮いているように見えた。
「……終わった、の」
ルヴァーナは小さく呟いた。確かに終わったはずだった。魔人ガルファイヤの遺骸を目の前にしてそう言い聞かせた。しかし、自分の手を見下ろす。震えている。理由は分からない。ただ、嫌な感覚だけが残っていた。
――何かがおかしい。
けれど、それが何なのか、掴めない。周囲を見渡すと仲間である勇者、騎士、魔術師。誰もが傷つき、疲弊している。その中で、一人――勇者がゆっくりと顔を上げた。
「……ああ、終わった」
その声は、安堵を感じさせた。誰もがその言葉に同調するはずだった。しかし、ルヴァーナだけが違った。胸の奥に、引っかかるものがあった。視線を向ける。仲間の姿は、いつもと同じだった。同じ声、同じ顔。目の前の亡骸もおかしなところは特に見当たらなかった。確かに倒したはずだと。
――なのに。
「……ねえ」
気づけば、声が出ていた。
「これって……」
そこまで言って、言葉が止まる。何を言おうとしたのか、自分でも分からない。
ただ――
“何かが違う”
その感覚だけが、はっきりとあった。勇者の視線が、こちらを捉える。一瞬。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に、ぞっとするほど冷たい何かが見えた気がした。
「どうした、ルヴァーナ」
何事もなかったかのような声。ルヴァーナは首を振った。
「……ううん、なんでもない」
言ってしまえば、何かが壊れてしまう気がした。理由もなく、そう思った。そのときだった。大地が、わずかに震えた。空気が歪む。嫌な気配が、戦場に満ちていく。
次の瞬間。
――黒い影が、崩れた魔人の亡骸から立ち上がった。
それは形を持たず、ただ揺らめく“何か”だった。
「……っ!」
仲間たちが身構える。ルヴァーナの心臓が、大きく脈打った。
あれは――
“消えていない”
そう直感した。影は、ゆっくりと蠢く、そして。
「――ああ、面白い」
低く、歪んだ声が響いた。それは、自分たちの知らない声だった。
「気づいたか」
その言葉が、ルヴァーナに向けられる。全身が凍りつく。やはり、そうだ。この感覚は間違っていない。
「お前だけだ」
影が、ゆらりと揺れる。
「だから――」
その瞬間。空気が、張り詰めた。
「消えてもらおうか」
完全に思考が追いつく前に世界が、歪んだ。
「……ルヴァーナ」
誰かが名を呼んだ。振り向くと仲間たちの視線が、こちらに集まっていた。
その目は――
困惑と、警戒と、そして。明確な“恐れ”。
「……どうしたの?」
思わずそう聞いた。だが、返ってきたのは沈黙だった。勇者が一歩、前に出る。その目は、もう先ほどのものではなかった。
「……お前は」
静かに告げる。
「危険すぎる」
言葉が、理解できなかった。
「……え?」
「今のを見ただろう」
騎士が言う。
「お前の魔力……あれは、異常だ」
魔術師も頷く。
「制御できていない。あれは……いずれ世界を滅ぼす」
違う。そう言おうとした、けれど
――言葉が出ない。
今何が起こっているのか状況を全く理解できなかった。
「待って、私は――」
そのとき、勇者が剣を向けた。
「ここで終わらせる」
空気が凍る。ルヴァーナは、一歩下がった。理解できない。どうして、
「……やめて、違う」
声が震える。
「私、何も――」
「分かっている」
勇者は言った。
「だからこそだ」
その目に迷いはなかった。
「お前は、危険だ」
顔を歪めて苦しそうにそう言った。
⸻
その後のことは、ほとんど覚えていない。光、魔法陣、拘束される感覚、仲間たちの顔、そして。
「……ルヴァーナ」
最後に、誰かがそう呼んだ。その声だけが、やけに優しく、また苦しんでいた。
意識が沈んでいく。何か言いたかった。このあまりにもおかしい異常さを伝えたかった。けれども、もう伝わらない。
――どうして。
心の奥で、声が響く。
――何かが、違うのに。
そして。闇が、すべてを覆い尽くした。




