私と婚約破棄? ああ、それは貴方の心に魔が宿った証拠です。なので貴方が正常に戻るまで回復魔法をかけ続けますね。途中で死んでもきっと天国に逝けますよ
「皆の者、よく聞いて欲しい! サーガイア王国の第二王子である俺――トルフィン・サーガイアの名において宣言する! ただいまをもって、男爵令嬢ルイーゼ・バーミリオンとの婚約を破棄する!」
トルフィン様の発言は一瞬でパーティー会場に伝播する。
当然ながらパーティーの主役の一人だった私――ルイーゼ・バーミリオンも瞬きを忘れて驚愕した。
時刻は夜。
場所はサーガイア王国の離宮の大広間だ。
そして大広間には各領内から招待していた貴族諸侯たちがいる。
ほんの数秒前までは和やかな談笑の雰囲気に包まれていたが、トルフィン様の異例の発言によって大広間は一瞬で静寂に包まれた。
「トルフィン様……ご冗談ですよね?」
大広間の中央にいた私はトルフィン様にたずねる。
「冗談?」
トルフィン様は下卑た表情を浮かべて鼻で笑う。
「この俺が貴族諸侯たちの前で冗談など言うと思うのか! このチンケな回復魔法しか使えない馬鹿女が!」
私は唖然としたまま言葉に詰まる。
トルフィン様の性格や口の悪さは承知していたが、さすがに今のはひどすぎる。
「トルフィン様、今の私に対する暴言は聞かなかったことにいたします……ですが、私との婚約破棄は簡単に受け入れられません。今回の縁談はトール国王からの持たされたものなのですよ?」
嘘は言っていない。
今回の縁談は病床に臥せっているトール国王が、私の実家であるバーミリオン子爵家に是非にと頼んできたものだ。
サーガイア王国を影から支え続けてくれた恩返しとして。
だが、その恩をあっという間に仇で返された。
私はトルフィン様をじっと見つめる。
まさか、トルフィン様はバーミリオン家の貢献を知らないのだろうか?
そんなまさか、と私は思う。
第二王子として、私の婚約者として、トール国王から直々に説明されたはず。
では、トルフィン様は冗談で言っているのだろうか?
……いや、違う。
トルフィン様は本当に心の底から私を嫌悪している。
そればかりか裏の世界では死者さえも蘇らせると恐れられた、回復魔法使いの名門――バーミリオン家のことすらも知らない様子だ。
「トルフィン様……本当に私との婚約を破棄なさるおつもりですか? 私はチンケな回復魔法しか使えない男爵家の貴族令嬢だから、と」
「ああ、そうだ!」
トルフィン様はなぜか大きく胸を張って肯定した。
「だが、貴様との婚約を破棄するのはそればかりではない――さあ、ここへ!」
トルフィン様は貴族令嬢たちの一団に顔を向ける。
すると一団の中から私たちの元へと歩み寄ってくる貴族令嬢がいた。
お茶会で見た顔である。
確か……。
「皆の者、この俺は今一度宣言する! 男爵令嬢ルイーゼ・バーミリオンとの婚約を破棄し、ここにいる侯爵令嬢ソフィア・カタリーナと新たに婚約することを!」
ざわざわざわざわざわ…………。
トルフィン様の言葉は大広間のざわつきを加速させた。
当然である。
不条理な理由で婚約を破棄したばかりか、その婚約破棄をした場所で新たな貴族令嬢との婚約を発表するとは……。
私は呆然とトルフィン様とソフィアを見つめた。
「うふふ……そういうわけでトルフィン様の妻になるのはわたくしです。聞いていましてよ。ルイーゼさんはかすり傷ぐらいしか治せない回復魔法使いなんでしょう? だったらトルフィン様と結婚する道理などありません。かすり傷程度なんて自然治癒やポーションを使えば簡単に治るではありませんか」
金髪の私とは対照的に、ソフィアさんは亜麻色の長髪をバサッとなびかせる。
「ご理解できて? つまりあなたは無能に近い低級魔法使いで、しかも貴族階級で一番下の男爵家の令嬢……まあ、少しばかり良い夢が見れたと思いなさい。おほほほほほほほほほほほほほほほ」
ソフィアさんは下品に笑うと、トルフィン様に抱き着いて濃厚なキスをする。
パチ……パチ……。
二人の熱い仲を感じ取ったのだろう。
ざわついていた貴族諸侯たちは、二人の仲を認めるかのように拍手を始める。
パチパチパチパチパチパチパチパチッ!
瞬く間に大広間には拍手の渦が巻き起こった。
そんな中、私は必死に考えた末にある結論に至った。
これはもはや王族の……いいえ、人間の所業じゃないわ。
魔物。
そう、私の目にはトルフィン様たちが人間ではなく魔物に見え始めた。
直後、父上の言葉が脳裏によぎる。
――いいか、ルイーゼ。本当の意味で魔物を倒すのに必要な魔法は攻撃魔法じゃない。回復魔法なんだよ
十年前、この世界は魔王と配下の魔王軍によって悲惨な状態にあった。
しかし、その魔王を討ち取った英雄たちがいる。
それは世界政府が各国から選抜した勇者一行たちであった。
けれどもサーガイア王国から勇者パーティーに加わった人間はいない。
あくまでも表向きには……。
などと考えていると、トルフィン様は「ふん」と鼻で笑った。
「わかったら出ていけ、この低級回復魔法使いのクソ令嬢が! 二度と顔も見たくはない。あははははははは」
「そうですわよね、トルフィン様。こんな低級回復魔法使いで男爵家程度の家柄の令嬢が王家に嫁ぐなどあってはならないことですわ。おほほほほほほほほ」
二人の哄笑が響く中、私の心はどんどん冷えていった。
まるで猛吹雪の極寒地に剥き出しの心臓を置いたように。
同時に私は確信した。
トルフィン様とソフィアさんは見た目は人間だが、すでに心は魔に支配されている。
放っておけば身も心も完全に魔物になってサーガイア王国に未曽有の被害をもたらす可能性が高い。
だとすればどうする?
決まっている。
私はかつて世界を救った勇者パーティーの表向きは荷物持ちとして、しかし裏ではアンデッド系の魔物を回復魔法で葬送させ、魔王討伐にも大きく貢献した裏の世界では有名なヒール・バーミリオンの娘だ。
たとえ手足が千切れても復元させるほどの威力を持った裏回復魔法を操るバーミリオン家の正統な跡継ぎとしての責務を果たすのだ。
「わかりました。今回の婚約破棄をお受けいたします。しかし――」
私はニコリと笑った。
「代わりに貴方がたの心に宿った魔を回復させますね」
♦♦♦♦♦
「…………あれ?」
俺はふと気が付くと、まったく見知らぬ部屋の中にいた。
いや、ここは部屋ではない。
松明の炎以外の明かりなく、空気が凄まじく澱んでいる。
「こ、ここは……地下牢?」
間違いない。
一度だけ見学に来たことはあるが、あまりの不衛生ぶりに気持ちが悪くなって逃げ出したことがある。
だが、どうして俺は地下牢にいるのだ?
そのとき、俺は自分の身体を見て驚愕した。
生まれたままの全裸だったのだ。
「な、何だこれは!」
まったく意味がわからない。
俺は必死に記憶をよみがえらせる。
俺は確か自室のベッドで愛しのソフィアと愛を育んで……
「――――ッ!」
そこで俺はハッとして周囲を見渡した。
すると同じ牢屋の中に一人の女がいた。
その女は俺から数メートルの場所に全裸で倒れている。
「ソフィア!」
俺は慌てて駆け寄り、ソフィアを抱き起した。
すぐに口元に手を近づけて呼吸の有無を確かめる。
よし、息はある。
けれども呼吸の仕方がどうもおかしい。
普通に眠っている感じではない。
まるで妙なクスリや催眠魔法をかけられているように思えた。
「おい、ソフィア! 起きろ、起きるんだ!」
俺はソフィアの身体を揺らしながら名前を呼ぶ。
「うう……」
俺が激しく揺さぶったことで、ソフィアは意識を取り戻した。
「……と、トルフィン様?」
「そうだ。大丈夫か? どこか怪我はないか?」
「は、はい。平気で――きゃあっ!」
意識が戻ったからだろう。
ソフィアは自分が全裸の状態だと自覚したため、自分で自分を抱き締めるような格好をする。
時間にして十秒ほどだろうか。
「トルフィン様、ここは一体どこなのですか?」
「たぶん王宮の地下牢だ」
「地下牢? なぜ、そんな場所にわたくしたちがいるのです? だってわたくしたちはトルフィン様の寝室にいたのに」
そうである。
俺たちは今日も寝室で愛を交わし、甘い時間を過ごして――。
そのあと、確か……。
「……ルイーゼ」
俺の脳裏に、あの女の笑みが浮かんだ。
最後に見たのは、宴の終わり際、あの薄ら笑いだった。
――回復させますね
そんな不可解な言葉を残して会場をあとにした元婚約者。
次の瞬間、地下牢の壁がぼうっと青白く光を放った。
「こ、これは?」
地下牢の壁には何十個もの魔法陣が描かれていた。
その魔法陣が不気味に青白く輝き始めたのである。
「ト、トルフィン様! 壁が……光って……!」
そして魔法陣から放たれた光は蠢き、鎖のように俺たちの四肢に絡みついた。
生ぬるい感触。
まるで生きている蛇に締め上げられているような嫌悪感が走る。
「これは拘束魔法……? いや、違う……」
拘束魔法に似てはいるが、もっと禍々しい何かの力だ。
皮膚が焼けるように痛み、細胞が強制的に書き換えられていく。
「い、いやああああっ!」
「ソフィア、落ち着け! お前は俺が守る!」
だが次の瞬間、ソフィアの瞳が真っ赤に染まった。
まるで魔物のように形相が変貌すると、ソフィアは指先を揃えた手刀を俺の胸に突き刺してきた。
ズン、と手刀の先端部分が俺の身体に食い込む。
「がはっ――!? ソ、ソフィア?」
「トルフィン様……わたくし、止まりませんの……」
ソフィアの顔は涙を流しながらも、ケラケラと笑っていた。
いや、笑わされていた。
笑顔のままソフィアは俺の胸をさらにえぐる。
「くそ……やめろ……ソフィア……ソフィアアアアアアアアッ!」
俺は反射的に、近くに落ちていた石片を拾い上げた。
それをソフィアの頭部に向かって振り下ろす。
ゴシャッ――!
「――っぐぅ!」
ソフィアの頭部に直撃し、脳漿と一緒に血が飛び散る。
それでも彼女は止まらなかった。
血塗れの顔で、笑って――いや、嗤っている。
「トルフィン様ぁ……あ、あ、あ、愛してますのにぃ……」
そして俺の首に腕を回し――抱きついてくる。
「うわああああああああああああああ」
俺はあまりの恐怖にソフィアを突き放し、再び頭部に石片を叩きつける。
ゴシャッ!
何度も。
ゴシャゴシャッ!
何度も何度も。
ゴシャゴシャゴシャッ!
何度も何度も何度も何度も――。
「はあ……はあ……はあ……」
やがてソフィアがピクリとも動かなくなったときだ。
牢の外から微かな足音がした。
――カツ、カツ、カツ。
灯りを掲げて現れたのは、金髪の女――ルイーゼ・バーミリオンだった。
清楚な純白のドレスをまとい、穏やかな微笑を浮かべている。
「おや、やっと終わりましたか。随分と時間がかかりましたね」
「ル……ルイーゼ……貴様……これは貴様の仕業か……」
「ええ、あなたたちの心に巣食う“魔”を回復させる準備として」
ルイーゼは淡々と答える。
その手には、まるで聖職者のような杖――しかし先端には黒曜石の刃が光っていた。
「人の心に宿った魔を癒すには、肉体をいったん壊して再構築するしかありません。父の言葉どおり、本物の回復魔法とは魔を根絶させる尊き魔法なのです」
「……貴様は……魔物……だ」
「いいえ、魔物になろうとしているのは貴方です」
ルイーゼが杖を振ると、光の輪がソフィアの死体を包みこんだ。
するとソフィアの砕けていた頭部が元通りに復元されていく。
「トルフィン・サーガイア、ソフィア・カタリーナ。あなたたちは“人”であることを捨て、魔に呑まれた。ならばバーミリオン家の者として、貴方がたの魔の心を回復させてみせます……ただ、私もまだ未熟な身。人間に戻る途中で本当に死んでしまっても、貴方がたはきっと天国に逝けますよ」
そう言って、ルイーゼは呪文を唱えた。
「魔の心に支配された者の肉体を元に戻したまえ――ヒール・レクイエム」
直後、ソフィアはゆらりと立ち上がった。
だが、そこには俺の知るソフィアはいなかった。
目は夜叉のように赤く輝き、表情も俺を食い殺さんばかりに険しくなっている。
自分の縄張りを侵されて怒っている狼のように。
「うううううううう」
ソフィアは猛獣のような唸り声をあげるや、俺に向かって飛びかかってきた。
そして食いちぎらんばかりに俺の喉に噛みついてきた。
「――――――――ッ!」
俺は声にならない声を上げ、猛烈な恐怖と痛みを感じながらルイーゼに目線を向ける。
ルイーゼは天使のように微笑んでいた。
「大丈夫ですよ。トルフィン様、私が特別に魔法陣を施したここでは何度も肉体を再生できますので、何度でも回復魔法をかけて差し上げますね。そう、貴方の心に巣くう魔を祓うまで」
傷口から噴出する大量の鮮血を浴びながら、俺の意識は深く暗い場所へと落ちていった。
ただ、すぐに元の場所に戻ってくるはずだ。
俺の生きたいという心が完全に消え去るまで――。
〈Fin〉
読んでいただき本当にありがとうざいました。
そして現在、異世界恋愛作品の新作を投稿しております。
【完結】悪役毒妃の後宮心理術
ぜひとも一読していただけると幸いです。
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