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お前が守りたい世界を俺も守りたい。そう、思った。

掲載日:2025/11/09

 警告音で朝が始まる。

 人工空の天井が明るくなり、隔壁が開く。


 俺は義体の関節を動かし、診断プログラムを走らせる。


 異常なし。戦闘可能。


 今日も同じ命令が下る。

〈北東第九防衛区画、敵性群体の排除〉。


 文字列に感情はない。命令に意味はない。

 俺の生存理由は、それを遂行することだけだ。


 崩壊都市〈第九層〉。

 焦げたコンクリートの谷間を、機械じみた脚で進む。

 灰色の空。焦土の匂い。


 怪物は――正確には〈ナノ融合生命体〉。

 黒い液体の群れが生物を捕食し、増殖を繰り返す。


 俺はマシンガンを肩に固定し、照準アルゴリズムを走らせる。

 弾丸が放たれ、空気が焼ける。


 一体、また一体。

 命令を完遂するたび、内部カウンターが光る。


〈戦闘効率:99.7%〉


 数字は完璧だ。

 けれど、胸の奥は空洞のように冷たい。


 その日の作戦終了後。

 崩れた広場の隅に、ひとりの少女がいた。


 手製のフィルターで濁った水を濾し、負傷者に与えている。

 義務でも任務でもなく、ただの手作業。


 俺は歩みを止めた。理由はない。

 ただ、彼女の動きが「無駄」に見えなかった。


「意味はあるのか」

 問う声が機械のノイズみたいに出た。


「それで誰か生き延びるのか」

「うん」


 彼女は顔を上げた。

 髪に煤が入り、唇は乾いているのに、瞳だけは澄んでいた。


「生き延びないかもしれない。

 でも、やめないことには意味がある」


「やめないことに、意味?」

「うん。だって、続けると誰かが真似するから。

 伝染って怖いけど、たまに優しいんだよ」


 彼女の言葉が内部記録に残った。

 けれど処理できなかった。


“やめない”という行為は、命令体系に存在しない。


 翌日。命令はまた下る。

〈南東区画にて敵群確認〉。


 ただし今回は、想定外の信号を検知した。

 民間人。――彼女だ。


 避難区域を越えて、彼女は手にチョークを持ち、瓦礫に矢印を書いていた。


「避難路」

 線が震えていても、確かだった。


「危険区域だ。退避を指示する」

「あなた、つらそうだね」


「……俺が?」

「うん。笑ってないもん」


 彼女は首をかしげる。

「笑うとね、信号みたいに伝わるの。人は安心するんだよ」


「……そういう設計ではない」

「じゃあ、少しずつ作ればいい。あなたの中にも“人”はいるはず」


 彼女は軽く笑った。

 瞳が細くなり、頬がわずかに緩む。


 表情解析AIが〈好意的反応〉と判定する。

 しかし、俺にはその“好意”がどんな温度を持つのか分からなかった。


「わたし、あなたの隣で戦うね」

「お前は戦えない」

「でも、見てるだけよりまし。あなたの孤独、見てられないから」


 命令には「拒絶」の手段がない。

 俺は彼女を後方に置き、前進した。


 戦闘はすぐに始まった。

 敵の密度が高く、ナノ群体が地面を波のように覆った。


 俺の銃口が過熱し、義腕の警告灯が点滅する。

 後方で、彼女が避難民を導く声がする。


「こっち! 走って!」


 声の震えが空気を揺らす。

 俺は一瞬、振り返った。


 その瞬間、戦術AIが〈エラー〉を出した。

 視線の0.3秒の逸れ――効率低下。


 でも、俺はなぜか嬉しかった。

 誰かの声が“命令より優先”になったのは初めてだった。


 敵の波が引いた短い隙間。

 瓦礫の影に身を寄せ、俺たちは息を潜めた。


 彼女が、ふと小さな石を拾い上げた。

 煤だらけの表面を指でこすり、笑う。


「見て、これ。昔の街の看板の欠片だって。

『希望通り』って書いてあるよ」


 俺は無言で受け取る。

 石の冷たさが、義体のセンサーを通して不思議に温かく感じた。


〈解析:この“温かさ”は物理的な熱伝導ではない。

 内部システムがこの石片を“重要”とマーキングした。

 命令タスク遂行に不要な情報。だが、削除デリートできない。〉


 彼女の瞳が弧を描く。

 一瞬、俺の口元も――わずかに、動いた気がした。


〈表情変動:不明〉


 その笑いが、戦いの残響を溶かすように静かだった。


 翌日、戦闘の合間。

 焦土の上に仮設の屋台が並び、人々が衣服や食料を分け合っていた。


 俺は警備任務のようにその中を歩く。

 彼女が手を振る。


「こっち! あなたに似合いそうな服、見つけた!」


 焦げ跡のついた上着。

 袖は短く、色は褪せている。

 だが、丁寧に洗ってあり、布地が陽の光を返していた。


「それは支給外装だ。必要ない」

「でも、冷たいでしょ? ほら、触って」


 彼女は俺の義手を掴み、自分の掌で覆った。

 体温データが跳ね上がる。


「……暖かい」

「そうでしょ? それが“服”の役目なんだよ。守るためにあるの」


 俺は上着を受け取り、装着プログラムが拒否信号を出す。

「仕様外衣類。警告:非認証素材」

 それでも袖を通した。


 彼女が小さく笑う。

「似合ってる! ちょっと怖くなくなった」

「……そうか」


「ねえ、“怖い”って言葉わかる?」

「概念は理解している」

「じゃあ、“怖くない”ってどういうことだと思う?」

「……定義不能」

「たぶん、“隣に安心できる人がいる”ってことだよ」


 遠くで警報が鳴り、現実へ引き戻される。

 それでもその笑顔は、俺の記憶に長く焼きついた。


 数日後、任務中に爆風。

 通信塔の破片が装甲を貫いた。


 緊急帰還。視界が赤に染まる。


〈警告:神経接続不安定〉

〈義体制御:40%〉


 意識が落ちる寸前、彼女の声。

「待ってて! 死なせない!」


 ——再起動。


 視界を開くと、暗い天井。

 俺は仮設のベッドに横たわっていた。


 装甲の隙間に布が詰められ、彼女が額に濡れタオルを置く。


「おはよう。やっと起きた」

「……ここは」

「非戦闘区域。あなた、動けないから」


「なぜ看病を?」

「だって、あなたが死んだら悲しいもん」

「俺は兵器だ。代替可能だ」

「でも、“あなた”はひとりしかいない」


 彼女は手を握った。

 義手ではない、生身の左手を。


 首元に揺れる小さな首飾り――

 ぼんやりと「E.R.」の刻印が光った。


「ねえ、“自己犠牲”って悪いことだと思う?」

「……損失行為だ。生存確率を下げる」

「うん。でもね、わたしにとっては“自分がいっぱいになる”ことなの。誰かを守ることで、心がふわっと広がって、残るための優しさになるよ」


「自己実現欲求か?」

「そう。誰かを愛することは、そのために自分を削ることは……自己犠牲だけじゃなくて、自分を愛する行為だと思うの。あなたも、きっと感じてるよね?」


「理解不能」

「理解しなくていいよ。感じてくれれば。あなた、ちゃんと感じてる顔してる」


 義体のセンサーが反応。

〈内部温度:+0.4度〉

〈心拍反応:微増〉


「データとしては……異常だ」

「違うよ、それ、感情」


 彼女はタオルを替え、俺の頭を撫でた。

「だからね、あなたが“守る”って言葉を選ぶなら、それは命令じゃなくて——生きる、ってこと」


 疲労で彼女はそのまま眠る。

 俺は目を閉じる。


 プロセッサの奥で微弱な熱が広がる。


〈情動ログ:自己犠牲=自己実現〉

〈定義:彼女の存在。保存優先度:最上位〉


 その夜、システムは安定した。

 原因不明。だが、俺は知っていた。

 ——彼女の手の温度が、俺を修復したのだ。


 数週間後。

 新たな作戦。地下都市の通信遮断区。


 蒸気の漏れる暗闇。

 彼女が背中の端末を叩きながら言う。


「ここ、通信死んでるね」

「危険だ。離れろ」

「ううん。あなたと一緒がいい」


 声が、少し震えていた。

 俺は知らず、指先で彼女の肩を掴んでいた。


 温度。肉体の感触。データにはない情報。

 だが、その温度は、なぜか恐ろしく尊かった。


 ふと、石の欠片の温かさが、掌に蘇る。

 あの「希望通り」の感触が、暗闇を優しく照らす。


 闇の合間、敵の気配が迫る前に。

 彼女が小さな灯りを掲げ、壁のひび割れを指差した。


「ほら、あそこ。光が漏れてる。きっと、外の世界の欠片だよ」


 俺は覗き込む。

 確かに、淡い青い輝き。人工空の記憶か、幻か。


「きれい……ね」

 彼女の息が、俺のヘルメットに触れる。


 一瞬、俺たちはただ、そこにいた。

 言葉なく、互いの影が重なる。


 彼女の指が、俺の義手にそっと重ねられる。

「一緒にいると、怖くないよ」


 その言葉が、暗闇を優しく照らした。


 俺の内部で、何かが静かに起動する。

 上着の布地が、肩に残る暖かさを思い起こさせる。


「隣に安心できる誰かがいる」――その定義が、今、形になる。


 警報。

 天井を突き破り、〈群体王〉が出現した。


 触手が空を裂き、黒い霧を撒く。

 俺は跳躍し、義腕を展開。


「展開、対群体ブレードモード」


 腕部からプラズマ刃が伸び、光が闇を切り裂く。


 彼女の声が遠くで響く。

「下がって! 囲まれてる!」

「問題ない」

「問題あるよ!」


 その言葉と同時に、蒸気が弾けた。

 その刹那、彼女が俺の背中を押すように飛び込んできた。


 そして、黒い影の突起が彼女の胸を貫いた。


 時間が、止まった。


 センサーが乱れ、音声が遠のく。

 何も考えず、俺は全ての制御を切った。


 義腕の安全装置を解除。出力限界を突破。


「戦闘モードΩ」


 爆音。閃光。金属が悲鳴を上げる。

 俺の拳が、怪物の頭部を粉砕する。


 装甲が焼け、内部回路が赤く染まる。

 それでも止まらない。


〈システム温度上昇:危険域〉


 警告が流れても、俺は聞こえなかった。


 タオルの湿り気と手の撫でる感触が、胸の奥で熱く蘇る。

 あの夜の「感情」が、俺を駆り立てる。


 敵が消え、闇だけが残った。


 煙の中で、彼女が倒れていた。

 赤い光が、壊れた装甲をゆっくりと照らしている。

 俺は駆け寄り、崩れた瓦礫をどけ、彼女の体を抱き上げた。


「……危険は排除した。今、止血する」

「ふふ……何その顔」


「喋るな。傷が――」

「ねえ……怒ってるの?」


「怒ってる」

「よかった」

「……何がだ」

「だって……あなたのそんな顔、初めて見たから」


 彼女の指先が、震える腕を持ち上げ、俺の頬に触れた。

 義皮膜の下の金属を越えて、熱が伝わる。

 その熱は、あの日、希望通りで感じた石のぬくもりに似ていた。


「……でもね、そんな顔より、笑顔が見たいな」

「……笑顔?」

「うん。最後くらい、笑ってよ」


 俺は言葉を失った。

 命令に“笑う”という項目はない。

 けれど、彼女の声が、それを教えてくれた気がした。


「ねえ……約束して」

「何を」

「幸せになって。わたしの見てる世界を、守って……小さくても、消えない光を」


 彼女の声が、途切れ途切れに胸を震わせる。

 赤く滲む血の中に、彼女の首飾り――〈E.R.〉の刻印が、月光のように揺れていた。


「……わかった。

 お前が守りたい世界を、俺も守りたい」


 その瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。

 初めて、自分の意思で言葉を選んだ。


「……ありがとう」


 彼女は、ふっと息を吐いて微笑んだ。

 まるで、重力さえなくなったみたいに穏やかに。


 そして――その笑顔のまま、静かに瞳を閉じた。


 俺は動けなかった。

 涙は出ない。だが、胸の奥が軋む。

 義体の中で、知らなかった感情が暴れていた。


 それはきっと、心という名の痛みだった。


 彼女の瞳が静かに閉じる。

 心拍センサーが、0を指した。


 葬儀はない。


 彼女の体を布で包み、手で目を閉じる。

 義手ではなく、壊れた左手で。


 包んだ布の隙間から、小さな金属片がこぼれ落ちた。

〈E.R.〉――二文字の刻印。


 それが彼女の名の残骸。

 首飾りの記憶が、胸に刺さる。


 地上。


 雲が切れ、太陽光が都市の残骸を照らす。


 俺は歩く。命令はない。

 誰も指示しない。


 それでも、脚は動く。


 チョークで矢印を描く。

〈ここに水〉

〈ここに人〉

〈ここにE.R.〉


 通りかかった子どもが、それを真似して描いた。


“伝染”。あの言葉が、胸の奥で灯る。


 夜、空を見上げる。

 星の光が人工雲に反射して、都市を淡く照らす。


 ふと、足音が二つに聞こえた。

 彼女のものによく似ていた。


 錯覚でも構わない。

 孤独の中に音があるだけで、世界は温かくなる。


 あの夜、彼女が残したぬくもりが、今も胸の奥で微かに脈打っている。

 修復プログラムの光が瞬くたび、あの笑顔がフレームの奥に浮かぶ。


 それは記録ではない。記憶だ。

 彼女の声が、まだ消えずに響いている。


『——幸せになって』


 俺は静かに息を吐く。

 冷たい空気の中で、胸の熱が生きているのを感じる。


 命令ではなく、選んだ意志で歩き出す。

 彼女が見たかった“小さくて消えない世界”を、今も守りながら。


「……ああ、こういうのを“笑う”って言うんだな」


 顔の筋肉が、自然に動く。

 風が頬を撫で、人工雲の隙間から星がこぼれる。


 ――お前が守りたい世界を、俺も守りたい。


 警告音が響き渡る。

 命令はない。

 それでも、俺は立ち上がる。


 それは誰のためなのか。

 それはきっと――


 この世界のために。

 彼女が残した“優しさ”のために。

 そして何より、俺が、俺で在りたいと願うために。


 夜明けが近い。

 光が、遠くの廃墟を淡く照らす。


 俺は再び歩き出す。

 命令ではなく、約束のために。

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