表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とある悪役令嬢の話(連載版)  作者: りな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/32

新生活4日目

今朝も、太陽の気配で目が覚めた。

「……おかしいわ。もっと寝ていてもいいのに」

まだ眠気の残る頭で小さく呟きながら、ノエルはのそのそとベッドから抜け出した。

今日は孤児院へ行く予定の日。

そう思うと、自然と身体が動く。


井戸に向かい、桶を引き上げながらふと気づく。

「……あら、手が荒れ始めてる」

よく見ると、指先の皮が少しささくれていた。

ハンドクリームなんて便利なものは、この世界にはない。

「代わりになるものを探さないとね。……令嬢時代はこんなこと、なかったのに」

思わず苦笑する。

けれど、それだけ今は自分の手で生きているということでもある。

少しだけ誇らしいような、くすぐったいような気持ちだった。


朝ごはんは、できるだけ簡単に済ませることにした。

昨夜のうちに仕込んでおいた、少し大きめに切った肉と野菜のスープを温め直す。庭でちぎった、ミントの香りに似た葉を細かく刻んで少しだけ入れてみる。……すっきりした匂いだけど、スープには合わないかしら?これは、お茶で試すのが良さそう?

固くなりかけたパンをざっくり切り、スープに浸して食べる。

スープを吸ったパンは柔らかく、ほんのりとした塩味が優しい。

「パンって、日が経つと固くなるのよね……。日本だったら、フレンチトーストにするのに」

ふと懐かしい記憶がよぎる。

砂糖と卵と牛乳――今の自分には少し贅沢な材料だ。

「砂糖は、当分無理ね」

そう呟きながらも、心のどこかで手に入れる日を夢見る。


食べ終わると、さっと食器を片付けて、今まで作ってきた小物を鞄に詰めた。

巾着袋に小物入れ、リボン、そして小さな御守り袋。全てに小さく"N"のイニシャルを飾り文字風にして刺繍をしてある。

見ているだけで、ちょっと心が弾む。


次に、身だしなみを整える。

髪を三つ編みにしてお下げにし、肌を薄く茶色にする。いつかは、日焼けしてこれも不要になるかもね、と思いつつ。

目薬をさして、瞳を赤から茶色に変える。

頬にはそばかすを描き、耳の赤いイヤリングはフードを深く被って隠した。

「よし。町娘、完成」


軽く息を吐くと、ノエルは笑った。

心の中の緊張とわずかな期待が、静かに混ざり合っている。

「さて、行きますか」


外は、柔らかな朝の光で満ちていた。

風がカーテンのように木々を揺らし、世界が一日を始めようとしている。

ノエルはその光の中へ、一歩を踏み出した。

一度歩いた道だから、なんとなく覚えている。ノエルはてくてくと歩いた。

すり減った靴の底が土を踏む音が、心地よく響く。


「……野の花も、意外と可愛いわね」

白や黄色の小さな花。どれも控えめだけれど、眺めていると心がほぐれていく。

「庭に植えようかしら。でも……今は掘る道具も無いのよね。次回にしましょう」

そう呟きながら、花を見下ろして微笑んだ。

「帰りに少し摘んで、押し花でも作ろうかな?」


空は高く、雲は流れ、緑は陽を受けて鮮やかに光っている。

ノエルは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

――自由、だ。

思わずそう感じて、口元が緩んだ。


やがて、孤児院の白い建物が見えてきた。

この姿で来るのは初めて。

事前連絡も取っていない。

「……さすがに、ちょっと緊張するわね」

胸の奥がきゅっと締まるような感覚を覚えつつ、ノエルは門をくぐった。


庭で遊んでいた小さな子どもがこちらに気づき、駆け寄ってくる。

「こんにちは。あの、院長先生のところに行きたいのだけど」

「こっちです!」と元気に案内してくれた。

子どもの後をついて行くと、簡素な木の扉の前にたどり着く。


扉を軽く叩くと、中から落ち着いた声が聞こえた。

「入りなさい」


ノエルは深呼吸して中に入る。

部屋の中は整理され、古びた机の上には書類が整然と並んでいた。

院長と思われる女性が椅子に座り、じっとこちらを見ている。


「……あの、あちらの家に住み始めたノエルと申します。今日は、ご挨拶とお願いに伺いました」

町娘らしく、少しおどおどとした口調で頭を下げる。


院長は、ゆっくりとノエルを上から下まで見た。

なめるような視線。

まるで鎧の隙間を探るような目だ。

(……絶対、令嬢だって気づいてるわね。目が怖いわ。歴戦の戦士みたい)

ノエルは心の中でひやりとしながらも、鞄を開けて作ってきた小物を取り出した。


「……これは?」と院長。

「私が作った物です。これを、こちらの孤児院の子どもたちが作った品と一緒に、売っていただけないかと」


院長は黙ってひとつ手に取り、布を撫でるように見つめる。

指先の感触を確かめるようにして、小さく息をついた。


「ここで出すには、布が上等すぎるのではなくて?」

「ある貴族が寄付してくれた、ということにしてはどうでしょう。その分、少し価格を上げていただければ」


院長は眉を上げた。

「孤児院のメリットは?」

「売上の二割を孤児院に納めます。……それで、どうでしょう?」


沈黙。

院長は目を細め、しばらく考えるように机の上を指で軽く叩いた。


やがて、ゆっくりと口を開く。

「……三割にしたら、他の販売方法も探すこともできるわよ? 孤児院だけだと、どうしても売れる機会が少ないの」


(三割……痛い。でも、これは……悪くない話よね)


ノエルは少し考えたあと、小さく頷いた。

「少しずつしか作れませんが、それでもいいですか?」

「欲しい人には待たせればいいのよ。問題ないわ」


「……わかりました、三割でお願いします」


こうして、緊張の交渉は終わった。

価格の設定は院長に一任した。

――この世界で長く生き抜いてきた人なら、きっと私よりも市場に詳しい。


部屋を出た時、ノエルは小さく息を吐いた。

肩の力が抜けて、微笑みが浮かぶ。

少しずつだけど、生活の輪郭が形になっていく――そんな気がした。


帰り道、ノエルは野に咲く小さな花をひとつ、またひとつと摘んで歩いた。

白色で五枚の花弁、黄色でジャーマンカモミールを彷彿させる形。色々ある。どれも控えめで可憐な花たち。

「やっぱり、自然の色はきれいね」

思わずそう呟きながら、鞄の上の方に場所を作ってそっと並べていく。


家に着くと、まずは摘んだ花を机の上に並べ、かつて運んでおいた本を取り出した。

厚めの紙を開き、花の形が崩れないように丁寧に広げて挟む。

「数日後には、きっと綺麗な押し花になるはず」

小さく笑みを浮かべる。……前に作ったのは、いつだったのかしら?懐かしい。


残った花のいくつかは、小さなお皿に水を張って、その上に花だけを浮かべた。

水面に映る花の色が、ゆらゆらと揺れる。

寂しかったテーブルが、少しだけ華やかになった。

「今日の夕飯の話相手は、この花たちなのね。ふふ」


夕飯の支度をしながら、ノエルはほっとした気分で鼻歌を口ずさんだ。

鍋でスープを温め、大きめに切っていた肉を取り出し、一口大に切る。

そこへ、トマトに似た野菜を刻み、塩を混ぜてソースのようにしてかけた。

湯気とともに、朝のミント系の香りがほんのり立ち上る。

「……これなら、意外と合うかも?」


固くなったパンをスープに浸す。少し、クルトンのような香ばしさが広がった。

静かな家に、スプーンの音だけが響く。

外では虫の声。


「今日も……よく頑張ったわね」

自分で、自分を褒めてあげる。


片付けを済ませると、疲れた身体をベッドに沈めた。

柔らかな布に包まれ、まぶたが自然に落ちていく。

微かに香る花の匂いに包まれながら――ノエルは静かに、夢の中へと落ちていった。




ーーー皇子視点


ふと、国王の言葉が、妙に鮮明に思い出された。


――「属国となった王国をどうするのか、委せたぞ」


……いや、どうするも何も、それ丸投げだろう。

さすが父上、責任だけは見事に俺に押しつけてきたな。


正直、面倒この上ない。だが、現実に目の前の机には、王国に関する膨大な収支報告書と資料の山が積み上がっていた。

書類の高さが、俺のやる気を低下させている。


「……よし。誰かに任せよう」


俺は椅子に深く背を預け、頭の中で候補者を思い浮かべた。

野心があって、能力もあり、そして今の職務に不満を抱いている――そんな人物。


すぐに一人の男の顔が浮かんだ。

子爵家の出ながら、己の努力だけで皇国の財務局に上り詰めた稀有な人材。

あの貴族主義の中で地位を築いたのだから、相当な才覚の持ち主だ。

おそらく、いまの待遇には満足していないだろう。むしろ、鬱憤を抱えているはずだ。


「……彼だな」


俺は側近を呼び寄せ、彼の名を告げる。

「至急、面会の手配を頼む。できるだけ早く」

側近は頷き、静かに部屋を出ていった。


静寂が戻る。

俺は積まれた資料の束を一つ手に取り、読み進めながら改善の方向を探り始めた。


数字は嘘をつかない。

それが救いでもあり、残酷でもある。


やがて窓の外が赤く染まり始めた。

……もう夕方か。昼食も食べていなかったことに気づく。

腹は減っていたが、奇妙に満足感があった。


机の上には、分厚い本のような紙束が積み上がっている。

俺が考えついた事を書き綴ったものだ。


一日で、これだけ進んだのなら悪くない。


「さて……ここからが本番だな」


俺は深く椅子に座った。


吐いた息とともに言葉が溢れた。

「彼女が――いつでも戻れる場所を、作っておくか」


……もし彼女が、また前の場所に帰ってくることを望むのなら。

……もし、彼女が、俺の隣を望むのなら。

その時は、迷わずに辿り着けるようにしておきたい。


心のどこかで、そんなあり得ない願いを抱いている自分に気づく。

俺は疲れた頭を軽く振り、ふと浮かびかけた彼女の微笑みを――そっと、胸の奥に押し込めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ