表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とある悪役令嬢の話(連載版)  作者: りな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/32

新生活14日目(修正版)


翌朝。

太陽がまだ山の端にも顔を出していない頃、私はふいに目を覚ました。


……珍しい。

一人なのだから、もっとゆっくり寝ていてもいいはずなのに。でも、目が覚めるのはきっと元気な証拠だ。


「よし、今日は作品づくりを頑張ろう」


そう心を決め、井戸へ向かう。両手ですくった水はひんやりとして、とても気持ちが良かった。


畑を眺めると、胸がふわりと温かくなった。

マヤが作ってくれたこの畑のおかげで、私の毎日に、ちゃんと未来がある。昼には森へ行って、腐葉土を採ってこよう。もっと良い土を作ってあげたい。こうして今日の予定が、すっと決まった。


朝ご飯は、卵と雑穀とニラを入れた雑炊。

病人食みたいだけれど、栄養はしっかり。

……醤油が欲しい。大豆があれば、作れるのかな?


足りない分はナッツで補って、片付けを済ませる。そして作品づくりへ。今日はなぜか指先が軽い。集中力も冴えていて、いつもよりたくさん仕上げることができた。


「頑張った、私」


小さく呟いて、お昼は朝の残りをさらりと食べる。それから腐葉土採りの準備。掘る道具と、背負い籠。

孤児院の子供たちとよく行った森とは違う方向だけど、浅い場所なら、きっと大丈夫。

そうして、森へ行った。


腐葉土は、黒くて、ふかふかで、しっとりしている。豊かな森の恵みが、手のひらに伝わる。あまりにもたっぷりあるから、ついつい欲張って籠に詰めすぎてしまった。


……重い。

これを背負って帰るなんて、とても無理。


仕方なく、持てる量だけ残し、森へそっと返した。


「よいしょ」


籠を背負ったその時。目の端を、何かが飛び交う影が横切った。

……虫?

いや、もしかして――蜂?


まさかと目で追いかける。小さな羽の向かう方へ、自然と足が動いていた。

少し歩くだけで、木の洞にたどり着いた。

そこには蜂が群れ、巣がある。


じいいーーっ……。


「……どうしよう」


蜂蜜、きっとある。

甘くて、とびきり贅沢な宝。


でも……蜂が、こんなにたくさん。

怖い。


風の音と羽音だけが響く中、私はしばらく立ち尽くしていた。


私は、心を決めた。――蜂蜜を取る。


今の装備では無謀だと分かっている。だからこそ、一度帰る。腐葉土を背負ったまま、私は小屋へ駆け戻った。


雨の日用の厚手のフード付き上着を取り出す。フードの顔の部分に、薄い布をさっと縫い付けて、即席の面布にした。それから、手袋を二重、三重に重ねる。予備のミトンも装着。……これなら大丈夫?


道具も用意した。空の鍋、ナイフ。太めの枝に布を巻き、食用油を染み込ませる。埋火から火を移し、松明が完成。


「……これで、挑戦」


私は勢いに背中を押されるように、再び森へ駆けた。


蜂の巣の周りには、まだ多くの蜂が飛んでいた。近くの燃えやすい小枝や枯れ草を集め、風向きを確かめ、火をつける。


煙で、巣をいぶす作戦。けれど、なかなか煙が巣へ届かない。


……考えが甘かった?


焦りかけたその時、風がふっと揺れた。ゆらりと流れた煙が、ちょうど巣へと吸い込まれていく。


「……よし」


手のひらにじっとりと汗がにじむ。巣を注視する。

蜂の動きが――鈍い。


装備をもう一度確認。鍋を片手に、私はゆっくりと巣へ近づく。


蜂が飛んできて、手袋に止まる。刺されない。……いける。


私は思い切って、巣へ手を突っ込んだ。


――固い。


マヤのようにはいかない。指先の力が足りないのか。私はナイフを取り出し、巣にぐりぐりと刺し込む。そして再度手を入れると――巣がゆっくり動いた。


慎重に、鍋へと巣をはぎ取っていく。まだ奥に残っているけれど、全部取ってはだめ。

確か、女王蜂と巣の一部を残せば、また作ってくれるはず。


巣の一部を残し、私はその場からすっと離れた。鍋の中には、蜂付きの巣。蜂は、手で払っても、まだまだしがみついてくる。なんくいも、蜂を払った。


蜂の巣は茶色や黒っぽい部分があった。そして、この部分、きっと蜜だ。……多分。


火が完全に消えたのを確認し、巣を大事に抱え、小屋への帰路につく。


胸の鼓動はまだ速い。恐怖もあったはずなのに、それを上回る高揚感。夢の中を歩いているみたいだった。


小屋に帰りついた頃には、外はすっかり夕暮れだった。私は鍋をそっと置き、中身を覗き込む。


巣の一部が――薄い黄色。日本で見たことのある、あの色。六角形の小さなお部屋、一つ一つに蜜が詰まっている。

ナイフでそっと削り取り、口へ。


……甘い。


甘いよ。蜂蜜だよ。

本物の――蜂蜜だ。


喉の奥へ流れ落ちるその瞬間、胸がふわっと熱くなる。

「天にも昇る気持ちって、こういうことを言うんだ…」


夢見心地で噛みしめていると、部屋を形づくっていた壁が、口の中に固く残る。

味はしないけれど、確か、栄養はあるはず。


……もぐもぐ。ちょっと、しんどいけど。


「蜜だけが、いいな…」

小さくつぶやいてしまった。


本格的に蜂蜜を取り出すのは明日にしよう。

今日はもう充分がんばった。鍋に入れておけば、蜜が流れ出して少しは溜まるかもしれない。


夕食は、残りの雑炊を温めて食べた。そして――最高のデザート。

パンに、蜂蜜を塗って。


……甘い。幸せ。


食器を片付け、ベッドに潜り込む。今日の感動を胸いっぱいに抱えたまま――。


しかし、眠りにつく前、ふと考えてしまう。


もし、アレクシス皇子がここにいたら――

私と一緒に森へ行って、蜂蜜を採ってくれるだろうか。火を囲んで、同じように胸を高鳴らせてくれるだろうか。


「甘いですね」なんて、二人で味見をして、顔を見合わせて笑いあえたら。


そんな時間が、もしもあったなら。


――きっと、どれほど幸せだっただろう。


叶わないと、分かっている。    

手を伸ばしても、届かない人。


それでも、心は勝手に夢を見る。


遠い空へ、そっと想いを手放しながら

小さくひとつ、ため息を落とす。


そして私は、静かな夜に身を預けた。

私はすぐに眠りに落ちた。




ーーー皇子視点


俺と側近、そして文官は、転移陣の淡い光の前に立った。旅の荷は最小限――と言いながら、文官の鞄だけは明らかに重量が違う。

中身はきっと、ぎっしり詰まった書類だろう。……あえて触れないでおく。


その他の荷物は、別に送られて王国に届く段取りになっている。皇国内をのんびり馬車で揺られるほど、暇ではない。


側近の用意した服に袖を通す。

鏡に映るそれは、どこにでもいそうな、品の良い“普通の貴族”。

少しだけ胸を撫で下ろした。

フリルや宝石で着飾られていたら……さすがに耐えられない。


「行くぞ」


短く告げ、転移陣に魔力を流す。

光が足元から立ち上り、視界が白に染まった。


王国との国境――関所の手前に、俺たちは転移した。


側近が小声で言う。

「こちらが身分証です。……アレクシス皇子、これからは“アレン様”とお呼びします」


まあ、好きにしろ。

任せると言った以上、従おう。


文官まで妙に真剣な顔で頷く。

「アレン様、ですか。……何だかよくお似合いです」


……どういう意味だ。


ふと、気がついた。視線が刺さる。

俺が何かしたか? いや、まだ何もしていない。側近も、視線を同じ様に感じているようだった。


側近が一歩前に出て囁いた。

「関所です。アレン様は……極力、喋らないように」


俺は黙って歩くことにした。


……側近が守衛と数言交わす。

ほんの数分で、俺たちはあっさりと通された。


「……何を話していた?」

俺が問うと、側近は微妙な顔で答えた。


「アレン様の滲み出る高貴さを……侮っていました。なので――“女性に恨まれ、刺されそうになって、お忍びで逃げている放蕩貴族”という設定にしました。そうしたら、すんなりと通してくれました」


…………俺をどんな人間にした。


文官は、何故か満足げに頷いている。


――お前ら、今夜は覚悟しておけ。

心の中で静かに、決意した。



こうして俺は――彼女が暮らしていた王国へと、足を踏み入れた。


魔道具は、皇国内では一度も彼女を示さなかった。もっと小型なら、持ってこれたのだが。青年には、小型化も進めるように指示は出したが。……泣きそうだったな。


皇国にはいない、それならばきっと、この王国のどこかで……彼女は今も息づいている、かもしれない。


同じ空気を吸い、同じ空の下にいる。

それだけで、胸の奥がじんと熱くなる。


――もし巡り会えたなら。

今度こそ、彼女の手を掴む。


……たとえ運命が試すとしても。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ