新生活8日目
翌朝は曇り空。
薄い光がカーテン代わりの布を透かして、私の瞼に触れる。曇りの日って、どうしてこうも気分が重いのだろう。
とぼとぼと井戸へ向かい、顔を洗うついでに庭へ目を向けた。
花――そういえば、食べられるものも多かったはず。
タンポポに似た花、オオバコっぽい葉。
ここはゲームのような世界だから、たぶん大丈夫……たぶん。
念のため、一種類だけ。
今日はタンポポらしき花と葉を摘んでみることにした。
朝食は、肉と野菜を炒め、雑穀を煮込んだ鍋。最後にその摘んだ草花を入れる。
色は……すごくいい。華やか。
味は……とても地味。寂しい。
生卵は美味しいけれど、この世界では危険かな。……日本の卵は、厳しい衛生管理の元、生食が出来たのだ。鍋に卵を落として、よくかき混ぜながら火を通した。
ほんの少しだけ優しい味になった。
やっぱり、調味料欲しいな。
午前中は作品作りに没頭する。
明日は孤児院に持って行こうかな。まだ早い?売れているといいな……なんて、少し期待をしながら。
昼はナッツと果物を齧っただけで済ませた。
作業のほうが優先。時間が惜しい。
さて、午後。釣りに挑戦する事にした。竿、糸、針、ナイフ、桶。餌――餌が必要。
庭を掘ることにした。
狙いは、ミミズ。
出た。いた。……嫌だ。
うにょうにょ動いてる。顔がない。
触りたくない。助けてほしい。誰もいない。
でも、捕まえないと魚は釣れない。
心が折れそう。
でも、強くなれ、私。
魚を手に入れるため。
震える手で、私はミミズを掴んだ。
小さく悲鳴を飲み込みながら。
「……大きい。」
あれを切る……の?
ミミズを見つめる。ミミズもうねうね返事をしている気がする。
私はミミズを二匹――ちゃんと捕まえた。
もう、その時点で今日の私、すごい。誇っていい。
でも、切るのは現地に着いてからにしよう。
できるだけ遅らせたい。現実逃避、大事。
小屋の近くの小川の幅は狭く、浅い。大きな魚はきっといない。だけど、町へ続く道のあの辺りで釣り人を見かけたことがある。
あそこなら……きっと魚がいる。
ミミズは大きな葉でぐるぐる巻いた。竿、釣り糸、針、桶、ナイフ――準備は完璧なはず。私は意を決して家を出た。
今日は、釣りをする人はいなかった。
ちょっと心細い。
竿に巻かれた釣り糸を慎重にほどき、
ちゃんと職人さんに付けてもらった針を確認する。もし糸が切れたら、自分で針を結び直すことになる。……それだけは、避けたい。切れないでね、お願い。
「この辺りにしよう」
そして――ミミズを取り出す。
一匹……釣り針と比べる。明らかに大きすぎる。……心の何かがゴリゴリ削られていく音がする。私は泣きそうになりながらミミズを切り、針に通した。……もう、帰りたい。
でも、針を川に投げた。
釣り糸が小川に静かに落ちた。
少し待つ。
……ん?
!!
つつかれてる。食べてる!?
そのまま、どうぞ。遠慮なく!!
竿を握り締める手に力が入る。
一気に、ぐん、と引かれた。
「きた……!」
私は竿を持ち上げる。魚だ。ちゃんと、魚が釣れた。生きてる。跳ねてる。眩しい。
でも、このあと針を外すのだ。
……あれ?どうやって?
跳ねる魚を見て、私は後ずさる。
まずは桶に水を。
深呼吸。
今度こそ。滑る魚、魚の喉奥に引っ掛かる針。ハンカチで魚を掴み――なんとか、釣針を外した。
桶の中で弱々しく泳ぐ魚を見つめて、しみじみ思う。
魚釣りって……こんなに大変だったっけ?
しかし一匹では足りない。
ミミズを見る。ミミズも私を見る。
……帰りたい。
感情を捨て、私は機械と化した。
そして――魚5匹。
「……すごい。私、本当にすごい。」
だが問題はここからもあった。魚を、捌く。
……どうしよう。
桶の水ごと運ぶには重すぎる。
逃がすわけにもいかない。
平たい石を見つけ、魚を乗せ、
ナイフの柄で軽く頭を叩く。魚を気絶させるのだ。謝りながら、ナイフを魚のお腹に刺した。そして、内臓とエラを取り、川で血を洗う。
力がいる。生臭い。ツラい。でも誰も助けてくれない。
五匹を捌き終えるころには、太陽はもう傾いていた。……帰らなきゃ。
私は急いで荷物をまとめ、
ぐったりとした体に鞭打って、家の方へ歩き出した。
夜、捌いた魚に軽く塩をふり、小枝に刺して竈の火へとかざした。
じっくり、丁寧に。火が通るたび、皮から脂がぱちりと弾ける。焦げ付かないよう、時折そっと裏返しながら、朝の残りのスープも傍らで温める。
……そろそろ、いいはず。
一匹を手に取り、あつ、と息を吹きかけながら歯を立てる。
――美味しい。
驚きに目を見開く。
臭みはなく、薄い塩が身の甘さを引き出している。皮はパリッと香ばしく、ふっくらとした身は舌の上でほどけるようだ。
天にも昇る美味しさとは、このことだ。
これが――労働の対価。
一口ごとに、胸の奥で達成感がふわりと広がる。二匹食べ終える頃には、お腹はすっかり満たされていた。
残りは明日のお楽しみ。
スープの出汁にも良さそうだし……骨も、しっかり焼けば食べられるだろうか?
「……ご馳走様でした」
命をいただき、生きていく。
明日も、明後日も。
片付けを終えると、私はベッドへそのまま倒れ込んだ。
大変な一日だったが、良い一日でもあった。……筈だ。
そう思った瞬間、心地よい疲労に包まれて
私は静かに眠りへと落ちていった。
---皇子視点
繊細な魔力を辿る魔道具の開発を命じて、まだ数日。その青年が面会を求めてきたと聞いて、胸に嫌な予感がよぎった。
——何か、問題でも起きたのか?
だが、目の前に現れた青年を見た瞬間、別の意味で問題があると確信する。
髪は乱れ、衣服は皺だらけ。
目の下には濃い隈。
なのに、その瞳だけは、異様な光を宿していた。
……不審者として捕えられても文句は言えない見た目だな、と一瞬思ってしまった。
「どうしたんだ」
問いかけると、青年は大きな鞄を勢いよく差し出した。
「試作品ができました」
……早い。
いや、早すぎる。
青年は興奮したまま言葉を続ける。
「構想自体は以前からありました。今回は、必要な材料がなぜか驚くほど早く揃って……。それで、試作品の製作に没頭できたのです」
俺は青年のやつれた顔を見て、半ば呆れ、半ば心配になった。
「……ちゃんと寝ていたんだろうな」
「一日二時間も寝ました。十分です」
十分なわけがない。
後で、説教だな。
「試すことはできるのか?」
「はい。今すぐでも構いません」
その声は掠れているのに、どこか誇らしげだった。
本当に、無茶をしてくれたものだ。
だが——その無茶が、今は少しだけ頼もしく思えた。
俺は側近を呼びつけた。
「ちょっと実験に付き合ってくれ」
そう言いながら、ためらいなく側近の髪をブチ、と数本抜き取る。
「一本で十分です!」
青年が慌てて声を上げた。
側近は……俺を、心底恨めしそうに睨んでいたが、見なかったことにした。
「この建物内のどこかに隠れてくれ」
「……わかりました」
小さくため息をつきながら、側近は部屋を出ていった。
青年は、試作品の皿状になっている受け皿に、抜いた髪をそっと置いた。
「ここで魔力の質を分析します。魔力は、一人一人、微妙に違いますので。それを読み取るのです」
自信に満ちた声で、青年は説明を続ける。
「探せる範囲はどのくらいだ?」
「皇国の都の半分、くらいですね」
……全く足りないな。
だが、初期段階なら上出来なのかもしれない。
「動かします」
青年が魔道具に触れた瞬間、装置の上に地図のような立体映像がふわりと浮かびあがった。
「距離はここで調整します」
細かな歯車の動きに合わせて、地図が建物単位に縮小されていく。
「……ここですね」
青年が指差した。
そこは——書架。
……この建物の見取り図まで再現されているのか?
原理はわからないが、ただただ驚嘆するしかない。
青年を伴い、その場所へ向かった。
書架の陰。
息を潜めて隠れている側近と、しっかり目が合った。
「……なんで、分かったんですか」
側近の呆れ声が、静かな書庫に響いた。
青年は胸を張り、誇らしげに言った。
「魔力を辿りました」
確かにこの魔道具——本物だ。
しかし——彼女を探すには、まだ足りない。
皇国の都の半分。
そんな狭い範囲では、俺の大切な人に届くはずもない。
「試作品をもうひとつ、作れるか?」
青年は驚いたように目を瞬かせた。
「材料はありますので……作れますが。どうしてでしょう?」
「ひとつは皇国保安院で試験運用させる。
もうひとつは、さらに広範囲に捜索できるよう、改良してほしい」
青年は少し困った顔をした。
「……これ以上の範囲拡大は、難しいかと思います」
その言葉に俺は即座に返す。
「転移陣の縮小化も、我が国では不可能だと判断して諦めた。その結果、王国に遅れをとった」
青年が息を呑む。
「できないと思うから、できないんだ」
しばしの沈黙。
まっすぐな瞳が、青年の心に火をつけた。
「……わかりました!」
「もうひとつ試作品を作ります。そして……広範囲化、挑戦してみせます!」
良い返事だった。
こういう男は、必ず伸びる。
「期待している。……だが、寝る時間はちゃんと取れ」
青年は胸を張り、誇らしげに答えた。
「わかりました!三時間、寝ます!」
…………足りんわ。
思わず頭を抱えながら、俺は小さくため息をついた。
その後、俺は青年に睡眠の大切さを長らく説いた。「わかりました」と、渋々言った青年は、期待と使命感を背負って戻っていった。その背中を見送って、ふと気づく。
場所が特定できるということは——
そこへ繋がる転移陣も、いずれ作れるのではないか?
手の届かない遠さではなくなる。
彼女がどれほど遠くへ逃れようと——追いつける。
「……次回、確認してみるか」
思わず零れた独り言に、微かに笑みが混じる。
彼女への道筋が、一歩ずつ、確かに形となっていく。
焦るな。
追いつくための時間すら、彼女への贈り物だ。
——必ず会いに行く。
その未来は、もう夢ではないのだから。




