表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とある悪役令嬢の話(連載版)  作者: りな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/32

新生活6日目

夜早く眠ると、自然と朝も早く目が覚めるものなのね。

柔らかな朝の光を感じながら目を開けた私は、思わず「人体の不思議ね」と小さく笑った。


井戸へ行って、冷たい水で顔を洗う。ひやりとした感触が気持ちいい。

昨日は、手作り洗剤を作るための壺を探したけれど、結局ちょうどいいものは見つからなかった。

だから今日は買い物の日にしよう。


「壺……。桶でも代用できるかしら?」

そう考えながら、押し車のことも思い浮かべる。大きな荷物になるだろうから、持っていったほうが良いわね。

転移陣を使えば一瞬で運べるけれど……。誰かに見られる、という危険がある。

「……やっぱり、転移陣は封印ね」

少し、ため息が混じった。


買い物に行くなら、縫い糸も補充しておきたい。ついでに食料も――魚を捕まえる道具なんかも売っていれば、買ってみようかしら。


そんなことを考えながら、朝ごはんの支度を始める。

玉ねぎに似た野菜をじっくり炒め、香ばしい匂いが広がったところで細かく切った肉を加える。少し炒めたら水を注ぎ、じっくりと煮込む。

「……うん、いい香り」

スープが出来上がったところで、一口飲む。……やっぱり、胡椒が欲しい。

バターなんてあれば、もう少し深い味になるのに。


「宝石を少し売って、買えるかしら?」

小さく呟きながら、パンを細かく切って軽く焼く。

玉ねぎと肉の風味はついたけれど、やはり少し物足りない。

それでも、噛むほどに味が出て、なんだか落ち着く朝食になった。


食後、片付けを済ませて出かける支度をする。

町娘風の服に着替え、肌を少し茶色く見せる粉をはたき、頬にそばかすを描いた。

鏡の前で目薬をさし、赤い瞳を茶色に変える。

「いつ見ても、不思議な目薬ね」

フードをかぶり、宝石を3つ小さな袋に入れて腰に結ぶ。


押し車を押しながら、私は小屋を後にした。


初めてのときよりも、今日は周りを見る余裕があった。道沿いの家々を眺めながら歩くと、ふとある庭の木に目がとまる。

「……あの家の木、もしかして果樹? 木の実が見えるわ」

少しだけ気になって、立ち止まりそうになる。


この辺りの住人は、どうやら皆、畑で何かを育てているらしい。青々とした葉、白っぽい実、どんな野菜を作っているのかしら――そう思うと、少し胸が弾んだ。


そんなことを考えているうちに、町の屋根が見えてきた。

「あら、もう着いたのね」

思ったよりも早い。二回目の道は、何となく時間が短く感じた。


さて、まずは宝石をお金に換えなくては。

……でも、どこで売るのが正解かしら?

宝石商? それとも衣装屋?


キョロキョロと周りを見回す。

見慣れない店の看板が並び、通りの人々の声が重なる。

「……やっぱり、もう少し勉強しておくべきだったかも」


小さくため息をついた。

散々悩んだ末、私は宝石商に売ることに決めた。

ドレスに縫い付けられていた小さな宝石は、台座付きで、そのままでもちょっとした飾りになるほど品が良い。これなら、きっと価値がつくはず――そう思いながら、通りを歩く。


通りの奥に、落ち着いた雰囲気をまとった店を見つけた。飾り気はないのに、窓越しに見える宝石がどれも美しい。並べられた棚には、どこか上品さと自信が漂っている。……直感だけど、こういう店はきっと外れない。


「ここにしましょう」

そう呟き、扉に手をかける。


カラン、と柔らかな鈴の音が響いた。


店に入ると、奥から髪を丁寧に撫でつけた年配の男性が現れた。落ち着いた衣服、控えめな宝飾、そして何より――動きのひとつひとつに滲む品格。宝石ひとつで人を見抜いてきたのだろうという、長い年月の重みがあった。


「いらっしゃいませ」

低く、よく通る声。


――ああ、やっぱり良い店を選んだ気がする。そう思いながら、私は持ってきた宝石を一つ、そっと取り出し、男性に差し出した。


「これを、お金に換えたいのですが」


声がわずかに震えた。……出所を聞かれたら、どうする?喉の奥に緊張が張り付く。


男性は無言で懐から小さなルーペを取り出し、宝石の表面、色、大きさ、台座……ひとつひとつを丁寧に確認しはじめた。


しばらくすると、男性はゆっくり顔を上げ、私をじっと見た。


……違う。私の瞳ではない。

視線は――フードの影に隠したはずの、赤いイヤリングへまっすぐ向けられていた。


(……気づかれてる……?)


背中に冷たい汗が流れる。

男性は何かを考えるように沈黙し、やがて息を吐いた。


「――良いでしょう。買い取りしましょう」


そう言うと、手元の紙にさらさらと金額を書き記す。

差し出された紙を見て、思わず息をのんだ。

平民がひとり、四ヶ月は生きていける金額。


「ありがとうございます……」


声がかすれる。私は震える指でお金を受け取った。

帰ろう、と思った瞬間、男性が静かに口を開く。


「次、来るときは――イヤリングは、きちんと隠したほうがいいですよ」


「……わかりました」


胸が跳ね、嫌な汗が噴き出す。

気づかれている。いや、知られている。

この人の“目利き”は誤魔化せない。


私は慌ててフードを深くかぶり、店の扉を押し開けた。


カラン、と鈴の音。

陽の光が差し込む外気の中、私は早足で人混みに紛れ込んだ。

――鼓動が、まだ止まらない。

しかし、お金は、できた。

胸の奥に、ほっとした温かさが灯る。


さて――まずは糸だ。


物を作ってみて気づいた。糸の色ひとつで雰囲気が変わる。それに、差し色の刺繍があるだけで、ぐっと印象が上がる。私は期待を胸に、糸を扱う店へと足を踏み入れた。


店内の棚には、色とりどりの糸がぎっしりと並んでいる。赤、青、緑、淡い桃色、深い藍色……視線が忙しいほど。

あれも、これも素敵。

しかし――財布は正直だ。


悩みながら糸を手に取っていると、ふと銀色の糸が目に映った。きらりと光るその色に、アレクシス皇子の髪を思い出す。


……高い。桁が違う。


けれど、これで「N」を刺繍したら、どれほど映えるだろう。

胸が、熱くなる。

しばし迷い、私は結局、銀糸をそっと籠へ入れた。


次に向かったのは、壺が並ぶ店。外にずらりと置かれた壺の中から、程よい大きさを選ぶ。桶も一つ、追加する。ついでに、「魚を採る道具、何かありますか?」と聞くと、店主は釣竿と糸、それに針をすすめてきた。


……釣れるの? 本当に?


半信半疑だったが、割引するよ、と言われて気づけば購入していた。


そのまま食料品店へ。

胡椒らしきものがあったが、あまりの高値に目が泳ぐ。

財布と商品を交互に見て――今日は諦めた。


代わりに雑穀や粉を眺める。

粟、稗、黍、小麦……奥にはライ麦?

小麦粉は色が茶色っぽく、ざらついていた。

だから今食べているパンは黒っぽいのだ、と腑に落ちる。

令嬢時代、毎朝食べていた白いふわふわのパン。

――あれは贅沢だったのだ。


……白い小麦粉にするには、何回もふるいにかけて不純物を取り出さなくてはならない。それに、細かく粉にするのも大変な作業。

日本で普通にあった、さらさらの真っ白な小麦粉は、技術の賜物なのだ。……今さらながら、気がつく。


雑穀は少しずつ試してみることにした。

肉に野菜、果物、おそらくオリーブ油?も買い足す。


そして――出会ってしまった。


卵。

白く、美しい曲線。儚げな光沢。


……欲しい。

割らずに帰れる?

考える間もなく、身体は動いていた。


卵を籾殻のようなもので包み、押し車にそっと置く。押し車は重いのに、心は軽い。


帰り道、休憩のため道端に腰を下ろしていると、通りがかった農夫のおじさんが、ふと足を止めた。


「重そうだな、頑張れよ」


そう言って、りんごのような果物を一つ渡してくれる。


「ありがとうございます……」


胸の奥がじんわり温かくなる。

服でごしごしと拭いて、かじる。


しゃく、と歯ごたえ。

林檎と梨を足して割ったような、みずみずしいさと甘さ。身体に沁みる優しさ。


――他人の善意って、こんなにも尊いのね。

何故だか涙が滲んだ。


押し車の取っ手を握り直し、私はゆっくりとまた歩き出した。

夕焼けに染まる道が、やけに優しく感じた。


夜は、朝の残りのスープに、粟?を入れた。木べらで静かに混ぜながら火にかけると、とろり、とろみが出てくる。湯気がふわりと鼻先を撫で、疲れた体の隙間という隙間に、やさしく入り込んだ。

「……リゾット、みたい」

ひと口すすると、素朴な穀物の甘みがじんわり広がる。胃がほっとして、思わず肩の力まで抜けた。


食器を片づけ、寝る支度を整えたあと、ふと思い出して袋の中から銀色の糸を取り出す。月明かりを受けて、細く、静かに光った。

――アレクシス皇子の髪の色。

胸が、少し痛む。届かない人。手を伸ばしても、触れられない光。


そのきらめきをそっと枕元に置き、ベッドにもぐり込む。寝返りを打つたび、糸がちり、と小さく揺れて、月光がそれを拾った。

まぶたを閉じたのに、思い出す。凛とした横顔。届かない距離。

気づけば、ひと粒、またひと粒と、涙がこぼれていた。


「……おやすみなさい」

返事のない呟きが、暗い部屋に消える。


やがて、疲れに包まれるように、静かに眠りへ落ちていった。

枕元の銀糸だけが、小さく、優しく、夜の闇に光り続けていた。



---皇子視点


俺は統治者代行任命の手続きに追われていた。大綱こそ作り上げたものの、細部はまだ手付かずのままだ。


王国での男の住居、助手の選定、護衛の確保

(襲われたりしたら、こちらが困る)

そして執務室の用意。


考えるべきことは山ほどある。


それに、王国へは彼と同行した方が良いだろう。転移陣を使えば一瞬だが、あえて道をゆき、彼の目で王国の現状を見せる必要がある。


――現実は、甘くないのだと。


男が退職の手続きを終え、旅支度が整い次第、出発という段取りになるだろう。

俺は側近にその旨を伝え、必要な準備を指示した。


すると

「すべて、既に用意してございます」

落ち着いた声が返ってきた。


……これだから、俺の側近は有能すぎる。

驚くどころか、もう笑いが込み上げてくる。


「助かる」


そう告げた瞬間、肩に乗っていた重みが少し軽くなった気がした。


外では夕陽が城壁を赤く染めていた。



意識をふと、遠くにやった。

……道をゆくなら、――もしかしたら、彼女に会えるかもしれない。


そんな可能性は、指先ほどの小さな望みでしかないと分かっているのに、

心は勝手に鼓動を速める。


もし、偶然が重なって、視線が触れ合ったなら。

それはきっと――運命だ。


……我ながら、何を考えているんだ。


頭の中に咲き乱れる妄想を深く息で押し込み、肩をすくめて反省する。


だが。


――ほんの一瞬だけ、夢を見た心の温度は、まだ冷めなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ